特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

重圧

2021-01-03 16:36:05 | 自殺腐乱死体
2021謹賀新年。
日本海側は大雪で難儀しているようだけど、この三が日、こちらは気持ちのいい快晴に恵まれた。
一見は穏やかな正月、元旦は、早朝から日課のウォーキングに出かけ、明るくなれない心に初陽の光を当てながら黙々と歩いた。
自分の心に纏わりつく暗い過去を振り払うように、自分の心が欲しがっている明るい未来を探すように。

特に忙しかったわけでもないが、例年通り、大晦日が仕事納めで、元旦が仕事始め。
また、これも、ほとんど毎年のことだけど、
「また、一年、労苦に汗し、苦悩を携えて生きていかなければならないのか・・・」
と、動悸にも似た浅い溜息が、幾重にも口を突いてでてきた。
とはいえ、大晦日と元旦の夜は、TVを相手に、いつにない御馳走に舌鼓を打った。
気分は浮かないながらも、「せっかくの正月だから」と、酒も、いつもより多めに飲み、それなりに穏やかに、それなりに平和に年を越すことができた(0:00になる前に寝てしまったけど)。

しかし、今年の正月は、「おめでとう」とばかりは言っていられない。
承知の通り、コロナ第三波が猛威をふるっているからだ。
その禍は、春の緊急事態宣言時をはるかに超越していて、もはや制御不能の状態。
しかも、そのピークは、まだ見えていない。
緊急事態宣言が再び発出されるのは、時間の問題かもしれない。

この冬が、今回のコロナ禍において、最大・最悪の山場になるであろうことは、かねてから予想されていたことだろうけど、我々がコロナに慣れてしまっていること、我慢・自制に疲れてしまっていること、政府の対策が後手後手になっていること等々、一波・二波にはなかった要因が、感染に拍車をかけているように思う。
併せて、「経済を回すため」「自分は重症化しない」等とのたまわり、医療従事者の苦境も他人事にして自制しない人達のことが目につき、どうしても気に障ってしまっている。
飲食店や観光業を支援する術は、他にもたくさんあるはずなのに。

ただ、身体が不要不急の外出をしていないだけで、自分だって、中身は似たようなもの。
「人々の気が緩んでいる」と言われている中、私にも心当たりがある。
忘年会中止や、新年会不要不急の外出を自粛しているのはもちろん、スーパーマーケット以外、人が多いところに出向くこともしていないけど、第一波のときに比べると緊張感は薄い。
あの頃は、人の少ない屋外をウォーキングするだけでもピリピリしていたけど、今は、そこまでではない。
で、この期に及んでも、「たまには、スーパー銭湯くらいには行きたいな」なんて、呑気なことを考えてしまう。
そんな自分を顧みて、“他人を批難することは簡単、自分を改めることは難しい”と、つくづく思う。
とにかく、国や自治体が行う感染対策の足を引っ張らないようにだけは気をつけたい。

やはり、心配なのは医療体制。
このままだと、医療体制が崩壊するうえ、医療従事者といわれる人達が病んでしまう(既に病んでしまっている人も多いらしい)。
「感染したって重症化しなければいい」と、自分だけのことを考えるのはよした方がいい。
感染者を罪人扱いするつもりもないし、罪人扱いしてならないけど、無責任な行動によって多くの人を感染のリスクに晒し、多くの人の手を煩わせることになることを肝に銘じよう。
自分だって、コロナに限らず、いつ、どんな傷病で病院のお世話になることになるかわからないのだから。

それでも、残念ながら、これから、感染者数・死者数は激増していくはず。
私の場合、感染者数や死者数だけでなく、同年代男性の、倒産、破産、失業、路上生活に転落・・・なんていうニュースがやたらと目につき、とても他人事として流すことができず、気分を落ち込ませている。
この寒空の下、外で夜を明かさなければならないなんて・・・
どんなに寒いだろうか・・・
どんなに惨めだろうか・・・
どんなに淋しいだろうか・・・
「生きているのがイヤになる」って、よくわかる・・・切ない。

それも一因としてあるのだろう、昨年から気分が優れない。
例年の“冬鬱”か。
虚無感・疲労感、そして、得も知れぬ孤独感・・・
今回はここ数年になかったくらい重症で、なかなかツラいものがある。
夕方から夜にかけては、比較的 楽になるのだが、夜明け前の早朝がもっとも苦しい。
不眠症は長年の持病なので仕方がないとしても、寒いはずなのに身体が熱くなって、ベットリと汗をかく。
息は浅く、小刻みになり、時にはうなされる。
一体、自分はどうなっているのだろう・・・原因は何なのだろう・・・
自分よりはるかに苦しい境遇にあっても、果敢に生きようとしている人達もたくさんいるというのに、得体の知れない重圧が、私の精神を押さえつけてくるのである。

重鬱になると、今や未来、周りの環境や周り人達に気持ちが向かなくなる。
仕事や家族のことさえ、心の視界から消える。
周りの迷惑を考えないわけでもなく、誰かが悲しむのがわからないのでもなく、「周りがどうなってもいい」と思うのでもなく、自分のツラさだけで手いっぱいになり、周りのことに想いが行かなくなるのである。
そして、人によっては、それが自死に向かわせる・・・それが恐い。
死生観的な“健常者”が、そこのところを理解すれば、少しは自死を減らすことができるような気がする。



出向いた現場は、市街地に建つ賃貸マンション。
駅近で生活の利便性は高い地域。
築年数は浅く、間取りは1K。
部屋の状態は、一言でいうと、「腐乱死体ゴミ部屋」。
ドロドロの遺体汚物、無数のウジ・ハエ、凄まじい悪臭はもちろんのこと、目を引いたのは、ウイスキーの空瓶と氷の空袋。
かなりの量を飲んでいたのだろう、それが、部屋中に散乱・山積みされていた。
その荒れ様は、そのまま、故人の最期の生き様が映し出されているようで、凄惨さの中にも何ともいえない切なさがあった。

発見のキッカケは異臭と害虫。
当該現場から妙な異臭がしはじめ、そのうち小さなハエまででるように。
それが日に日に悪化してきたものだから、隣室の住人は、管理会社に通報。
玄関ドアの隙間から漏れ出る異臭は、それまでに嗅いだことがない種類の悪臭。
部屋の中でとんでもないことが起こっていることはドアを開けずとも察することができ、管理会社は、そのまま警察に通報。
そして、部屋の床、ゴミに埋もれるように、人間のかたちをした物体が、人間とは思えないくらい変わり果てた姿で横たわっているのを発見。
凄まじい悪臭と、無数のウジ・ハエが放たれる中、その後、警察の手によって、その物体は、人間扱いしたくてもできないくらいの状態で、引きずられるように搬出されたのだった。

亡くなったのは、50代後半の男性。
死因は、一応、自然死(病死)。
晩年は無職。
ただ、一流企業でもなく、エリートでもなかったけど、それ以前は一所の会社に長く勤務。
出世も望まず、当たり障りなく、誰かと競うこともなく、無難なサラリーマン生活だった。
一方、社宅暮らしの独身で、上司に従順だった故人は、会社にとっても動かしやすく、使い勝手のいい社員だった。

そんな中で転機となったのは異動。
肩書きは“昇進”だったが、社内の誰の目にも、それは“左遷”。
ただでさえ、歴代、そのポジションに就いて長くもった人はおらず、いわば“窓際”。
五十も半ばにして「NО!」と言えない立場であることは、会社にも見透かされていた。
会社都合の転勤や異動に黙って従い、実直に勤めてきた見返りがこれ・・・
余計なプライドや自分を幸せにしない意地は持たないようにして、従順サラリーマンを渡世として無難に過ごしてきた故人だったが、事実上の「クビ」を言い渡され、自分の中で、張りつめていた何かが“プツン”と切れた。

結局、定年を待たず退職。
同時に、住み慣れた社宅を出て、新しい住処(現場)へ転居。
「何とかなる!」「まだやれる!」と信じて。
が、自分が思っていたよりはるかに現実は厳しく、なかなか新しい仕事にありつけず。
それでも、非正規のアルバイトや派遣の仕事で食いつなぎながら、粘り強く就職活動を続けた。
しかし、経験や能力をよそに、自分の年齢が、それを邪魔した。
年齢だけ訊かれてはねられたことは数知れず。
悲しく、悔しい思いをしたことも数知れず。
“現実”に打ちのめされ、“現実”をイヤと言うほど思い知らされた。

この状況では、「心を折らず がんばれ!」と言う方に無理がある。
労働意欲は次第に削がれていき、そのうち、就活も頓挫。
現実を忘れたくて・・・
昼間から酒を飲むクセがつき・・・
貯えは減っていく一方で・・・
先には暗闇しか見えず・・・
自らを破滅に追いやることはわかっていたけど・・・
そこから抜けだす術がわからず・・・
理性は麻痺し、そのまま酒に溺れる日々は続いていった。

病死、老衰、事故死、戦死、餓死etc・・・そして自死・・・死因は後の人が決める。
また、“自殺という名の病死”があれば“病死という名の自殺”もある。
故人は、「このまま死んだってかまわない」と思いながら飲んでいたように思え・・・
私には、故人が、生きること・生きなければばらないことの重圧に押しつぶされた、いわば“圧死”のように思えた。
そして、それは、私にとって決して他人事ではなく・・・
その圧が重すぎるのか、こちらか弱すぎるのか・・・その答を導くヒントさえ見つけることができず、私は、ただただ重苦しい溜息を吐くしかなかった。



死業二十九年目の冬・・・
私も、随分と歳をとった・・・
そして、何だかスゴく疲れた・・・
鏡の中に衰えた自分を見ると、その顔からは、「後悔」なんて簡単な言葉では片づけられないくらい重苦しいものが滲み出ている。

あと、どれくらい、こうやって生きていかなければならないのだろうか・・・
この重い虚無感・疲労感・孤独感が癒される日はくるのだろうか・・・
自分に待っているのは明るい未来ではなく、暗い日々ばかりのように思えることもしばしば。

それでも、生かされているうえは生きなければならない。
死ぬまでは生きなければならない。
それが、摂理だから。

私は、「生かされている」ことの感謝・喜びと、「生きなければならない」ことの苦悩・重圧の狭間で、もがいている。
決意もなければ、覚悟もできていない中で・・・
しかし、生きていくかぎりは、これからも もがき続けるしかない。

「がんばれ・・・」
心の奥底にこだまする、幸せに生きたがる自分のそんな声に、かすかな希望を抱きながら。


特殊清掃についてのお問い合わせは
0120-74-4949

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