東京に住む友人から届いたメールに「金沢の近江町の活気が好きだったが、再開発の動きがあると知りどう変わるのか。これも世の移ろいか」との趣旨のことが書かれていた。
観光客も買い物に立ち寄る金沢市民の台所として、歴史を刻んできたが、建物の老朽化や衛生面の設備等、近代化の波に抗しきれなくなったのが整備事業の理由と聞いた。私の生家は、この近江町から徒歩3分程の至近距離にあり、中学校へ通う時の通学路だっただけに、子供の頃の記憶が蘇った。
町内には、近江町で店を開いている人達の自宅が集中していた。同級生に花屋、魚屋、果物屋さんなどの子供が大勢いて、店を継いだ子も今は代をゆずり、顔を見かけることはなくなった。数軒隣の肉屋さんの自宅の庭にニワトリが放し飼いにされているのを見て、「お店に出すに違いない」と思いこみ、鳥肉が嫌いになったことを今も憶えている。親から「肉ではなく卵を店頭に並べる」のだと説明されても、子供心には納得出来なかった。
その近江町も近代的なビルが建ってその中におさまるのが、2年後の平成21年予定。周辺の老朽ビルの再開発も進行中だ。また、金沢駅周辺は、新幹線開業を睨んで県外から大手資本が続々参入し、ホテルやショッピングセンター構想が加速している。地元経済界や自治体では、兼六園を世界遺産にしたいと意気込んでいるが、10年後の金沢は、多分、全国どこにでもある地方中都市の典型的な町になると寂しい思いに駆られている。