プラチナ世代のマラソン旅行

時悠人chosan流処世術

★猛暑日の葛藤

2007-08-13 08:43:58 | 日記・エッセイ・コラム

 暦のうえでは、”立秋”を過ぎたが、連日、猛暑日が続く。敗戦後の昭和30年代、貧しかったが季節に応じた生活実感があった。

 真夏の昼下がりに、暑さしのぎに風鈴の音を聞きながら食べるスイカは美味かった。また、金魚の振り売りや、さお竹売りのおじさんの後ろについて歩いたり、豆腐屋の鐘を聞くと鍋を持って冷奴を買いに走った光景が思い浮かぶ。

 夜は、内輪片手に路地での縁台将棋をする大人の傍らで、子供が線光花火に興じる姿があった。周りには、浴衣を着た子供達の輪ができ、自然な形での町内・親子のふれあいが拡がった。

 線香花火といえば、今は中国製が圧倒的で、国産のものをあまり見かけない。貧弱な手花火よりも、派手に火花が散る打上げ式の方が歓迎されるようだが、その趣は全く異なる。線香花火は、牡丹・松葉・柳・散り菊の順に変化し、最後に火の玉がふっと消えておしまい。巣立ってしまった子供達も、線香花火が好きだった。火薬の量が少なく、消え入りそうなか細い炎を燃やしながらも、次々に花模様が変化する日本古来の技術が消失したことが寂しい。

 道路に打ち水をして風を呼ぶ知恵を親に授かり、「心頭滅却すれば火もまたすずし」と、先生に教えられた時代は遠くなった。部屋を締め切り、エアコンで涼をとりビールを飲む。"時悠人”を名乗りながらも、時空間を超然と生きる枯淡の境地に浸りきれない己の業に葛藤する猛暑日が続く。