特殊清掃「戦う男たち」

自殺・孤独死・事故死・殺人・焼死・溺死・ 飛び込み・・・遺体処置から特殊清掃・撤去・遺品処理・整理まで施行する男たち

自悶自闘

2014-11-01 15:02:29 | 特殊清掃 消臭消毒
今年の夏も暑かった!過酷だった!すごく疲れた!
好きじゃない栄養ドリンクを飲んで踏ん張ったり、嫌いなコーヒーを飲んで眠気をごまかしたりして、何とかしのいだ。
しかし、もう11月。
気がつけば秋涼の風に、ジャンパーを羽織る季節になっている。

季節が変わっても、私は、相変わらず。
変わりばえのない毎日を過ごしている。
良いことと言えば、臭休肝二日が途切れることなく堅持できていること。
月単位で平均すると、週休肝三日くらいにはなっている。
一度に飲む量が減らせていないのが難点だが、我ながら上出来だと思っている。
悪いことと言えば、体重が重いこと。
ここ何年も体重は気にしていなかったのだが、9月のとある現場で荷物を抱えて階段を何度も昇降する作業に従事したときバテてしまったことがあった。
作業終盤になると、やたらと身体が重く感じ、かなりしんどい思いをしたのだ。
家に帰ってから量ってみると、体重は、身長に対する標準体重より5kg余オーバー。
もともと痩型だとは思っていなかったけど、5kg余も超過していたとは・・・さすがに無視できなくなった。
結果、ひと月くらい前から、食事量に気をつけるようにしている。
「ダイエット」というほどではないけど、これまで当り前のようにしてきた大盛・ドカ喰いはできるだけしないように心がけている。
週休肝二日と同じように、何とか“大盛・ドガ喰い禁止”も習慣化したいものである。

何はともあれ、この季節は、同じ仕事をしていても、身体は随分と楽。
労苦に中にあっても、身体を動かすのが心地よかったりする。
それでも、歳をとった分だけ体力は衰えている。
たまに弱い自分に勝てることはあっても、過ぎる時間にはどうやっても勝てない。
季節の移ろいは喜べても、歳の重なりはなかなか喜べない。
せめて、よい歳のとり方をして、歳相応の人格・素養を身につけたいものである。



それは夏の暑い日のことだった・・・
呼ばれて訪れたのは、郊外の街に建つマンション。
週末の街には、のんびりとして空気が流れていた。
ただ、依頼者の男性はそれどころではない雰囲気。
落ち着かない様子で私を建物の陰に誘い、亡くなったのは自分の兄で、発見がかなり遅れたことを私に告げた。

「孤独死」とだけ聞いてきた私だったが、発見が遅れたことを知ったくらいで驚くわけはない。
社会における自分のポジションを考えると、並の汚損で私が呼ばれるわけはない。
むしろ、現場に特別な汚損が生じていることを、“自然のこと”と私は受け取った。
とにもかくにも、“百聞は一見にしかず”。
私は、無神経な質問を避けるため、とりあえず、何も訊かないまま部屋を見てくることに。
男性から鍵を預かり、愛用のマスクを隠し持ち、一人、現場の部屋に向かった。

玄関ドアの前に立った私は、周囲に人影がないことを確認。
そして、ドアの隙間に鼻を近づけ、臭気を確認。
すると、とがらせた鼻はかすかな異臭を感知。
それから、小脇に挟んでいたマスクを首にブラ下げ、鍵を鍵穴に挿入。
錠が解けたことが手に伝わると、そのままノブを引き、ドアの隙間に身体を滑り込ませた。

室内には、腹をえぐるような異臭が充満。
私は、すぐさまマスクを装着し土足のまま前進。
すると、そこには、想定外の光景が・・・
「!?・・・血・・・自傷・・・自殺・・・」
吐下血病死の可能性も否定できなかったが、血の様相から、私はそう断定。
そして、足を止め、マスクの中で深い溜息をついた。

故人は、傷ついた身体で部屋中を歩き回ったよう。
血液汚染は居室だけにとどまらず、浴室・トイレにわたり、床面は血まみれ。
そして、壁面をもおびただしく汚染。
更に、微小ではあったが、血は天上にまで飛散。
しかも、発見はかなり遅れ、遺体はヒドク腐敗。
狭い1DKの建材も、そこにある家財生活用品も全滅の状態だった。


部屋のこの光景は、依頼者の男性(故人の弟)も目にしていた。
ただ、玄関ドアを開けて見ただけ。
遺品のチェックをするために室内に入ろうと試みたのだったが、凄惨な光景と凄まじい悪臭が無言の圧力となって男性の進路を遮った。
「警察の方から状況を聞いたので、だいたいのことは想像してきたつもりなんですけど・・・」
「現実はそれをはるかに越えてまして・・・」
と、意気地のない自分を恥じるように苦悶の表情を浮かべた。
次に、
「一人でやるんですか!?」
と、作業を頼んだ私が一人で準備にとりかかる姿をみて驚きの表情をみせた。

「えぇ・・・大の男が二人でやるような作業ではありませんから・・・」
「こんなこというのは失礼かもしれませんけど・・・“気持ち悪い”とか“恐い”とかないんですか? 身内でも抵抗あるのに・・・」
「まぁ・・・全くないということはありませんけど、さすがに慣れましたね・・・」
「それにしても・・・」
「それに・・・食べていくための仕事ですから・・・」
「・・・」
「あと、一人だと作業もマイペースでできますし、移動のときも気楽ですから・・・」
「・・・」
「“変態”みたいに思われるかもしれませんけどね」
「そんなことはないですけど・・・」
呆れたのか感心したのか、納得したのか私に同情したのか、男性は、それ以上は何も訊かず、神妙な面持ちで、
「よろしくお願いします」
とだけ言い、部屋に向かおうとする私に頭を下げた。


死因は、やはり自傷自殺。
故人は、何年も前から精神を患っていた。
家族も色々と手は尽くした。
病院にかかるのはもちろん、宗教に入れたり、専門のカウンセリングを受けさせたりと。
再生を期待する故人も、それらと積極的に関わった。
しかし、本人・家族の奮闘も虚しく、故人は自らの手で自らの人生の幕を引いたのだった。

自傷自殺の場合、汚染規模が広いことが多い。
私の経験だけで言うと、自傷者は、血を流しながら部屋中を歩きまわる傾向が強い。
倒れる寸前まで歩き回る・・・
何を考え、何を感じ、何を思いながら歩き回るのだろう・・・
未来への虚無感か・・・
生きることをやめる悲哀か・・・
生きる使命を解かれる解放感か・・・
生きなければならない責任から逃れられる安堵感か・・・
過去のツラかった出来事か・・・
昔の楽しかった想い出か・・・
とても察することはできないけど、そこには、悪臭だけでなく重苦しい空気も充満しており、慣れた私でも浮かない気分に苛まれた。
と同時に、それまでにもあちこちの現場で覚えてきた同志的な感情を抱いた。

これまでにも、何度となく書いてきたように、こんな現場の清掃は時間も手間もかなりかかる。
この仕事も、かなりの時間がかかることが明白だった。
しかも作業は単調。粘り強さと根気がいる。
忍耐・努力とは無縁の人生を歩いてきた私には、これがなかなかキツい。
一箇所に集中できる時間は短く限られている。すぐに飽きてくるのだ。
そうは言っても、もちろん、仕事を途中で投げ出して部屋を出ていくなんてできるわけはない。
だから、転々と景色(場所)を変える。
部屋が少し終わったらトイレに行き、トイレは少し終わったら浴室に行き、浴室は少し終わったら台所に行き、台所が少し終わったら部屋に戻り・・・という具合に。

そこにあったのは、まぎれもなく死の痕だったが、
故人の手の痕、足の痕、身体の痕は生の痕のようだった・・・
血の痕は苦悩の痕のようだった・・・
赤黒い色は、戦いの痕のようだった・・・
生きることとの戦いを終えた故人を前に、自分との戦いに敗れそうになった私は、目の前の汚れが人の血で、そこが死の現場である現実をできるだけ頭の隅へ追いやり、また、薄っぺらい同情心と自己中心的な感傷をできるだけ心の隅へ追いやり、「終わるまで帰らない!終わるまで帰らない!終わるまで帰らない!」と、弱い自分に何度も釘を刺しながら、“労苦”という名の生きる術に必死にしがみついたのだった。


一仕事を終えると、相応の安堵感とそれなりの達成感はある。
誰に評価されるわけでも、誰に褒められるわけでもないけど、場も業も忘れて明るい気分になれる。
それでも、苦悩が消えることはない。
「生とは?」「命とは?」「死とは?」「幸とは?」「愛とは?」「人間とは?」「自分とは?」 
変わりばえしない毎日の幸運と変わりばえしない毎日の不運の間で、
天と地の間で、
理想と現実の間で、
昨日と明日の間で、
朝と夜の間で、
私と特掃隊長の間で、
生と死の間で、
自問自答に自悶自闘しながら、2014秋も私はここに生きている。



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