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特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

思い出

2015-09-10 08:52:31 | 特殊清掃 消臭消毒
8月後半から今日に至るまで、なんだか変な天気が続いている。
8月のうちは「このまま秋になるはずはない」「キツい残暑に襲われるはず」などと勝手に警戒していたけど、9月に入っても様子は変わらず。
酷暑・猛暑はどこへやら、曇天雨天が続き、まるで梅雨のよう・・・
・・・いや、梅雨時期よりも晴天が少ないくらい。
どうも、このまま秋が深まっていきそうな気配を感じる。
涼しくて過ごしやすいのはいいのだが、災害や農産物のことを考えると、やはり季節にあった陽はほしいと思う。

毎年、秋になると、“もの悲しさ”“もの淋しさ”を感じる人は多いみたい。
私にも少しはその気持ちがわかるが、どちらかというと私の場合は安堵感のほうが強い。
酷暑の重労働を乗り切った安堵感と、涼しくなっていくことへの安堵感だ。
ただ、安堵ばかりもしていられない。
私には恒例の?冬期欝が待っているからだ。
もちろん、今年、それに襲われるかどうかはまだわからないけど、考えると不安が過ぎる。
とにかく、つまらないことを考えないように努める必要がある。

幸か不幸か、昨季はチビ犬の死がそれを吹き飛ばした。
チビ犬との死別は、私にとって、かなりショックな出来事だったが、あれから明日で10ヶ月・・・
大袈裟でもなんでもなく、チビ犬のことを思い出さない日はない。
さすがに涙することはなくなったが、「あんなこともあった」「こんなこともあった」と、色々なことを思い出し、「楽しかったなぁ・・・」「可愛かったなぁ・・・」と微笑むことが日課みたいになっている。
死んだ直後は、どうしようもない寂しさと、怒りにも似た悲しみに苛まれていたけど、もうそれもおさまった。
このところは、どうしてだか自分でもわからないけど、チビ犬を思い出す度に何かに励まされるような気がして「頑張んなきゃな!」という思いが起こされ、自分に小さな気合を入れることができている。



特掃の依頼が入った。
依頼者はアパートの大家で、住人が孤独死したよう。
そして、異臭が外部に漏れ出し、近隣から苦情が入っている模様。
私は、依頼の現場を優先して予定を変更。
かかっていた作業をテキパキと片付け現場に急行した。

到着した現場は、ゴミゴミとした住宅地に建つ古びたアパート。
大家宅はアパートと同じ敷地内にあり、私は、まず先に大家宅を訪問。
そして、部屋の鍵を借りようとしたところ、
「お兄さん(故人の兄)が先に来たので鍵は渡した」
とのこと。
私は、周囲から苦情がでるくらいの異臭を放っている部屋に遺族が入っていることを怪訝に思いながらも、とりあえず部屋に行ってみることに。
隣に建つアパートに移動し、装備品を確認しながら二階への階段をのぼった。

二階の通路にあがると、そこには例の異臭が漏洩。
「これじゃ苦情がきても仕方がないな・・・」
「ホントに遺族は中にいるのか?」
そう思いながら、目的の部屋の前に立ち止まった。
そして、中がどんな状況でも臨機応変に対応できるよう気持ちを整え、呼鈴を鳴らした。

「はい・・・どうぞ・・・」
中からは、すぐに返事がきた。
この酷い異臭の中でも、やはり遺族は中にいた。
私がそれに驚きながら、玄関ドアをゆっくり開け
「失礼しま~す」
と挨拶しながら足を踏み入れた。

部屋は1DK。
家財の量も多く、かなり散らかっており、ゴミ部屋に近い状態。
しかも、モノ凄い悪臭が充満。
私は、専用マスクを着けたかったが、マスクを着けた状態での参上は遺族に失礼かと思い我慢。
靴も履いたまま入りたかったが、それも我慢。
息を浅くしながら、つま先立ちで部屋に入っていった。

部屋には、高齢の男性が一人。
何か探しモノをしているようで、部屋の中の物を動かしたりひっくり返したりしていた。
私は、男性に近寄り、簡単に自己紹介をして挨拶。
私が来ることを大家から聞いていた男性は、私を助っ人と思ってくれたのか“待ってました!”とばかり愛想よく挨拶を返してくれた。

挨拶を交わして後、周囲をグルリと見回すと、汚染痕はすぐに見つかった。
それは、台所に併設されたトイレにあった。
液状化した元肉体が便器と床を覆い、それを纏ったウジによって壁の一部は変色。
見た目の光景も凄惨ながら、その異臭もハイレベル。
正直なところ、専用マスクなしでは息をしたくなかった。

故人は80代の女性。
男性も80代で、二人は兄妹。
一通りの貴重品は警察から受け取り、自分でも探し出した
ただ、
「ちょっと探したいモノがあってね・・・」
という。
それは浴衣。
その昔、亡き母親が兄妹に縫ってくれたもので、男性にとって大切なもの。
「昔ね、お袋が俺達(男性と故人)に縫ってくれたものでね・・・」
「おたくみたいな若い人にはわからないと思うけど、戦後のモノがないときに苦心してつくってくれたんだよ・・・」
男性はそう言って表情を和らげた。
若い頃、全国の建設現場を渡り歩いていた男性は、大切なそれを故人に預けていた。
そして、故人も自分の浴衣と一緒に大切に保管していたはずだった。

身のこなしから、男性が足腰を弱めているのは明白だった。
年齢を考えると、それはたいして不自然なものには映らなかったが、それだけではなく、男性は視力も弱めているようで、身体よりもそっちの方が大変そうだった。
その様を見た私は、ちょっと気の毒に思い、一緒に探し物をしてあげたくなった。
が、先にやらなければならないのはトイレの特掃。
それをやっつけたうえでないと、他の用を落ち着いてすることができない。
私は、先にトイレを掃除することの必要性を説明し、作業の手はずを整えた。

特掃って仕事は、何度もやって慣れてるはずなのに、何度やっても慣れないものでもある。
特に、着手する前と着手した当初は、自分の中の何かが拒絶する。
ただ、一旦、手を汚してしまえば、「開き直れる」というか「汚物が人に思えてくる」というか、そんな感覚で徐々に抵抗感が消えていく。
そして、キツさも忘れて作業に集中することができる。
私は、いつものような感覚を抱きながら、黙々と作業をすすめていった。

特掃が済むと、異臭はだいぶおさまってきた。
ただ、タンスをみたくても、押入の衣装箱をみたくても、大量の生活用品とゴミが邪魔をして引き出しを開けることも押入の物を出すこともできず。
とりあえず、私は、部屋に散らかっているモノを順にゴミ袋やダンボール箱に梱包していき、部屋の空間を広げていった。

浴衣は、タンスや収納ケース・衣装箱のどこかにしまってあるはずだった。
男性は、それらを一つ一つ開けていった。
しかし、目当ての浴衣は一向に見つからず。
結局、どこを動かしても、どこを引っくり返しても、浴衣は出てこなかった。

浴衣は、男性にとって自分の思い出であり、妹の思い出であり、母の思い出であり、家族の思い出だったのだろう・・・
「ないものは仕方がない・・・」
「どうせ俺が死んだらゴミになっちゃうだけだからな・・・」
「他人にゴミにされる前に妹がどこかにやったのかな・・・」
男性はとても残念そう・・・寂しそうにそうつぶやいた。
それでも、最後には、幼少期の楽しい思い出を見ているかのような目に薄笑を浮かべた。



「笑顔の思い出は人生の宝物」
・・・私の自論。
笑顔の思い出は過去ばかりのものではなく、今をも笑顔にしてくれる。

目に見える物理的なモノにも宝物は多い。
しかし、それらに永遠はなく、持って逝くこともできない。
自分の身体でさえ置いてかなきゃならないのだから。
目に見えない地位や名誉もそう。
それらは、この世のルールでつくられたものだから。
それでも、私は、笑顔の思い出は持って逝けるような気がしている。
確証もないし確信でもないけど、何となくそんな気がしている。
だから、思い出を大切にしたい・・・
苦しいこと・悩ましいことが多い人生だけど、それでも、笑顔の思い出をたくさんつくりたい・・・
・・・そう思う。

こうして生きている中で、“今”という時間は次々と過去に変わっていっている。
思い出は次々に生まれ、今は次々に過ぎ、未来は次々と失われている。
思い出は過去ばかりに置いておくものではない。
今と未来の支えにするもの。
そして、今を楽しく生きるために使うもの。

「笑顔の思い出をつくるには?」
「今を楽しく生きるには?」
その答は意外に簡単なことかもしれない。
その材料は、身近なところに、自分の中に、ゴロゴロ転がっているかもしれない。

何かを教えてくれているような気がして、今日もスマホにおさまったチビ犬に微笑んでいる私である。



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失然得然

2015-08-29 11:27:18 | 特殊清掃 消臭消毒
もうじき9月。暦は秋。
このところ曇雨が続き、つい先日までの酷暑がウソのように過ごしやすくなっている。
過去形にするには早いような気もするが、今年の夏も暑かった!!
晴天の日などは当り前のように35℃を超えてくる。
その下での肉体労働なわけだから、もう、身体の芯が燃えているような感じ。
自分の身体がエンジン付の機械みたいになる。
とにもかくにも、熱中症には気をつけなければならない。
単独作業の場合は特に。
ただ、作業を始めると休憩するのが面倒臭くなる。
装備の脱着がいちいち面倒なのだ。
とは言っても、自覚症状がでてからでは遅い。

熱中症だったのかどうか・・・7月のある日のことだった。
あまりの暑さに食欲は減退。
そうは言っても、食べないとバテる。
咽通りのいいモノを食べようと、夕飯に盛そばを食べた。
ところが、直後から腹に満腹感とは明らかに違った不快感を覚えはじめた。
そして、それは夜が更けるとともにひどくなり、そのうち吐き気をともなうように。
結局、その日は、夜通し“吐いてはうなされ”“うなされては吐いて”を繰り返し、ろくに眠ることができずヘロヘロになってしまった。
ただ、朝がくれば、約束の仕事に行かなければならない。
私は、その日もフラフラの状態で現場に出て、何度も座り込みながら小刻みに作業を進めた。

幸い、それ以上の大事にはならず、2~3日後には復調したが、あらためて痛感した・・・
・・・健康の大切さ、ありがたさを。
しかし、日常の自分は、健康を当り前のモノのように思ってしまう。
・・・ていうか、普段はまったく意識しないで生活している。
感謝の念をもって大事に!大切に!しなければならないはずなのに。



現地調査の依頼が入った。
依頼者は中年の男性。
時間厳守主義の私は、例によって約束の時間より早く現場に到着。
依頼者が現れるまで待機しているつもりだった。
が、既に、現場マンションのエントランス前には依頼者らしき男性の姿。
男性も、自分の目の前を徐行する私の車を注視し、私と視線を合わせてきた。
私は、軽く会釈をしながらそのまま通り過ぎ、ケータイと車の時計に間違いがないか確認。
遅参ではないことに安堵しつつ急いで近くの駐車場に車を入れ、男性のもとに駆けていった。

私は、ありきたりの挨拶を交わして後、事の経緯と現場の状況を質問。
男性は、何かに怯えたかのように、その表情を固くしながら私の質問に応えてくれた。
亡くなったのは男性の弟で、マンションは故人の所有。
独身だった故人は、入居以来ずっとそこで一人暮らし。
発見は、死後約三週間。
それなりに腐敗が進み、警察の霊安室で確認した遺体は無残な状態だった。

故人宅の玄関前に異臭の漏洩はなし。
男性は開錠の後、後ろに立つ私に道を譲った。
先を入れ替わった私は、誰に言うわけでもなく「失礼しま~す」とつぶやきながら玄関ドアを少し開け、頭だけを中に入れた。
すると、例の異臭が私の鼻を直撃。
油断していた私は、弾けるように上半身をのけ反らせた。
そして、外に異臭を漏らしてはならないため、すばやくドアを閉め、慌てて依頼者のほうへ振り返った。
そして、室内がかなりヒドい状態になっていることと、一緒に入るかどうかの判断は男性に任せる旨を伝えた。

「両親に状況を話さなくてはなりませんし、持ち帰りたいモノもあるので・・・頑張って一緒に入ります」
男性は、故人の死を悼んでか、死痕に恐怖してか、固かった表情を更に強ばらせてそう言った。
そして、どこにでも売っているようなマスクを着け、目で私に“準備OK”の合図を送った。
それを受けた私は、薄いマスクしか持たない男性に申し訳ないような気持ちを抱きながら専用マスクを装着。
再びドアノブを引いて、室内に身体を滑り込ませた。

汚染痕は、寝室を入ってすぐのところにあった。
私にとってはミドル級だったが、男性にとってはスーパーへヴィー級だと思われた。
マスクを浮かせて確認すると、やはり異臭は高濃度。
が、それに反して、ウジ・ハエの発生は「まったく」と言っていいほどなかった。
寒い時季でもなかったうえ、発見がかなり遅れていたにもかかわらず。
私は、そのことを不思議に思ったが、その答を探すのは時間と頭の無駄。
とにもかくにも、虫がいないことは私にとって幸いなことなので、それはそれで単純に受け止めることにして、汚染痕の傍にしゃがみ込んだ。

私は、汚染痕とその周辺を見渡して、死因が自殺であることを推察。
もちろん、断定はできないけど、直感的にそう思った。
しかし、故人の死因を探ることは、仕事上、必要なことではない。
男性から告げられれば受け止めるけど、自分から訊ねることはしなかった。

検分を終えた私は、遺体汚染部の特殊清掃について、作業内容・所用時間・費用等を男性に説明。
話を聞いた男性は、私の説明に納得してくれたようで、その場で私に特掃を依頼。
私は、そのまま作業に入ることにし、早速、仕度にとりかかった。
一方の男性は、汚染箇所を避けながら部屋の各所を写真に撮り、その後、持ち帰るモノのチェックを始めた。

作業中、男性は、時折、私に近寄ってきてはその作業を見守った。
私は、背後から感じる視線と小さく聞こえる独り言に男性の悲哀を感じながら、そして、故人に同志的な同情心を抱きながら、無言で作業の手を進めた。
本来なら、場の空気が煮詰まらないよう、テキトーな社交辞令を交わすところなのだが、男性と故人の会話に割って入るような不躾さを覚えたので、私は、とにかく黙っていた。

一通りの作業を終えると、フローリングに若干のシミが残留したものの、ほぼきれいになった。
時間に限りがあったため限界はあったが、異臭濃度もだいぶ低下した。
しかし、男性は、寝室には入りたくない様子。
それでも、遺品チェックはしたいよう。
悲哀感なのか、恐怖感なのか、嫌悪感なのか・・・何がそうさせるのか男性自身にもわからないようだったが、結局、私が男性に代わって寝室の遺品チェックをすることに。
男性は、申し訳なさそうに寝室のドア前に立って私の作業を見ながら、自分に言い訳をするように故人のことを話し始めた。

故人は40代半ば。
大学を卒業以来、一つの会社に勤めていた。
が、一年ほど前、自分を可愛がってくれ、また育ててくれた上司が会社を追い出されるかたちで退職。
それを理不尽に思った故人は、会社や上役を強く批判。
結果、故人も会社にいづらくなり、上司の後を追うように退職となった。
しかし、故人には、業界においてキャリアも実績もあった。
家族には、先のことを深刻に捉えているような素振りはみせず、「何とかなる」「しばらくはゆっくりするつもり」等と楽天的なことばかり話していた。
しかし、現実はそう甘くなかったのか・・・
仕事を選んでいたせいなのか、それとも、仕事そのものがなかったのか、数ヶ月が過ぎても定職に就いた様子はなく、そのうち、故人は親兄弟と距離をあけるように。
心配の電話が言い争いに発展することも多くなり、時間経過とともに自然と家族と故人の関係は薄くなっていった。

男性は、故人が亡くなっていた場所に用意してきた花を手向けて手を合わせ、
「もっと早くに気づいてやれてれば・・・」
と、悔やみきれない様子で目を潤ませた。
そして、そこには、死の現場から、いつもの何かを得、また新しい何かを得ようとすることも務めであるような気が、また、それがいなくなった故人に対する礼儀のような気がする私がいた。



健康も、時間も、水も、空気も、食べ物も、仕事も、金も、友人も、家族も、命も、その他諸々も・・・
人は、「あって当り前」「いて当り前」ではないものを当り前だと思ってしまいやすい。
しかし、それらは、自分に回りに当然に存在しているのではない。
喪失と表裏一体で、摂理によって与えられているもので、自分の力だけで獲得しているものではない。
獲得に貢献している自分の力なんて、無に近い微々たるもの。
だから、どんなに失いたくなくても機によって失ってしまう。
そして、そのときに、その大切さ・貴重さを痛感させられる。
だから、何事もない普段から感謝して大切にしなければならない。
感謝からは喜びが、喜びからは幸せがうまれるのだから。

もちろん、失ってこそ大切なものが得られることもある。
でも、同じものなら、失わずに得たいもの。
そのためには、“気づき”が必要。
気づくためには、“きっかけ”が必要。
こんな滅多に更新しないブログでも、少しはその“きっかけ”になれているかも?
・・・そう思うと、酷暑と加齢にやられっぱなしのこのポンコツ親父も何とか頑張れるのである。


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整心力

2015-04-01 16:17:44 | 特殊清掃 消臭消毒
今日から四月、新年度のはじまり。
とは言っても、前ブログに記したとおり、私には特に変わったことはない。
何の節目もないまま、いつもの春を感じているだけ。
でも、世間の雰囲気にあやかって、少しは新鮮な気分を味わいたい。
心も身体もリフレッシュして、残された日々を満喫したいと思っている。

というわけで、昨夜は夜桜を愛でに公園へ出掛けた。
面倒臭がりの私が、風情を楽しむために、仕事の後わざわざ出掛けるなんて珍しいことだけど、出掛けた甲斐はあった。
陽下の桃色桜は気持ちが浮いてくるような感じだけど、月下の白色桜は気持ちが静まるような感じがして、また違う趣があった。
お陰で、マンネリにだらけた心が、少しは生き返ったような気がした。

そうは言いつつも、なかなかリフレッシュできないこともある。
そう・・・チビ犬のことだ。
いなくなって四ヶ月半余が過ぎたのに、なかなか立ち直れないでいる。
もう、大泣きすることはなくなったけど、「会いたい・・・」と思うと目が潤む。
遺影になってしまった待受画面を見ると、「ホント・・・可愛かったなぁ・・・」と思う。
そして、色んなことを想い出してはこぼれる溜息混じりの独り言に心を乱されている。

使っていたリードと首輪は、一緒に墓に入れた。
買い置きしてあったドッグフード・トイレシート・オムツ等は、動物愛護団体に送った。
ただ、食器、トイレ、ハウス、服はそのまま。
処分することができず、そのままにしている。
最近になって、やっとトイレと食器だけは片付けたが(捨ててはいない)、ハウスまでは片付けられないでいる。

目に見えるものに永遠はない。物にも命にも限りがある。
私は、時間の限りと人生の儚さをイヤというほど知っているはず・・・
目に見えるものに執着することは賢いことではないこともわかっているはず・・・
今の感傷が一時的なものであることも理解しているはず・・・
なのに、チビ犬のグッズを処分できないでいる。
心の整理は理屈ですすめることはできない・・・
これもまた、いつか笑顔の想い出にかわる・・・
それまで、乱れがちなこの心を想い出で整えて、できるかぎり穏やかでいたいと思っている。



呼ばれて出向いた現場は、マンションの一室。
現場に現れたのは初老の夫婦。
亡くなったのは女性(妻)の弟。
「身内が孤独死」「推定死後数ヶ月」「一緒に部屋に入って状況を確認してほしい」
そんな依頼だった。

半年も経っていれば、腐乱溶解の峠は越えている。
故人の身体はとっくに骨と化していただろうし、生まれたウジやハエも、その生涯を終えたはず。
溶けでた腐敗液や腐敗粘度も乾燥凝固し、凄まじかったはずの異臭も腹を突くレベルから小鼻を突くレベルにまでダウンしているだろうと思われた。
そんな具合を想像した私の頭にヒドイ光景は映らず、そんな部屋の状況確認なんて私にとっては“お安い御用”。
私は、緩ませてはいけない気を緩ませ、平べったくなった気分に寝そべりながら、鍵が開くのを待った。

「え!?」
玄関ドアを引いた私は、驚いた。
そこは、目を見張るほどの酷いゴミ部屋。
私は、事前にそんな情報なかったから、フツーの(?)腐乱死体現場だけを想像していた。
また、待ち合わせた二人も、それを感じさせる素振りはまったくなし。
私は、ノーガードの精神をいきなり殴られ、驚嘆の声をあげてしまった。

「ちょ、ちょっと見てください・・・」
私は、外に漏洩する悪臭のことなんかそっちのけで、ドアを大きく開けた。
そして、後ろにいた及び腰の二人にも中を見るよう促した。
私が戸惑う様子が見てとれたのだろうか、二人は、恐る恐る私と位置を代わった。
そして、中を覗き込み、私より大きく驚嘆の声をあげた。

「この状態、ご存知なかったですか?」
警察から何も聞いてないのは不自然に思われたので、訊ねてみた。
が、二人もゴミのことは何も聞いておらず。
私は、そのことを少し怪訝に、また、少し気の毒に思いながらマスクを装着。
立ち止まっていては何も始まらないので、二人の許可も得ず土足のまま一歩を踏み出し、二人も後に続くよう目配せをした。

中は、かつては普通の部屋だったはずの2LDK。
しかし、そこは威圧的な光景に変容。
全室、ゴミで埋没し床は見えておらず、低いところは足首、高いところは腰の高さまで堆積。
食べ物ゴミ、雑誌新聞、衣類、生活雑貨など、ゴミを構成したものは色々あったが、最も目についたのはチューハイの空き缶と、焼酎の大型ボトル。
それは、ゴミ全体の半分くらいを占める膨大な数。
そんなゴミ山・ゴミ野を見渡し、二人は唖然呆然。
玄関前では泣きそうな表情を浮かべていた女性だったが、凄まじい光景を前に悲哀の表情は消え、ただただ表情を強ばらせるのみ。
充満する悪臭やクッキリ残る遺体痕も気に留まらないくらいショックを受けたようで、か細く震える声で、
「どうしちゃったんだろう・・・何があったんだろう・・・」
と、繰り返し呟いた。


故人は、とある企業に定年まで勤務。
出世コースには縁がなかったものの、固い仕事で収入も安定していた。
また、妻子もなく、家族持ちに比べて自由になる金は多かった。
ただ、生まれた家は裕福ではなく、幼い頃から社会の厳しさと親の苦労を知って育った。
だから、辛抱することと質素倹約は身に染みついていた。
よって、生活は地味。
その経済力を考えると家を持つのも難しくなかったのに、長い間、安アパート暮し。
現場となったマンションも中年になって購入。しかも、中古の割安物件で。
見栄っ張りなところもなく、ほどほどの生活で満足できるような人物だった。

両親はずっと以前に亡くなり、近しい身内は女性(姉)のみ。
二人きりの姉弟ということもあり、その仲は良かった。
ただ、家は離れており、お互いの家を行き来するのは一~二年に一度あるかないか。
日常の付き合いとしては、たまの電話と盆暮の贈答くらい。
二人が最後に故人宅を訪れたのも、もう二~三年も前のこと。
それはまだ仕事を辞めて間もない頃で、そのときは故人にも部屋にも変わった様子はなかった。

二人が知っている故人は、きれい好きで几帳面。
苦労人で怠けることを知らず、何事も辛抱できる人間。
だから、自宅をゴミ部屋にするなんて、微塵にも想像できず。
また、故人が酒を好んでいたことも、二人にとっては意外なこと。
長い付き合いだったが、二人は故人が酒を飲んでいる姿をほとんどみたことがなかった。
食事の場等でも、すすめられて飲むことはあってもすすんで飲むことはなかった。
だから、二人は、故人のことを“酒嫌いの下戸”だと思っていた。
しかし、目の前には、それとは真逆の現実・・・
この現実をどう整理し消化すればいいのか、二人には、そのヒントさえ見つからないようだった。


あくまで、私の勝手な想像だが・・・
故人の生活が変わったのは定年退職が境。
友人みたいに付き合っていた同僚は、仕事や会社という共有物がなくなると、それぞれ別の道へ進み、付き合いはなくなった。
自分一人が生活できるだけの貯えと年金は充分にあったため労働の必要はなく、また、現役時代に十二分に働いたため、その意欲も湧かず。
結果、社会に参加することもなくなり、社会における自分の身の置き所を失った。
次第に、社会と疎遠になっていき、そのうち漂いだした閉塞感に自分の存在意義までも奪われそうになった。
やるべき仕事もなく、これといった趣味もなく、一緒に泣き笑いする家族もなく、孤独な毎日、退屈な毎日。
そんな中でおぼえた酒の味。
一時的とはいえ、酔いは、虚無感を中和してくれ、嫌な気分も紛らわしてくれた。
同時に、それまでの人生と見返りのない現実を比べて、投げやりな気持ちになった。
そうして、酒に頼ることが多くなり、そのうちに溺れていった・・・


長期に渡った作業の最終日、ゴミが撤去され空っぽになった部屋には男性が現れた。
請け負った作業が完了したことを確認してもらうためだったが、故人の実姉である女性は来なかった。
ただ、それも仕方がなかった。
女性は、大事な弟の孤独死に長く気づくことができなかったこと、そして、晩年の苦悩にも気づくことができず、何の手助けもしてやれなかったことをヒドく気に病んでしまったよう。
「相当ショックだったみたいで、あれからちょっと体調を崩しまして・・・」
「DNAで本人確認したのに、“あそこにいたのは弟じゃなく別の人間なんじゃないの?”なんて言うような始末でして・・・」
「気持ちの整理がつくまで、しばらく時間がかかりそうです・・・」
と、男性は、女性の苦悩を吐露し、男性もまた苦悩の表情を浮かべた。


時間と手間をかければ、どんなゴミ部屋も片付けることができる。
ただ、人の心はそういうわけにはいかない。
人の心は、理屈では片付かない。
自分(人)の力ではいかんともし難い悩ましさがある。

意に反して荒心・乱心を抱えてしまうのも人間の本質・本性であり宿命。
大小高低あるけど、私にも、常に心の乱れ・心の荒れは存在する。
そして、それに苦しめられることが多々ある。
しかし、人間の“深み”というか“厚み”というか・・・そういうものは、荒心と整心との積み重ねがつくりだすものかもしれない。
そして、その重みが心を落ち着かせ、平安をもたらしてくれるのかもしれない。

乱れやすい心と脆弱な整心力に悩まされながらも、乱れ咲き、そして乱れ散る桜の趣に人生の機微を重ね、唯一無二のこの生を愛でている私である。



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大福中毒

2015-03-24 09:20:12 | 特殊清掃 消臭消毒
私は、甘味が好き。
食べることだけではなく、見るのも好き。
洋菓子・和菓子を問わず、色とりどり・多種多様の菓子が店頭に並んでいるのを見ると、子供のように気持ちが軽くなる。
クリスマスシーズンには、洋菓子店にかぎらずスーパーやコンビニにケーキのチラシが出回るが、それだけをもらって眺めてはほのぼの感を味わうこともある。
そういった具合に、菓子は、平和と豊かさを感じさせてくれる。
そして、それは、こんな社会にいられることがホントにありがたいことであることを気づかせてくれる。

そんな私だが、昨秋から冬にかけてプチダイエットを敢行。
その期間は、おのずと甘いものは控えざるを得なかった。
菓子は身体を生かすうえでの必需品ではない。
食べなくて精神の健康を害することはあるかもしれないけど、身体の健康を害することはないはず。
だから、とにかく、甘いものは口に入れないよう注意した。
しかし、理性で本性を変えることはできない。理性は本性を抑えるのみ。
“食べたい!”という欲求を抑えるのには、結構な辛抱を要した。

特に食べたくなったのは大福。
ケーキでもアイスクリームでも団子でもなく大福。
以前、大山(神奈川県伊勢原市)に登山した際の塩豆大福との葛藤を書いたことがあったが、アレで味を占めてしまい、以降、まるで中毒にでもかかったみたいに大福への欲求が治まらなくなってしまった。
しかし、まがりなりにもダイエット中。
自分の中では、おやつを食べるのはタブー!
そこで一考。
皿に切餅を並べ、チンしてやわらかくなったところに餡をかけたものを製作(“調理”といえるほどのものではない=カレーライスのカレーを餡に、ライスを餅にした感じのもの)。
そして、
「これは菓子じゃないぞ!御飯だ!御飯!」
「俺は欲望に負けたわけじゃない」
と、言い訳にしかきこえない屁理屈で痩せたダイエット魂を押さえ込んだ。
そして、これ一回きりでは済まず、以降、何回かこのヘンテコメニューに舌鼓を打ったのだった。

余談だが・・・
私は子供の頃から“つぶ餡派”。
団子でも餅でも饅頭でもパンでも、つぶ餡のほうが好き。
舌やノドに纏わりつくようなこし餡のネットリした感覚・・・あの感じが苦手なのである。

一応のダイエットが完了し、今は、体重維持に努めている私。
体重が減りすぎても困るので、今は、少々の甘味は普通に食べている。
ただ、上記の後遺症か、今でも、大福中毒がでることがある。
無性に大福が食べたくなることがあるのだ。
先日も、スーパーに買い物に行った際、まったく買う予定のなかった大福を買ってしまった。
それは二個で一パック、ふっくら丸々として見るからに美味そう。
パッケージには「十勝産小豆使用 甘さひかえめ」と、人の弱みにつけ込むようなことが書いてある。
その上、賞味期限は翌日なのに2割引。しかも、残りはそれ一パックのみ。
これを買わない手はなく、結局、私は大福に降服しささやかな幸福を手に入れたのだった。


ある暑い時季のこと、特掃の依頼が入った。
現場は、某県某市。
行政区分は“市”ではなったが、実際は“村”も同然。
その地域には数軒の家屋が点在しているだけで、カーナビにも登録がないくらいの山間。
単独で現場にたどり着くのは困難と判断した私は、最寄り駅(といっても現場からかなり遠い)駅で依頼者と待ち合わせ、そこから一緒に現場に行くことにした。

約束の日時。
依頼者である初老の女性とその娘夫婦は、遠路はるばるやってきて待ち合わせの駅に降り立った。
まず、我々は、顔合わせと簡単な挨拶を済ませた。
それから、女性達はタクシーを拾い、私は、その後をついて車を走らせた。

車は、どんどんと山の奥の方へ。
そうしてしばらく走って後、二台の車は一軒の家にたどり着いた。
その家・・・小屋といったほうがシックリくる建物は、長閑(のどか)な田園風景が広がる山間部にポツンと建っていた。
まわりは空と山と田畑のみ。
遠くに数軒の人家が散らばっているのみで、人の気配はなし。
家の敷地にも樹木雑草がうっそうと生い茂り、雑草に埋もれた畑の夏野菜が主の不在を暗示。
そこら辺には爬虫類や毒虫もいそうで、長閑さを越えた不気味さがあった。

不気味なことになっているのは、家の中も同じこと・・・いや、家の中はそれ以上。
隙間だらけの家からは、異臭がプンプン。
部屋の中には、蝿がブンブン。
マスク内の息は熱気に圧されてフンフン。
故人がつくりだした死の痕によって、この家全体を異様な雰囲気につつまれていた。

亡くなったのは、この家で一人暮していた依頼者女性の夫。
二人は、夫婦でありながらも別居生活を送っていた。
ただ、それは不仲が原因のことではなく、嗜好の違いによるものだった。

故人一家は、離れた都会に家を持ち、長い間そこで生活していた。
現役時代の故人は、何年にも渡って、自分のため家族のため働いた。
子供成長と家族の幸せを励みに頑張った。
そして、迎えた定年退職。
そのときは既に子供達も成人・独立し、住宅ローンも終わっていた。
そこで故人は、ある計画を実行に移すことに。
それは、田舎暮らし。
もともとアウトドア志向で田舎の自給自足暮らしに憧れていた故人は、かねてから田舎への移住を計画していた。
「やりたいことも我慢して働いてきたのだから、老後くらいは好きなことをやらせてあげよう」と、家族もそれを了承していた。

しかし、女性はそれに同行することはできなかった。
都会生まれ・都会育ちの女性は、まったく気がすすまず。
爬虫類や昆虫類は大の苦手で、たまに故人が連れて行ってくれた(連れて行かれた)キャンプやBBQくらいがギリギリ。
ここは夫婦一緒に暮らすのが自然だったのかもしれないけど、水洗トイレも美容院もない田舎暮しなんてとてもできるものではなかった。
そして、それは、長年連れ添った故人も理解していた。
結局、故人は、夏場は田舎で一人で暮し、冬場は実家で女性(妻)と暮らすことにし、二人は離れ離れの生活を送ることにしたのだった。

女性と故人は、月に2~3度の電話やメールで連絡をとりあった。
故人は、大方の人が嫌がる生活の不便さを逆に楽しんでいるようで、返ってくる声はとても活き活きとしていた。
女性も、“音沙汰ないのは達者な証拠”とばかり、老後になってやっと与えられた“独身生活”を満喫していた。
しかし、あるときから、故人は電話にでなくなりメールの返信もよこさなくなった。
ただ、携帯電話の操作ミスや本人の無精から、以前にも似たようなことがあったため、始めは気にも留めなかった。
が、一ヵ月も過ぎるとさすがに心配に。
安否確認を頼めるような人は近くにいなかったため、女性はソワソワと落ち着かない気分に引っ張られるように故人宅に出向き、そこに起こった異変を目の当たりにしたのだった。

やりたいことをやることは大きな幸せ。
食べたいものを食べ、飲みたいものを飲むことも、
話したいことを話し、聞きたいことを聞くことも、
行きたいところへ行き、見たいものを見ることも、
歩きたい道を歩き、生きたいところで生きることも。
そう考えると、晩年の故人は幸せだったのではないかと思った。
都会生活に比べて不自由なことも多かっただろうし、想像もしなかった困難に遭遇したこともあっただろうけど、長年の夢を実現させたわけで、最期はどうあれ、そこには、それまで味わったことのない幸せがあったのではないかと思った。


人間は、幸せを求める生き物。
そして、幸欲が尽きない生き物。
幸欲が次の幸欲を呼び、際限なく幸せを求める。
まるで、中毒にでもかかったかのように・・・
ただ、この中毒は、悪いものではない。よいものである。
努力すること、忍耐すること、正しく生きることを後押ししてくれるから。
ただ、毒になることもある。
人を駄欲に走らせ、利己的なところへ引っ張ることがあるから。
そして、この中毒は、
「人の幸せって何だろう・・・」
「自分とっての幸せって何だろう・・・」
と、“幸せの定義”という難題に答えられないでいるところに、自分の幸福度を人の好遇・不遇と比べて量るという安易な方程式をもたらす。
量れないはずの幸せを量ることによって、幸せを得させようとする。
結果、その心の中には、人の不幸で自分の不幸感を紛らわそうとする嫌なものうまれる。私のように。

幸せというものは、かたちが見えるようで見えず、見えないようで見える。
気の持ちよう・心の持ちようで得られることもあり、気の持ちよう・心の持ちようで失うこともある。
求めれば得られるものでありながら、求めたからといって得られるものではない。
ときに、求めなくても与えられる・・・多くの幸せは、“気づき”によって与えられる。

身の回りには、様々な幸せがたくさんある。
人には、人それぞれ身の丈に合った幸福がある。
他の人とは共有できない、それぞれの感性や感覚に与えられる幸福がある。
身に余る欲求に支配された幸福は、もはや幸福ではない。
食べ過ぎる大福が害になるように。

そう・・・
“食べる”という幸せもさることながら、その周囲には“食べることができる”という幸せもある。
つい見過ごしがちだけど、なんだか、そっちの幸せのほうが多い(?)大きい(?)ような気がする。
そして、それに気づくこと、気づけることもまた一つの幸せ。
「それを知って食べる大福は、図らずも至福の味になるのだろう・・・」
と、抑えられない幸欲に唾をのむ大福中毒の私である。


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ドロー

2014-12-31 12:34:25 | 特殊清掃 消臭消毒
「金は払わないからな!!」
電話の向こうの依頼者は、恫喝するかのように大きな声をあげた。
「フッ・・・」
返事をするのもバカバカしくなった私は、失笑して黙り込んだ。

ことの経緯はこう・・・
相手はアパートの大家。
所有するアパートの一室で住人が孤独死。
生活保護を受けていた故人は社会との関わりが少なく、遺体はかなりの腐乱状態で発見。
賃貸借契約には連帯保証人も立てておらず、結果として、部屋の復旧は大家が負うしかなかった。
しかし、大家はそれが承服できず。
「この部屋だけが廃墟になるのさえ諦めれば問題ない」
と、アパート住人からの苦情を無視。
異臭が出ようが、虫が出ようが、
「ニオイなんてそのうち消えるし、虫もそのうちいなくなる」
と、何日も放置。
しかし、それで問題が片付くわけはなく、事は深刻化するばかり。
いくら言っても腰を上げない大家に堪忍袋の尾を切らした住人達は、
「出て行く!」「引越費用を払え!」
と、大家に詰め寄った。
大家としては、住人に出て行かれては困る。
引越費用の負担なんて論外。
それで、結局、うちに電話を入れてきたのだった。

大家は、私に関係のない文句と愚痴を連発。
愚痴を聞くのも仕事のうちだから、黙って聞く姿勢をとりつつも、故人やアパート住人に対する悪口は度が過ぎており、かなり耳障りなものだった。
そして、その偉そうな態度とぶっきらぼうな喋り方に、私は、本能的に嫌悪感を覚えた。
ただし、そこは仕事。
「あまり関わりたくないタイプだな・・・」
と思いつつも、
「仕事!仕事!」
と自分を割り切らせて、言われるままに足を現場の方へ走らせた。

大家宅は、現場となったアパートの目と鼻の先。
私は、まず大家宅を訪問。
この地域の一般的な住宅に比べて、あきらかに敷地は広く、家も立派。
大家は、それなりの資産家であることが伺えた。
しかし、外は荒れ放題。
庭の雑草は生い茂り、軒先にはゴミの類が散乱。
私には、それが家主の人間性を表しているようにみえて、大家に対する悪印象に輪がかかった。

インターフォンを押すと、初老の男性が玄関からでてきた。
それは、大家本人。
私は、無言の手招きに従い門扉をくぐり玄関前へ。
大家は、私に家に入るよう促してきたが、敵の陣地に入るような抵抗感を覚えたため、
「作業服があまりきれいじゃないですから・・・」
と家へあがることを断り、そのまま玄関先での立ち話で済ませることにした。

大家は、電話越しに抱いた印象通りの人物。
横柄な態度と雑な言葉づかいは電話口と同じ。
更には、まだ陽も落ちていないのに、酒の臭いをプンプンさせ、赤ら顔に充血した眼を泳がせていた。
そして、今回の件を余ほど腹立たしく思っているのだろう、呂律(ろれつ)の回っていない口から、電話口で吐いたはずの悪口雑言を再び私に吐いた。

しかし、いくら大家の不満をきいても何も解決しない。
私は、まずは現場を見る必要があることを伝え、
「一緒に現場に行って下さい」
と大家に言った。
しかし、大家は、
「一度見たから、もう見ない」
「あんな気持ち悪いもの、二度とゴメン!」
とピシャリ。
もちろん、私は、一人で行くのが心細かったのではない。
後でトラブルになるのを避けるため、現場で打ち合わせをしたかっただけ。
しかし、趣旨を説明しても大家は面倒臭そうにして動こうとせず。
“理の通じない相手”と判断した私は折れて、結局、一人で現場を見てくることにした。

大家宅に車をとめ、私は歩いて現場アパートへ。
先入観も手伝ってか、アパートが近づくにしたがって、私の鼻は異臭を感知。
それに導かれるように、私の足は迷うことなく現場の部屋の前まで行ってとまった。
同時に、私の眼には、インパクトのある光景が飛び込んできた。
異臭が漏洩しているだけならまだしも、玄関ドアの下部から濃淡のある黒茶色の腐敗液が流れ出していたのだった。

ドアの向こう側がどんなことになっているのか、想像するのは容易だった。
相当量の腐敗物が滞留しているのは明白で、私は、専用マスクとグローブをキッチリ装着してドアノブを引いた。
すると、案の定、室内には更にインパクトのある光景が広がっていた。
腐敗粘度は厚く堆積し、腐敗液は広範囲に拡散し、足元は元人体でドロドロ。
履物をはじめ、下に置いてあるものは何から何まで腐敗粘度に埋もれ、何から何まで腐敗液まみれ。
玄関の上り口はもちろん、狭い台所床も全滅。
更に、大量発生したウジによって、腐敗脂が天井にまで到達。
遺体が相当なレベルにまで溶解していたのは明白だった。

現地調査を終え、再び大家宅に戻った私は、作業内容・費用・想定される作業結果を伝えた。
しかし、大家は、私の説明をキチンと聞きもしないで、
「住人に出て行かれちまうから、とにかく早くやれ!」
という。
私は、その言い草に強い不快感を覚えながら、
「仕事!仕事!」
と自分に言いきかせて、車をアパート方へ移動した。
そして、衰えてきた身体と、培ってきた経験と、愛用の装具備品を駆使して、凄惨な現場に身を投じ、故人が残した厄介はものに挑んだ。
「こんなこと・・・俺もよくやるよな・・・」
と、自分を卑下しながら、自分を褒めながら。
心で少し泣きながら、心で少し苦笑いしながら。

作業を終えた私は再び大家宅へ。
そこで、大家に作業前と作業後の画像を見せ、事前に説明した通りの作業はキチンと行ったことを報告した。
すると、大家は、ウ○コ男と化した私に向かって、
「んん・・・随分くせぇなぁ・・・」
と前置きし、
「財布になかったんで、とりあえずこれだけな」
「残りは用意しとくから、近いうちにとりにきな」
と、代金の半額分の紙幣をふて腐れたような態度で差し出した。
一刻も早く大家との関わりを切りたかった私は、それを受け取り、礼も捨て、そそくさとその場を後にした。

その翌日、難仕事を終えた安堵感は、アッケなく消えた。
結局、住人の何人かがアパートを出て行くことになったのだ。
それにともない、
「(住人に)出て行かれたんじゃ、掃除した意味がないだろ!」
「これ以上、金は払わないからな!!」
と、大家は無茶苦茶なことを言いだした。
対して、理路整然と話がしたくても、大家は人格のせいか酒のせいか、会話そのものが成立せず。
口論に至る前に一方的に話は締められ、解決の糸口もつかめず。
第三者の協力を得ようと、不動産会社に相談しても、
「賃貸借契約を仲介しているだけで、管理業務まで受託しているわけじゃないから関知しない」
とのこと。
また、大家には他に家族がいたけど、
「(特掃を)頼んだのは自分じゃないから・・・」
と、誰も表に出でこず。
誰も彼もが、普段から、この大家のことを持て余し、距離をあけているようだった。

大家は、
「サイン(契約書)なんか関係ねぇ」
「裁判でも何でもやればいい」
「払わねぇものは払わねぇ!」
と一点張り。
「常識も社会通念も法も倫理も俺には通用しない!」
といった構えで、完全にイッちゃっていた。

私は、このタイプの人間と関わるのは、かなり嫌。
関われば関わるほどブルーな気分を味わうハメになるし、時間ももったいない。
わずかな残金の代償としては、割が合わない。
ドロドロの泥試合をしたくなかった私は、悔しかったけど仕方なく泣き寝入り。
結局、代金は半額を回収したのみで、この揉め事は自然消滅させた。
ただ、私は、あまりに悔しすぎて、これを“敗北”とは認めたくなかった。
しかし、どうみても“勝利”ではなかった。
「半金回収できたんだから、“引き分け”ってとこだな・・・」
ムシャクシャする気分をいつまでも引きずりたくなかった私は、そう自分に言いきかせながら、しばらくの時を過ごしたのだった。



2014年も今日でおしまい。
年内にもう一度は山に行きたかったのだけど、結局、雑用に追われて計画倒れに終わってしまった。
仕方がないので、山はまた来年に行くことにして、代わりに、隙間時間を使ってウォーキングに励んでいる。
ジッとしているほうが楽と言えば楽だけど、楽したがる自分に楽ばかりさせていては進歩がない。
少しくらいは弱い自分と対峙しないと、人生は面白くない。
だから、人生を重ねて、とにかく歩いている。

例年通り、今年も色々あった・・・
もちろん、楽しかったこと、嬉しかったこと、面白かったことばかりではない。
ウンコ便器に手を突っ込んだこと・・・
ゴミ山に埋もれたこと・・・
ゴキブリ雨に降られたこと・・・
ハエ弾を浴びたこと・・・
ウジ地雷を踏んだこと・・・
ブラ下がる紐に悪寒が走ったこと・・・
血の海に立ちすくんだこと・・・
火災煤に真っ黒になったこと・・・
元人間に人を覚えたこと・・・
死人から何かを受け取ったこと・・・
凄惨な現場に鍛えられたこと・・・
雑言を浴びて悔しかったこと・・・
裏切られて腹が立ったこと・・・
自分のクサさに凹んだこと・・・
死に別れて悲しかったこと・・・
汗を流したこと、涙を流したこと・・・
目の前には、逃げ出したくなるような現実があった。
そして、逃げ出したくなるような現実は、常に私の回りを取り巻いている。

駄欲、怠け心、遊興、快楽、見栄、誘惑etc・・・
易々とそれらに負ける自分がいる。
弱い自分と戦えない自分、戦わない自分、戦おうとしない自分がいる。
ただ、自分の弱さとは戦えるような気がする。
そして、たまには自分の弱さに勝ってみたいと思う自分がいる。

私は、まだまだ頑張りが足りない・・・
・・・自分でそう思う。
だからと言って自分を卑下する必要もない。
そう思うということは、“まだ頑張れる余地がある”ということ・・・
そう思えるということは、“まだ頑張れる余力が残っている”ということ・・・
・・・“もっと頑張れる可能性がある”ということだから。

「弱い自分に負けっぱなしの人生だけど、来年こそは負けを混ませないようにしないとな」
「そして、人生の後半戦は、せめて引き分けにくらいに持ちこみたいもんだな」
そう思いながら見上げる大晦日の青空は、新しい年に向かって、この曇りがちな心を凛と照らしてくれているのである。



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自悶自闘

2014-11-01 15:02:29 | 特殊清掃 消臭消毒
今年の夏も暑かった!過酷だった!すごく疲れた!
好きじゃない栄養ドリンクを飲んで踏ん張ったり、嫌いなコーヒーを飲んで眠気をごまかしたりして、何とかしのいだ。
しかし、もう11月。
気がつけば秋涼の風に、ジャンパーを羽織る季節になっている。

季節が変わっても、私は、相変わらず。
変わりばえのない毎日を過ごしている。
良いことと言えば、臭休肝二日が途切れることなく堅持できていること。
月単位で平均すると、週休肝三日くらいにはなっている。
一度に飲む量が減らせていないのが難点だが、我ながら上出来だと思っている。
悪いことと言えば、体重が重いこと。
ここ何年も体重は気にしていなかったのだが、9月のとある現場で荷物を抱えて階段を何度も昇降する作業に従事したときバテてしまったことがあった。
作業終盤になると、やたらと身体が重く感じ、かなりしんどい思いをしたのだ。
家に帰ってから量ってみると、体重は、身長に対する標準体重より5kg余オーバー。
もともと痩型だとは思っていなかったけど、5kg余も超過していたとは・・・さすがに無視できなくなった。
結果、ひと月くらい前から、食事量に気をつけるようにしている。
「ダイエット」というほどではないけど、これまで当り前のようにしてきた大盛・ドカ喰いはできるだけしないように心がけている。
週休肝二日と同じように、何とか“大盛・ドガ喰い禁止”も習慣化したいものである。

何はともあれ、この季節は、同じ仕事をしていても、身体は随分と楽。
労苦に中にあっても、身体を動かすのが心地よかったりする。
それでも、歳をとった分だけ体力は衰えている。
たまに弱い自分に勝てることはあっても、過ぎる時間にはどうやっても勝てない。
季節の移ろいは喜べても、歳の重なりはなかなか喜べない。
せめて、よい歳のとり方をして、歳相応の人格・素養を身につけたいものである。



それは夏の暑い日のことだった・・・
呼ばれて訪れたのは、郊外の街に建つマンション。
週末の街には、のんびりとして空気が流れていた。
ただ、依頼者の男性はそれどころではない雰囲気。
落ち着かない様子で私を建物の陰に誘い、亡くなったのは自分の兄で、発見がかなり遅れたことを私に告げた。

「孤独死」とだけ聞いてきた私だったが、発見が遅れたことを知ったくらいで驚くわけはない。
社会における自分のポジションを考えると、並の汚損で私が呼ばれるわけはない。
むしろ、現場に特別な汚損が生じていることを、“自然のこと”と私は受け取った。
とにもかくにも、“百聞は一見にしかず”。
私は、無神経な質問を避けるため、とりあえず、何も訊かないまま部屋を見てくることに。
男性から鍵を預かり、愛用のマスクを隠し持ち、一人、現場の部屋に向かった。

玄関ドアの前に立った私は、周囲に人影がないことを確認。
そして、ドアの隙間に鼻を近づけ、臭気を確認。
すると、とがらせた鼻はかすかな異臭を感知。
それから、小脇に挟んでいたマスクを首にブラ下げ、鍵を鍵穴に挿入。
錠が解けたことが手に伝わると、そのままノブを引き、ドアの隙間に身体を滑り込ませた。

室内には、腹をえぐるような異臭が充満。
私は、すぐさまマスクを装着し土足のまま前進。
すると、そこには、想定外の光景が・・・
「!?・・・血・・・自傷・・・自殺・・・」
吐下血病死の可能性も否定できなかったが、血の様相から、私はそう断定。
そして、足を止め、マスクの中で深い溜息をついた。

故人は、傷ついた身体で部屋中を歩き回ったよう。
血液汚染は居室だけにとどまらず、浴室・トイレにわたり、床面は血まみれ。
そして、壁面をもおびただしく汚染。
更に、微小ではあったが、血は天上にまで飛散。
しかも、発見はかなり遅れ、遺体はヒドク腐敗。
狭い1DKの建材も、そこにある家財生活用品も全滅の状態だった。


部屋のこの光景は、依頼者の男性(故人の弟)も目にしていた。
ただ、玄関ドアを開けて見ただけ。
遺品のチェックをするために室内に入ろうと試みたのだったが、凄惨な光景と凄まじい悪臭が無言の圧力となって男性の進路を遮った。
「警察の方から状況を聞いたので、だいたいのことは想像してきたつもりなんですけど・・・」
「現実はそれをはるかに越えてまして・・・」
と、意気地のない自分を恥じるように苦悶の表情を浮かべた。
次に、
「一人でやるんですか!?」
と、作業を頼んだ私が一人で準備にとりかかる姿をみて驚きの表情をみせた。

「えぇ・・・大の男が二人でやるような作業ではありませんから・・・」
「こんなこというのは失礼かもしれませんけど・・・“気持ち悪い”とか“恐い”とかないんですか? 身内でも抵抗あるのに・・・」
「まぁ・・・全くないということはありませんけど、さすがに慣れましたね・・・」
「それにしても・・・」
「それに・・・食べていくための仕事ですから・・・」
「・・・」
「あと、一人だと作業もマイペースでできますし、移動のときも気楽ですから・・・」
「・・・」
「“変態”みたいに思われるかもしれませんけどね」
「そんなことはないですけど・・・」
呆れたのか感心したのか、納得したのか私に同情したのか、男性は、それ以上は何も訊かず、神妙な面持ちで、
「よろしくお願いします」
とだけ言い、部屋に向かおうとする私に頭を下げた。


死因は、やはり自傷自殺。
故人は、何年も前から精神を患っていた。
家族も色々と手は尽くした。
病院にかかるのはもちろん、宗教に入れたり、専門のカウンセリングを受けさせたりと。
再生を期待する故人も、それらと積極的に関わった。
しかし、本人・家族の奮闘も虚しく、故人は自らの手で自らの人生の幕を引いたのだった。

自傷自殺の場合、汚染規模が広いことが多い。
私の経験だけで言うと、自傷者は、血を流しながら部屋中を歩きまわる傾向が強い。
倒れる寸前まで歩き回る・・・
何を考え、何を感じ、何を思いながら歩き回るのだろう・・・
未来への虚無感か・・・
生きることをやめる悲哀か・・・
生きる使命を解かれる解放感か・・・
生きなければならない責任から逃れられる安堵感か・・・
過去のツラかった出来事か・・・
昔の楽しかった想い出か・・・
とても察することはできないけど、そこには、悪臭だけでなく重苦しい空気も充満しており、慣れた私でも浮かない気分に苛まれた。
と同時に、それまでにもあちこちの現場で覚えてきた同志的な感情を抱いた。

これまでにも、何度となく書いてきたように、こんな現場の清掃は時間も手間もかなりかかる。
この仕事も、かなりの時間がかかることが明白だった。
しかも作業は単調。粘り強さと根気がいる。
忍耐・努力とは無縁の人生を歩いてきた私には、これがなかなかキツい。
一箇所に集中できる時間は短く限られている。すぐに飽きてくるのだ。
そうは言っても、もちろん、仕事を途中で投げ出して部屋を出ていくなんてできるわけはない。
だから、転々と景色(場所)を変える。
部屋が少し終わったらトイレに行き、トイレは少し終わったら浴室に行き、浴室は少し終わったら台所に行き、台所が少し終わったら部屋に戻り・・・という具合に。

そこにあったのは、まぎれもなく死の痕だったが、
故人の手の痕、足の痕、身体の痕は生の痕のようだった・・・
血の痕は苦悩の痕のようだった・・・
赤黒い色は、戦いの痕のようだった・・・
生きることとの戦いを終えた故人を前に、自分との戦いに敗れそうになった私は、目の前の汚れが人の血で、そこが死の現場である現実をできるだけ頭の隅へ追いやり、また、薄っぺらい同情心と自己中心的な感傷をできるだけ心の隅へ追いやり、「終わるまで帰らない!終わるまで帰らない!終わるまで帰らない!」と、弱い自分に何度も釘を刺しながら、“労苦”という名の生きる術に必死にしがみついたのだった。


一仕事を終えると、相応の安堵感とそれなりの達成感はある。
誰に評価されるわけでも、誰に褒められるわけでもないけど、場も業も忘れて明るい気分になれる。
それでも、苦悩が消えることはない。
「生とは?」「命とは?」「死とは?」「幸とは?」「愛とは?」「人間とは?」「自分とは?」 
変わりばえしない毎日の幸運と変わりばえしない毎日の不運の間で、
天と地の間で、
理想と現実の間で、
昨日と明日の間で、
朝と夜の間で、
私と特掃隊長の間で、
生と死の間で、
自問自答に自悶自闘しながら、2014秋も私はここに生きている。



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察心

2014-03-27 12:10:33 | 特殊清掃 消臭消毒
仕方がないことと諦めつつも、なかなか割り切れないことがある。
それは、うちのチビ犬のこと。
正確な年齢はわからないものの、身体の具合からみて、もう結構な高齢であることは間違いない。
ここのところ、加齢が原因と思われる身体機能の衰えが顕著に現れてきているのだ。

足腰はだいぶ弱り、飛び跳ねることはもちろん、もう走ることさえしない。
更に、今では、あまり長い距離は歩かなくなっている。
つい、一年くらい前までは、散歩にも喜んで出掛けていたのに・・・
少し前のことなのに、一緒に歩いたあたたかい日々が懐かしく思える。

両眼球は白く濁り、片目は完全に失明。
もう片方の目も、あまりよく見えていないよう。
歩いていて、壁や物にぶつかることも珍しくない。
それが不安なのか、夜もあまり安眠できていないよう。
たまにだけど、夜中や早朝に鳴く(泣く?)こともある。

食欲はあるけど、以前に比べて明らかに食べる量は少なくなった。
だから、体を触ると、皮膚の下にすぐ骨を感じるくらいに痩せてしまっている。
出会った頃は、メタボ気味だったのに・・・
この頃は、少しでも体重が増えるように、できるだけ好きなものを与えるようにしている。

トイレの失敗もよくするようになってきた。
以前は、回数も少なかったし、躾のつもりで、いちいち叱っていた(かなり甘い叱り方だけど)。
しかし、今は、もう許している。叱ったりしない(たった一犬の糞尿掃除なんて、特掃隊長にとっては朝飯前だし)。
当人(当犬)だって、わかっていると思うから。
思うようにできないことで、悲しい思いをしているかもしれないから。

とにもかくにも、その様はちょっとツラい。
余計に手がかかることが負担になってきたのではない。
世話をしてやることが重荷になってきたのではない。
とにかく不憫、可哀想に思えて仕方がないのだ。

有限は万物の宿命。
生き物に生老病死はつきもの。
寄る年波に勝てないのは犬ばかりではない。
動物に比べて賢いとされる人間だって同じこと。
それを割り切り諦めるしかない。
それを理解し納得するしかない。
それでも、悲しいものは悲しいし、寂しいものは寂しい。

コイツが死んでしまうことを想像すると、目が潤んでくる。
“ペットロス”・・・私は、モロそれに陥りそうだ。
もちろん、私の方が長生きする保証はどこにもないのだけれど。
どちらにしろ、老い先は長くなさそう。
だから、今のうちにその姿を目に焼き付け、一緒に過ごす時間を心に焼き付けたい。

どう案じても、犬は言葉が話せない。
その気持ちを察してやるしかない。
もちろん、限界はある。
当人(当犬)にしかわからないこと、他人にはわからないことは多いはず。
それでも、できるかぎり相手の立場になってものを考えようとすることは大切だと思う。
独り善がりにならないように、親切の押し売りにならないように気をつけながら。
犬のためを思ってしていることが、実際は自分のためであることも忘れないようにしながら。



呼ばれた現場は、郊外に建つ普通のアパート。
軽量鉄骨造の極めて庶民的なもの。
その一室の中の浴室で、住人が死亡。
「浴室死亡」とだけ聞いて行った私は、汚腐呂ばかりを想像。
しかし、玄関を開けると、特に異臭は感じず。
普通の人ならニオイがすることに違和感を覚えるところ、私はニオイがしないことに違和感を覚えながら、すぐ脇にある浴室の扉を開けた。

幸い、遺体は死後半日で発見。
しかも、寒冷の季節であり、湯に浸かっていたわけでもなく、遺体には、特段の腐敗現象は現れていなかった。
そのため、目の前に現れた浴室は、きれいそのもの。
一般的な生活汚染が多少あるものの、遺体がらみの汚れやニオイは皆無。
そんなノーマルな浴室に、特掃魂の着火準備を整えていた私は少し拍子抜けしてしまった。

それでも、大家は、浴室の造り替えを要求。
清掃復旧は容認しない構え。
しかし、一般的なユニットバスでも、新しく造り直すには数十万円もかかる。
清掃・消毒なら高くても数万円。
その差は歴然だった。

依頼者の男性(故人の息子)は、大家の要求が納得できず。
浴室は、特別の汚損が発生したわけではなし。
ただ、故人が最期を迎えたのが浴室だったというだけ。
にも関わらず、大袈裟な工事を要求され、男性は、困惑を通り越し、憤りさえ覚えているようだった。

男性は、「大家に特掃作業の内容と使う薬剤を説明してほしい」という。
私が呼ばれた理由の核心はそこにあった。
そこには、「浴室改修を考え直すよう、大家を説得してほしい」という意図が見え隠れ。
その打算を察した私は、大家と話すことに対して気分が乗らず。
浴室を改修しないことになってもすることになっても、結局は、どちらかに加担するかたちになり、どちらかに恨まれ、責任を転嫁されることになるかもしれなかったからだ。

そんな気分を無視するかのように、少しすると大家が現れた。
その表情はやや憮然。
それを見た私の気分はますます後退。
それでも、無理矢理に愛想笑いを浮かべて、大家の気持ち解きほぐそうと努力した。

私は、大家に、この浴室はキチンと掃除と消毒を行えば通常使用できる旨を説明。
大家は、私の話を黙って聞いてはいたものの、「そんなの関係ない」と、内心では聞く耳を持っていない感じ。
その心情を察した私は、今度は男性に、死の現場では物理的な問題が解決しても精神的な問題が解決しないことが多いことを説明。
その上で、当浴室も、物理的に使用できるか否かを問わず、精神的に使用を困難とする人が少なくないはずであることを説明。
すると、今度は男性の表情が憮然となり、気マズイ雰囲気に。
結果、私が悪者のようになってしまい、頼まれて来たのに“お呼びでない”状態になってしまった。

人口減少の時勢にあっては、ただでさえ空室を埋めるのは楽じゃない。
死人がでた部屋なら尚更で、新たな借り手はつきにくい。
その策としては、家賃を地域相場より低く設定するほかない。
場合(風評等)によっては、その部屋だけではなく、アパート全室の家賃を下げざるを得ない状況に陥ることだってある。
大家にとって、浴室交換は、予想される経済損失を少しでも小さくするための最低限の必須策だった。

もともと、賃貸物件では、退去後の原状回復についてトラブルが起こりやすい。
部屋を使用すれば、ある程度の汚損が発生するのは当然のこと。
長く住めば、経年変化や損耗も発生する。
この復旧に関する責任の所在について、賃貸人と賃借人の間でトラブルが起こるのは珍しくないことなのだ。

故人は、借り物の自宅で、ただ亡くなっただけ。
特段の罪を犯したわけではない。
自殺は意図的な行為だから賃借人に重過失が認められる場合が多いけど、自然死の場合は賃借人に過失が認められにくい。
法的に、事故死・事件死・自殺等が過失死と解釈されるケースはあるけど、病死・老死・自然死等は過失死と解釈しようがないから。
それでも、そんな理屈に関係なく、大方の人は本能的に死を忌み嫌う。
そして、それがトラブルの素になる。

どちらにしろ、全て責任を賃借人が負うのはバランスが悪い。
そうは言っても、賃借人に契約違反、故意、過失、良識を逸脱した使用、善良なる管理者の注意義務不履行等がある場合にも賃貸人が責任を負うのはおかしい。
やはり、社会通念に照らし、状況によって賃貸人・賃借人双方がバランスよく責任を分担するのが望ましい。
(国土交通省がガイドラインをだしてはいるけど、明確な基準や法的拘束力はない。)

男性の気持ちはわかった。
大家の気持ちもわかった。
また、二人も、お互いの気持ちを察することができないわけでもなさそうだった。
ただ、私には、本件を裁定する見識も権限もない。
更に、この件に首を突っ込むのは、自分のためにならないと判断。
考えた末、浴室改修工事にかかる費用を大家と男性で折半することを提案。
そのうえで、もう一度、よく話し合うこと、そして、それでも決着がつかない場合は、専門家に相談し公の場に出ることを勧めた。


本件の私の動きは、現地調査。
そして、結論がでないため、清掃消毒作業は依頼されず。
したがって、代金は発生せず、ただのタダ働きに。
しかし、男性も大家も、私のことを“役立たず”と思ったのか、「ご苦労様」「ありがとう」の一言も口にせず。
それどころか、一通りの話が終わると、「もうアンタに用はない」といった雰囲気を漂わせながら黙り込んだ。

私の内心には、そんな二人に対する不満が沸々・・・
しかし、その捌け口はどこにもなく・・・
私は、人の気持ちを察した疲れと、自分の気持ちを察してもらえなかった悔しさを抱えたまま、黙って帰途についたのだった。



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脱出

2014-02-19 09:01:47 | 特殊清掃 消臭消毒
14日、関東に再び大雪が降った。
まさか、一週間のうち二度も大雪に見舞われるなんて・・・
翌15日も予定が入っていたのだが、それも延期。
駐車場から車を出せなくなったら困るので、前回の雪かきの筋肉痛も癒えぬまま、再び、雪かきに汗を流したのだった。

そんな冬季、朝の起床はかなりツラい。
一日のうち、憂鬱のピークは朝。
気温が低いせいもあるけど、気持ちの温度が低いせいもある。
「このまま夜が明けなければいいのに・・・」
布団を頭からスッポリかぶり、毎朝のようにそう思う。

それでも、起き上がらなければならない。
精神的なことを理由に仕事を休むようになったら、私は終わり。
そのぬるま湯から脱け出せなくなり、坂道を転げ落ちていくのみ。
だから、どんなに憂鬱でも倦怠感に襲われても、布団から這い出る。
そして、決められた労働環境に身を投じる。

私は、引きこもりの経験を持つ。
もう20年以上も前の話だが、この仕事に就く前の数ヶ月間、実家の一室に引きこもったことがある。
それは、労働なき生活。ある意味で堕落した生活。
身体は楽をしているのに、精神は極度の欝状態。
罪悪感・劣等感・虚無感・失望感・倦怠感・疲労感・恐怖感・・・
そういったものにヒドく苛まれていた。
そして、
「誰か俺を殺してくれないかな・・・」
と、そんなことばかりが過ぎる頭を抱えてもがいていた。

その後遺症は、今も、バッチリ残っている。
昔話としてスッキリ片付けられないものが、心に根を張っている。
だから、常に自分を注視しなければならない。
意識して自分を警戒しなければならない。
今尚、脱け出したい現実の中にいるわけだから。


現場は、街中に建つ小さなマンション。
その一室で住人が孤独死、そして腐乱。
依頼者は、マンションのオーナーである男性。
男性宅は、マンションの最上階。
私は、はじめ応接間に通され、貧相な作業着に似合わない高級感のあるソファーに腰掛けた。
予期せぬ災難が降りかかったのに、男性は落ち着いていた。
事務的に紙に部屋の間取りを書き、故人が倒れていた場所を示し、部屋の状況を私に説明。
かなりのハエが発生し、高濃度の異臭が充満していることも付け加えながら。
そして、一本の鍵を私に手渡した。

現場の玄関を開けると、著しい悪臭が私をお出迎え。
男性の説明の通りの間取りを進むと、次は、おびただしい数のハエがお出迎え。
そして、その次は、ベッドの遺体痕が私を迎えてくれた。
それを確認して後、周囲を見回すと、部屋はかなりの荒れ様。
整理整頓・清掃はロクにできておらず、生活ゴミをはじめ大量の酒のビンや缶が散乱。
独り暮らしの男性宅にありがちな様相ではあったが、自分がそれを片付ける様が想像され、ただでさえ浮かなかった気分は、更に沈んでいった。

部屋の見分を終えた私は、身に付いた異臭をともない、再び、上の男性宅へ。
ただ、そのまま男性宅に上がり込んだら、男性宅が臭くなる。
「ニオイますから・・・」
と、私は、自分を指差しながら、部屋に入ることを断った。
「大丈夫ですから・・・気にしないで下さい」
と、男性は、やや強引に、私に玄関を上がるよう促した。

ソファーは、前にも増して私に似合わなくなっていた。
が、勧められるまま腰掛けた。
そして、私は、悪臭を放つ自分に鼻をクンクンさせながら
「イカンなぁ・・・」
と心でつぶやき、身の回りの空気を動かさないよう、できるかぎり身体を小さくした。

聞けば、故人は男性の息子。
そのことと落ち着いた男性の物腰がリンクせず、私は少し驚いた。
が、その驚きは、男性の心持を乱してしまったかもしれず、私はそれを繕うため、
「どこか、身体の具合でも悪くされてたんですか?」
と、必要なことなのか余計なことなのか判断できないことを訊いた。
すると、男性は、
「昼間っから酒を飲むような生活をしてましたからね・・・」
と、故人を突き放すような冷たい口調で応えた。

故人は、30代後半
大学を卒業して、それなりの企業に就職。
しかし、「おもしろくない」と早々に退職。
以後、人間は、我慢する・辛抱する・忍耐することが必要であるということをまるで忘れてしまったかのように、職を転々するように。
そして、それを繰り返すたびに、仕事内容はどんどん不本意な方向に行き、賃金は低下の一途をたどった。
そうなると、労働意欲も低下。
結局、最期の数年間は、仕事に就くどころか、就職活動さえしない生活をしていた。

部屋は男性の所有だから、家賃はかからず。
水道光熱費、携帯電話やインターネット等の通信費も男性が負担。
プラス、生活費として月10万円ほど渡していた。
それは、働かなくても食べていける生活。
親の資力のおかげで、故人は、そんな生活を続けることができた。

故人は、自分の生活に親が干渉することを嫌った。
男性夫妻が故人と顔を合わせるのは、月一回。
生活費を渡すときだけ。
つまり「金は出しても口は出すな」ということ。
矛盾極まりない。
しかし、親子(血縁)というものは、往々にして、そういう矛盾を矛盾としない。
情愛というヤツが、通常の価値判断や理性を狂わすのだ。

故人は、酒びたりの生活を送っていた。
昼間から飲むことも日常茶飯事で、ほとんど中毒状態。
「病死ということになってますけど、自殺みたいなもんです」
「肝臓が悪いのに酒をやめなかったわけですから」
「本人だって“いつ死んでもいい”くらいに考えてたんだと思いますよ」
男性は、乾いた口調でそう言った。
そして、何かを見切ってか、何かに安堵してか、その顔に薄っすらと笑みを浮かべた。

「“親がいるうちはスネをかじり、親がいなくなれば遺産を食い潰せばいい”って考えてたんでしょう・・・」
「ここまできたら、もう、それでもいいと思ってましたけどね・・・」
「どちらにしろ、このまま長生きしたって、ロクなことにならなかったでしょうね・・・」
男性は、愚痴をこぼすように、訊きもしない話を続けた。
そうでもしないと、自分を維持できないのかもしれなかった。

残された遺品の中には、たくさんの写真やアルバムがあった。
その中には、
無邪気に笑う幼き日の故人がいた・・・
将来が期待されたであろう若き日の故人がいた・・・
人生の歯車は、いつから狂い始めたのか・・・
人生の予定は、いつから不本意な方向に進み始めたのか・・・
故人は、裕福な家に生まれ、恵まれた環境で成長し、人並み以上の教育も受けさせてもらえたはず。
なのに、社会に通用するどころか、適応することさえできず、そのままこの世を去ってしまった。

晩年の故人の生き方は、まったく賛成できるものではない。
しかし、短い期間とはいえ、似たような経験を持つ私は、故人の気持ちが少しはわかるような気がした。
そして、無情と無常がうごめくこの現実というヤツを、少し恨めしく思ったのだった。


故人の死によって、男性は、それまでの現実から脱け出した。
そして、新しい現実と、それまでになかった平安を手に入れた。
故人も、地上の現実から脱け出した。
もちろん、その後、故人がどこに行ったのか、どうなったのかはわからないが、とにかく、現実からはいなくなった。
しかし、私は、いつまでも脱け出せない現実の中。
ときに、この現実は恨めしい。
ただ、私は、一つ一つの現場を通して、一人一人の生死を通して、昨日までの自分から脱け出せているのかもしれない・・・
・・・そんな気がする。
だから、私にとって大切なのは、この現実から脱け出そうとすることではなく、留まることを覚悟すること・・・
・・・歯を食いしばってでも現実に生きることなのである。


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雪どけ

2014-02-12 13:28:14 | 特殊清掃 消臭消毒
今月の8日、大雪が降った。
何日か前から、天気予報では、大雪が降る可能性が大きいことを伝え、注意を呼びかけていた。
だから、ある程度の覚悟はできていた。
しかし、実際は、その覚悟を超えた量が降るものだから、大雪を喜ぶ子供心と仕事を心配する大人心が交錯して、私のテンションは妙に上がった。

当日の8日、私は、外での作業予定をもっていた。
休むことはもちろん、遅刻することも許されない状況にあった。
そこで、私は、大雪で出社が阻まれる可能性があることを考え、会社に泊まることに。
一度、帰宅し、夜になって再出社。
その日は、事務所で眠れない夜を過ごした。

予報の通り、8日の大雪。
早朝(夜中?)から降り始めた雪は、ひたすら降り続いた。
それでも、湿気の多い雪は、降る量に比して積もらず。
「何とか行けるか?」という期待感をもたせた。
しかし、時間が経つごとに雪は降るペースを上げ、周囲はみるみるうちに真っ白に。
とても外で作業できるような状況ではなくなり、会社に前泊した努力もむなしく、結局、予定していた作業は中止(延期)となった。

雪は、その日の夜まで降り続いた。
積雪量は、私の中で伝説になっていた昨年1月の大雪のときをはるかに超え、私の記憶の中では最大。
私は、甦った童心に動かされて、用もないのに外にでた。
そして、普段は気にも留めない当り前の景色を白い雪が覆う様をしみじみと眺め、季節の機微と夢幻を味わった。

東京では、年に何度かは、積もるくらいの雪が降るけど、そのほとんどが薄っすらと積もる程度。
だから、ほとんどの人はスタッドレスタイヤを履く習慣を持たない
タイヤチェーンを持っている人も少ないと思う。
ただ、うちは、車を使う仕事。
車を使わなければ仕事にならないわけで、冬場はほとんどの車両にスタッドレスタイヤを装着している。
お陰で、渋滞に巻き込まれたことと、運転に神経をすり減らしたことが問題だったくらいで、私自身も会社の仲間も事故やケガもなく済んだ。

その雪。
とけつつありながらも、まだ街の至るところに多く残っている。
更に、次の金曜・土曜にも降雪の可能性があるよう。
生活や仕事に支障をきたす雪だけど、どうせ降るなら、その美しさと儚さを楽しもうかな。


亡くなったのは、40代の男性。
現場は、老朽アパートの一室。
死後経過日数は3日。
依頼者は二人。
一人は、年老いた故人の母親。
もう一人は故人の妻。
故人とは別居状態にある女性。
二人とも現場には行っておらず、また、行く予定もないとのことだった。

故人の死を発見したのは勤務先の会社。
故人は、体調不良で木曜に会社を休んだ。
翌金曜は無断欠勤。
会社は、「体調が戻らないのだろう」と、たいして気にも留めず。
ただ、故人は、土日の休日を経て週が明けても出社してこず、また携帯電話にもでず。
さすがに妙に思った会社は、故人のアパートを訪問。
そこで、動かなくなった故人を発見したのだった。

私が最初に話したのは母親の方(以降「姑」と表記)。
用件は、特殊清掃・消臭消毒・遺品チェック・家財処分等の依頼。
それから、「息子の嫁だった人に電話してほしい」と頼まれ、そっちにも電話。
そして、故人の妻(以降「嫁」と表記)からも、作業についての要望等をきいた。

二人は嫁・姑の関係。
血はつながっていないけど家族は家族。
しかし、二人が醸し出す雰囲気は、その関係が険悪なものであることを感じさせた。
そして、二人が発する言葉は、その予感を確信に変えた。
それぞれお互いに対し、かなりの不満を抱えているようで、アカの他人の私にでさえ姑は嫁の悪口を、嫁は姑の悪口をぶちまけた。

「別居中とはいえ、長年連れ添った人だし・・・」
「子供の父親でもあるし・・・」
と、嫁は、形見として、故人が使っていた小物類を欲しがった。
しかし、それを知った姑は猛反発。
「アノ女(嫁)に渡すものなんか何一つありませんから、絶対に渡さないで下さい!」
と、テンションを上げた。

二人の間に挟まれた私が困惑したのは言うまでもない。
一方は「形見がほしい」、もう一方は「渡してはならぬ」と言うものだから。
しかも、二人は直接話すことをせず。
お互いに、「顔も見たくなければ、口もききたくない」とのこと。
だから、いちいち私を介してのやりとりとなり、私は、二人の間を、伝言ゲームのように言葉を運搬。
「面倒くさいなぁ」とボヤく自分と、「これも仕事のうち」と割り切る自分が交錯する中で、私は妙なストレスを抱えながら、その雑用をこなしたのだった。

故人と嫁の別居原因は、故人のルーズな金銭感覚。
故人には、深刻な浪費癖があった。
仕事はマジメにやっていたのだが、その浪費癖は、収入に見合わないくらいのもの。
ちょっとした趣味のものから車のような高額なものまで、故人は、何か欲しくなると我慢できない性格。
一度「欲しい!」と思ったら手に入れないと気が納まらず、家の蓄えを勝手につかうこともしばしばで、子供のために積み立てた保険を家族に内緒で解約したこともあった。
もちろん、現金がないときはカードを使い、カードが使えないときは借金までして。
しかし、そんな調子で返済が滞らないわけはない。
故人は、姑(母)や嫁(妻)に金を無心することもあった。
もちろん、そんな故人を姑(母)や嫁(妻)は叱責。
そして、何度となく自制を約束させた。
しかし、故人が反省するのはそのときだけ。
ほとぼりが冷めると、再び同じことを繰り返した。
そんな人が家庭を守れるわけはなく、結局、子供の面倒をみれない故人が家をでていくかたちで、故人と嫁(妻)は別居することになったのだった。

「甘やかして育てた姑が悪い!」
と嫁。
「キチンと家計を管理しない嫁が悪い!」
と姑。
二人は、互いを罪人扱い。
故人の過ちをよそに、互いを罵倒。
家族の一人が亡くなったことに対する悲哀も感じさせないくらい、激しい非難を展開した。

故人の部屋は1K。
床に敷かれた布団には見慣れた軽汚染が残留し、狭い部屋には嗅ぎなれた軽異臭が充満。
故人の経済力を表すかのように、家財道具は極めて少量。
金目のモノも見当たらなかった。
ただ、嫁が欲しがっていた小物の類はいくつかあった。
私は、嫁の要望を無視する気にはなれず、結局、「お義母さんにはナイショですよ」と言って、メガネやライター等をこっそり嫁に送った。

請け負った作業が完了して後、私が二人の女性との関わることはなくなった。
だから、その後、二人の関係がどのようになったのか、知る由もない。
遺産相続の手続きもしなければならないわけだから、あの後、一悶着・二悶着あったかもしれない。
どちらにしろ、故人の死熱をもってしても、二人が抱える蟠り(わだかまり)が、雪がとけるように消えていくことは想像しにくく、時が、その関係を険悪なまま消していくのだろうと思った。


多くの人は、何事にも寛容で、大らかな心を持ちたいと思うだろう。
しかし、人間の心には限界がある。
人を、ありのまま受け入れ、赦すのは難しい。
自分を、ありのまま受け入れ、赦すのも難しい。
事(相手)によっては、おそろしく了見が狭くなることがある。
些細なことでも、寛容になれないことがある。

心は、そのどこかに氷よりも冷たくて固い、かたくなな部分を持つ。
自分ではどうにもできない、理屈で解決できないものを持つ。
それが、自分も、誰も幸せにしないとわかっていても、雪のようにとかすことができない。
私にも、その自覚がある。

あれほど大騒ぎした雪も、時とともに消えてなくなる。
白銀の世界は夢幻と化す。
その趣と儚さは、命と重なり、また人生と重なる。
同じように、かたくなな心は、かたくななまま消えていくしかないのか・・・
そう思うと、少し寂しい溜息がでるのである。


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探しもの

2014-01-31 09:18:39 | 特殊清掃 消臭消毒
一月も今日で終わりか・・・
私にとって、この一月はえらく長く感じるものだった。
正月を祝ったのはたった一月前のことなのに、だいぶ前のことのよう・・・
精神状態がよろしくないせいで、一日一日を噛みしめながら・味わいながら過ごしたものだから、長く感じたのだろうと思う。
ま、一日一日をそうして過ごすのは、悪いことではない。
むしろ、いいことだと思う。
心地いいのか悪いのかわからない疲労感をともなうけど、時間の有限性を意識しながら過ごすのは、なかなか乙なものである。

悪いことといえば、気持ちに余裕がないこと。
そのせいかどうか定かではないけど、日常の生活で、探しているモノが目の前にあるのに視界に入らないことがたまにある。
例えば、カバンの中のボールペンとか、冷蔵庫の中の調味料とか、下駄箱の上の鍵とか。
完全に視界の中にあるのに、自分ではそれに気づかない。
冷静に探せばすぐに見つかるはずなのに、目がそれに気づかないのである。

それでも、
「ここにあったはずなのに・・・」
「おかしいなぁ・・・」
と怪訝に思いながら探し続ける。
そうすると、大方のものは見つかる。
しかも、自分の視界の中から。
そうすると、視界の中にあったのにそれが完全に見えてなかったことに気づく。
そして、「俺、どうかしてるな・・・」と、何かのトリックにひっかかったような、キツネにつままれたような奇妙な気分になるのである。


出向いた現場は、街中に建つ1Rマンション。
待ち合わせた依頼者は、若い男性。
男性は、先にいた私に近づくと緊張の面持ちで頭を下げた。

「死んだのは私の弟で・・・」
「自殺なんです・・・」
男性は、いいにくそうにそう言った。

「そうですか・・・」
「どんな亡くなり方でも、仕事はキチンとやりますから・・・」
素人みたいに驚くのは失礼だと思った私は、表情を変えずそう応えた。

男性兄弟の両親は健在だった。
が、二人とも現場には来ず。
息子を失った悲しみと、息子を愛する気持ちと、息子を救えなかった罪悪感と、自殺と腐乱に対する嫌悪感と恐怖感が複雑に絡み合い、気持ちが故人の方を向いても足が現場に向かないよう。
だから、若い男性が、家族を代表して事の処理にあたっているのだった。

故人は二十歳前。
身分は学生。
包丁で身体を刺しての自死。
将来を悲観してのことと推定されていた。

当初、故人は大学への進学を希望。
それで、高校3年のときに大学を受験。
第一志望は国公立大学。
学力や社会の評価が高く、私立大学に比べて学費が安く済むことも魅力だった。
しかし、残念ながら、第一志望は不合格。
滑り止めの私大には受かったものの、そこに魅力は感じず入学は辞退した。

当初は、浪人して試験を受けなおす予定だった。
そこで、故人は、予備校の学費を稼ぐためのアルバイトと併行して勉強を続けた。
多忙だったのか、逆に、考える余裕ができたのか、そんな浪人生活の中で、故人は精神の調子を崩すように。
あくまで想像だけど、苦学して大学に行く意義、その先に続く競争社会を戦う意味、そうまでして生きなければならない理由etcを故人は考え、その答を探せず苦悩したのかもしれなかった。
次第に、顔からは笑顔が減り、ふさぎこむことが多くなった。
そのうち、アルバイトをやめ、受験勉強も滞るように。
遊ぶことさえも意欲的にできなくなり、将来に向けての光を失っていった。

心配した家族は、故人の本心を探った。
大学進学への意欲が低下していることがわかると、それを強く勧めることもやめた。
そして、幸せな人生は学校が用意してくれるわけではないこと、興味のあること・自分が夢をもてる分野へ進むことも大事な生き方であること、学歴社会・格差社会にあって、それが通用するかどうかはわからないけど若者がチャレンジする価値は充分にあるということ等の考え方を共有した。
結果、故人は専門学校に進むことを決意。
併せて、実家を出て、通学しやすいところで一人暮らしをすることも予定した。

故人の死は、新しい生活を始めた矢先の出来事だった。
故人は、心機一転、新しい一歩を踏み出したばかりのはずだった。
将来に対する不安もあっただろうけど、期待や夢もあったはずだった。
なのに、自ら人生を終えてしまった。

当然、家族は、それを信じることができず。
また、納得もできず。
男性は、
「私達家族は、弟が最期に何を考えていたのか知りたいんです・・・」
と、強く私に訴えた。

そういう事情があり、男性は、故人の部屋を細かく確認したがった。
しかし、床と壁にはおびただしい量の血痕。
更に、腹をえぐるような異臭が充満。
男性が、そんな部屋に入れるわけはない。
とりあえず、血痕と腐敗体液の清掃をし、消臭消毒を先行することに。
それを、部屋の雰囲気や模様をできるかぎりそのままにしておくことに留意して行うことになった。

特殊清掃は、何日もかかるものではない。
時間がかかるのは消臭。
家財・建材に染みついた臭いは、そう簡単に落とせるものではない。
悪臭を抜いていく作業は、何日もの手間暇がかかるのだ。
したがって、再び、現場で男性と会うのは、それから半月余後のこととなった。

このときもまた、両親は姿を現さなかった。
それは、心の傷が一向に癒えていないことを物語っていた。
私は、そんな家族のことを気の毒に思いつつも、故人を非難する気持ちにはなれなかった。
その行為は決して賛成できるものではないけど、同類の人間として、生きるための戦いがあったことが痛いほどわかったからだった。

男性の用は、極めてプライベートなこと。
「あとでキチンと片付けますから、散らかるのは気にしないで下さい」
「時間もありますから、気が済むまでみて下さい」
と、私は、部屋を出ようとした。
すると、男性は、
「いてもらってもいいですか?」
と、私が部屋にとどまることを要望。
それは、自殺現場に一人でいるのが心細いからではなく、何かが見つかったときに冷静さを失わないようにするためのよう。
それを察した私は、内にいる野次馬に轡(くつわ)をはめて、部屋にいることにした。

男性は、クローゼットや引き出しの中はもちろん、カバンの中や服のポケットまでチェック。
故人の心情を汲み取れそうなものが何かないか、必死に探した。
しかし、遺書めいたモノは見つからず。
また、心情を知る上で手がかりとなりそうなモノも何も見つからなかった。
それでも、男性は、
「もっと生きていたかったんだと思います・・・」
と、何かを得たようなことを言い、悲哀の表情にわずかな生気を滲ませた。

故人の死は、家族に深い悲しみをもたらした。
家族の心に深い傷も負わせた。
しかし、亡くなっても、家族にとって、故人は愛する家族の一員であることに違いはなかった。
そして、そんな故人の想いを探すことは、マイナスのことばかりには思えず・・・
故人は、家族に悲しみとキズだけではなく、人生における大切なものを探す術を残したようにも思えたのだった。


人は、死にたくても生きなければならない。
人は、生きたくても死ななければならない。
人は、何のために生まれ、何のために生き、何のために死ぬのか・・・
生きていると、その答を探したくなるときがある。
ただ、その答は、容易に見つかるものではない。

しかし、ひょっとしたら、その答は、既に目の前にあるのかもしれない。
笑うこと、泣くこと、食べること、寝ること、働くこと、学ぶこと、遊ぶこと、楽しむこと、感動すること、考えること、悲しむこと、悩むこと、苦しむこと、怖れること、怒ること、頑張ること、逃げること、耐えること、努めること、戦うこと・・・・・
すべての感情、すべての行い一つ一つに、生きる意味と意義と理由があるのかもしれない・・・
自分が、それに気づいていないだけで・・・

そう思うと、いいときも悪いときも、一日一日を噛みしめながら・味わいながら過ごすことの大切さが見えてくるのである。



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