14日、関東に再び大雪が降った。
まさか、一週間のうち二度も大雪に見舞われるなんて・・・
翌15日も予定が入っていたのだが、それも延期。
駐車場から車を出せなくなったら困るので、前回の雪かきの筋肉痛も癒えぬまま、再び、雪かきに汗を流したのだった。
そんな冬季、朝の起床はかなりツラい。
一日のうち、憂鬱のピークは朝。
気温が低いせいもあるけど、気持ちの温度が低いせいもある。
「このまま夜が明けなければいいのに・・・」
布団を頭からスッポリかぶり、毎朝のようにそう思う。
それでも、起き上がらなければならない。
精神的なことを理由に仕事を休むようになったら、私は終わり。
そのぬるま湯から脱け出せなくなり、坂道を転げ落ちていくのみ。
だから、どんなに憂鬱でも倦怠感に襲われても、布団から這い出る。
そして、決められた労働環境に身を投じる。
私は、引きこもりの経験を持つ。
もう20年以上も前の話だが、この仕事に就く前の数ヶ月間、実家の一室に引きこもったことがある。
それは、労働なき生活。ある意味で堕落した生活。
身体は楽をしているのに、精神は極度の欝状態。
罪悪感・劣等感・虚無感・失望感・倦怠感・疲労感・恐怖感・・・
そういったものにヒドく苛まれていた。
そして、
「誰か俺を殺してくれないかな・・・」
と、そんなことばかりが過ぎる頭を抱えてもがいていた。
その後遺症は、今も、バッチリ残っている。
昔話としてスッキリ片付けられないものが、心に根を張っている。
だから、常に自分を注視しなければならない。
意識して自分を警戒しなければならない。
今尚、脱け出したい現実の中にいるわけだから。
現場は、街中に建つ小さなマンション。
その一室で住人が孤独死、そして腐乱。
依頼者は、マンションのオーナーである男性。
男性宅は、マンションの最上階。
私は、はじめ応接間に通され、貧相な作業着に似合わない高級感のあるソファーに腰掛けた。
予期せぬ災難が降りかかったのに、男性は落ち着いていた。
事務的に紙に部屋の間取りを書き、故人が倒れていた場所を示し、部屋の状況を私に説明。
かなりのハエが発生し、高濃度の異臭が充満していることも付け加えながら。
そして、一本の鍵を私に手渡した。
現場の玄関を開けると、著しい悪臭が私をお出迎え。
男性の説明の通りの間取りを進むと、次は、おびただしい数のハエがお出迎え。
そして、その次は、ベッドの遺体痕が私を迎えてくれた。
それを確認して後、周囲を見回すと、部屋はかなりの荒れ様。
整理整頓・清掃はロクにできておらず、生活ゴミをはじめ大量の酒のビンや缶が散乱。
独り暮らしの男性宅にありがちな様相ではあったが、自分がそれを片付ける様が想像され、ただでさえ浮かなかった気分は、更に沈んでいった。
部屋の見分を終えた私は、身に付いた異臭をともない、再び、上の男性宅へ。
ただ、そのまま男性宅に上がり込んだら、男性宅が臭くなる。
「ニオイますから・・・」
と、私は、自分を指差しながら、部屋に入ることを断った。
「大丈夫ですから・・・気にしないで下さい」
と、男性は、やや強引に、私に玄関を上がるよう促した。
ソファーは、前にも増して私に似合わなくなっていた。
が、勧められるまま腰掛けた。
そして、私は、悪臭を放つ自分に鼻をクンクンさせながら
「イカンなぁ・・・」
と心でつぶやき、身の回りの空気を動かさないよう、できるかぎり身体を小さくした。
聞けば、故人は男性の息子。
そのことと落ち着いた男性の物腰がリンクせず、私は少し驚いた。
が、その驚きは、男性の心持を乱してしまったかもしれず、私はそれを繕うため、
「どこか、身体の具合でも悪くされてたんですか?」
と、必要なことなのか余計なことなのか判断できないことを訊いた。
すると、男性は、
「昼間っから酒を飲むような生活をしてましたからね・・・」
と、故人を突き放すような冷たい口調で応えた。
故人は、30代後半
大学を卒業して、それなりの企業に就職。
しかし、「おもしろくない」と早々に退職。
以後、人間は、我慢する・辛抱する・忍耐することが必要であるということをまるで忘れてしまったかのように、職を転々するように。
そして、それを繰り返すたびに、仕事内容はどんどん不本意な方向に行き、賃金は低下の一途をたどった。
そうなると、労働意欲も低下。
結局、最期の数年間は、仕事に就くどころか、就職活動さえしない生活をしていた。
部屋は男性の所有だから、家賃はかからず。
水道光熱費、携帯電話やインターネット等の通信費も男性が負担。
プラス、生活費として月10万円ほど渡していた。
それは、働かなくても食べていける生活。
親の資力のおかげで、故人は、そんな生活を続けることができた。
故人は、自分の生活に親が干渉することを嫌った。
男性夫妻が故人と顔を合わせるのは、月一回。
生活費を渡すときだけ。
つまり「金は出しても口は出すな」ということ。
矛盾極まりない。
しかし、親子(血縁)というものは、往々にして、そういう矛盾を矛盾としない。
情愛というヤツが、通常の価値判断や理性を狂わすのだ。
故人は、酒びたりの生活を送っていた。
昼間から飲むことも日常茶飯事で、ほとんど中毒状態。
「病死ということになってますけど、自殺みたいなもんです」
「肝臓が悪いのに酒をやめなかったわけですから」
「本人だって“いつ死んでもいい”くらいに考えてたんだと思いますよ」
男性は、乾いた口調でそう言った。
そして、何かを見切ってか、何かに安堵してか、その顔に薄っすらと笑みを浮かべた。
「“親がいるうちはスネをかじり、親がいなくなれば遺産を食い潰せばいい”って考えてたんでしょう・・・」
「ここまできたら、もう、それでもいいと思ってましたけどね・・・」
「どちらにしろ、このまま長生きしたって、ロクなことにならなかったでしょうね・・・」
男性は、愚痴をこぼすように、訊きもしない話を続けた。
そうでもしないと、自分を維持できないのかもしれなかった。
残された遺品の中には、たくさんの写真やアルバムがあった。
その中には、
無邪気に笑う幼き日の故人がいた・・・
将来が期待されたであろう若き日の故人がいた・・・
人生の歯車は、いつから狂い始めたのか・・・
人生の予定は、いつから不本意な方向に進み始めたのか・・・
故人は、裕福な家に生まれ、恵まれた環境で成長し、人並み以上の教育も受けさせてもらえたはず。
なのに、社会に通用するどころか、適応することさえできず、そのままこの世を去ってしまった。
晩年の故人の生き方は、まったく賛成できるものではない。
しかし、短い期間とはいえ、似たような経験を持つ私は、故人の気持ちが少しはわかるような気がした。
そして、無情と無常がうごめくこの現実というヤツを、少し恨めしく思ったのだった。
故人の死によって、男性は、それまでの現実から脱け出した。
そして、新しい現実と、それまでになかった平安を手に入れた。
故人も、地上の現実から脱け出した。
もちろん、その後、故人がどこに行ったのか、どうなったのかはわからないが、とにかく、現実からはいなくなった。
しかし、私は、いつまでも脱け出せない現実の中。
ときに、この現実は恨めしい。
ただ、私は、一つ一つの現場を通して、一人一人の生死を通して、昨日までの自分から脱け出せているのかもしれない・・・
・・・そんな気がする。
だから、私にとって大切なのは、この現実から脱け出そうとすることではなく、留まることを覚悟すること・・・
・・・歯を食いしばってでも現実に生きることなのである。
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まさか、一週間のうち二度も大雪に見舞われるなんて・・・
翌15日も予定が入っていたのだが、それも延期。
駐車場から車を出せなくなったら困るので、前回の雪かきの筋肉痛も癒えぬまま、再び、雪かきに汗を流したのだった。
そんな冬季、朝の起床はかなりツラい。
一日のうち、憂鬱のピークは朝。
気温が低いせいもあるけど、気持ちの温度が低いせいもある。
「このまま夜が明けなければいいのに・・・」
布団を頭からスッポリかぶり、毎朝のようにそう思う。
それでも、起き上がらなければならない。
精神的なことを理由に仕事を休むようになったら、私は終わり。
そのぬるま湯から脱け出せなくなり、坂道を転げ落ちていくのみ。
だから、どんなに憂鬱でも倦怠感に襲われても、布団から這い出る。
そして、決められた労働環境に身を投じる。
私は、引きこもりの経験を持つ。
もう20年以上も前の話だが、この仕事に就く前の数ヶ月間、実家の一室に引きこもったことがある。
それは、労働なき生活。ある意味で堕落した生活。
身体は楽をしているのに、精神は極度の欝状態。
罪悪感・劣等感・虚無感・失望感・倦怠感・疲労感・恐怖感・・・
そういったものにヒドく苛まれていた。
そして、
「誰か俺を殺してくれないかな・・・」
と、そんなことばかりが過ぎる頭を抱えてもがいていた。
その後遺症は、今も、バッチリ残っている。
昔話としてスッキリ片付けられないものが、心に根を張っている。
だから、常に自分を注視しなければならない。
意識して自分を警戒しなければならない。
今尚、脱け出したい現実の中にいるわけだから。
現場は、街中に建つ小さなマンション。
その一室で住人が孤独死、そして腐乱。
依頼者は、マンションのオーナーである男性。
男性宅は、マンションの最上階。
私は、はじめ応接間に通され、貧相な作業着に似合わない高級感のあるソファーに腰掛けた。
予期せぬ災難が降りかかったのに、男性は落ち着いていた。
事務的に紙に部屋の間取りを書き、故人が倒れていた場所を示し、部屋の状況を私に説明。
かなりのハエが発生し、高濃度の異臭が充満していることも付け加えながら。
そして、一本の鍵を私に手渡した。
現場の玄関を開けると、著しい悪臭が私をお出迎え。
男性の説明の通りの間取りを進むと、次は、おびただしい数のハエがお出迎え。
そして、その次は、ベッドの遺体痕が私を迎えてくれた。
それを確認して後、周囲を見回すと、部屋はかなりの荒れ様。
整理整頓・清掃はロクにできておらず、生活ゴミをはじめ大量の酒のビンや缶が散乱。
独り暮らしの男性宅にありがちな様相ではあったが、自分がそれを片付ける様が想像され、ただでさえ浮かなかった気分は、更に沈んでいった。
部屋の見分を終えた私は、身に付いた異臭をともない、再び、上の男性宅へ。
ただ、そのまま男性宅に上がり込んだら、男性宅が臭くなる。
「ニオイますから・・・」
と、私は、自分を指差しながら、部屋に入ることを断った。
「大丈夫ですから・・・気にしないで下さい」
と、男性は、やや強引に、私に玄関を上がるよう促した。
ソファーは、前にも増して私に似合わなくなっていた。
が、勧められるまま腰掛けた。
そして、私は、悪臭を放つ自分に鼻をクンクンさせながら
「イカンなぁ・・・」
と心でつぶやき、身の回りの空気を動かさないよう、できるかぎり身体を小さくした。
聞けば、故人は男性の息子。
そのことと落ち着いた男性の物腰がリンクせず、私は少し驚いた。
が、その驚きは、男性の心持を乱してしまったかもしれず、私はそれを繕うため、
「どこか、身体の具合でも悪くされてたんですか?」
と、必要なことなのか余計なことなのか判断できないことを訊いた。
すると、男性は、
「昼間っから酒を飲むような生活をしてましたからね・・・」
と、故人を突き放すような冷たい口調で応えた。
故人は、30代後半
大学を卒業して、それなりの企業に就職。
しかし、「おもしろくない」と早々に退職。
以後、人間は、我慢する・辛抱する・忍耐することが必要であるということをまるで忘れてしまったかのように、職を転々するように。
そして、それを繰り返すたびに、仕事内容はどんどん不本意な方向に行き、賃金は低下の一途をたどった。
そうなると、労働意欲も低下。
結局、最期の数年間は、仕事に就くどころか、就職活動さえしない生活をしていた。
部屋は男性の所有だから、家賃はかからず。
水道光熱費、携帯電話やインターネット等の通信費も男性が負担。
プラス、生活費として月10万円ほど渡していた。
それは、働かなくても食べていける生活。
親の資力のおかげで、故人は、そんな生活を続けることができた。
故人は、自分の生活に親が干渉することを嫌った。
男性夫妻が故人と顔を合わせるのは、月一回。
生活費を渡すときだけ。
つまり「金は出しても口は出すな」ということ。
矛盾極まりない。
しかし、親子(血縁)というものは、往々にして、そういう矛盾を矛盾としない。
情愛というヤツが、通常の価値判断や理性を狂わすのだ。
故人は、酒びたりの生活を送っていた。
昼間から飲むことも日常茶飯事で、ほとんど中毒状態。
「病死ということになってますけど、自殺みたいなもんです」
「肝臓が悪いのに酒をやめなかったわけですから」
「本人だって“いつ死んでもいい”くらいに考えてたんだと思いますよ」
男性は、乾いた口調でそう言った。
そして、何かを見切ってか、何かに安堵してか、その顔に薄っすらと笑みを浮かべた。
「“親がいるうちはスネをかじり、親がいなくなれば遺産を食い潰せばいい”って考えてたんでしょう・・・」
「ここまできたら、もう、それでもいいと思ってましたけどね・・・」
「どちらにしろ、このまま長生きしたって、ロクなことにならなかったでしょうね・・・」
男性は、愚痴をこぼすように、訊きもしない話を続けた。
そうでもしないと、自分を維持できないのかもしれなかった。
残された遺品の中には、たくさんの写真やアルバムがあった。
その中には、
無邪気に笑う幼き日の故人がいた・・・
将来が期待されたであろう若き日の故人がいた・・・
人生の歯車は、いつから狂い始めたのか・・・
人生の予定は、いつから不本意な方向に進み始めたのか・・・
故人は、裕福な家に生まれ、恵まれた環境で成長し、人並み以上の教育も受けさせてもらえたはず。
なのに、社会に通用するどころか、適応することさえできず、そのままこの世を去ってしまった。
晩年の故人の生き方は、まったく賛成できるものではない。
しかし、短い期間とはいえ、似たような経験を持つ私は、故人の気持ちが少しはわかるような気がした。
そして、無情と無常がうごめくこの現実というヤツを、少し恨めしく思ったのだった。
故人の死によって、男性は、それまでの現実から脱け出した。
そして、新しい現実と、それまでになかった平安を手に入れた。
故人も、地上の現実から脱け出した。
もちろん、その後、故人がどこに行ったのか、どうなったのかはわからないが、とにかく、現実からはいなくなった。
しかし、私は、いつまでも脱け出せない現実の中。
ときに、この現実は恨めしい。
ただ、私は、一つ一つの現場を通して、一人一人の生死を通して、昨日までの自分から脱け出せているのかもしれない・・・
・・・そんな気がする。
だから、私にとって大切なのは、この現実から脱け出そうとすることではなく、留まることを覚悟すること・・・
・・・歯を食いしばってでも現実に生きることなのである。
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