プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★フードVS風土

2007-01-06 09:49:57 | 日記・エッセイ・コラム

 氷見港に寒ブリが陸揚げされたニュースに、昨夜、今年初めて寿司屋へ足を運んだ。この時期のブリはひと味もふた味も違って、実に美味しい。能登半島には、輪島や宇出津などの良港があるが、地理的に隣県の氷見港の方が金沢には近く、市内の寿司屋には「氷見港直行」の看板が結構、目立っている。魚の種類によっては、金沢港や加賀の塩屋港で揚がったものもあり、近海ものがずらりと並び食欲をそそる。

 寿司屋の玄関口に門松がたっていた。一休禅師は、「門松や 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」と詠んだが、最近では門松を飾る家はめっきり少なくなったので、懐かしくしばらく足を止めて見入った。私は、50歳を過ぎてから、元日と言えども余りめでたいと思わなくなったので、勝手に「正月や」と読み替えていた。

 別に、世をすねているわけでは無いが、子供達が巣立ち、夫婦二人きりの生活が10数年も続くと、手作りのおせち料理の種類や量が毎年、少なくなって来て、出来合いの物が食卓に並ぶ。その分、よけいに正月気分が希薄になって来たのかも知れない。

 それが、昨夜、偶然見かけた門松に不思議な郷愁を感じた。人間の情緒感情とはとらえようがないものだと思うが、動物との違いもここにある。それだけに、個人個人が普遍的な価値観を確立することが、先行き不透明な世を楽しく生きるための重要なファクターだと思う。