日本のお隣で関係がもっとも深い韓国。その歴史はみっちり授業で行いますが、韓国の開国についてはあまり知られていないのではないでしょうか?
今日は、韓国・朝鮮の開国の話。
19世紀中ごろの朝鮮半島は、500年に渡る李氏朝鮮(韓国では朝鮮王朝と呼びます)が続いていました。50年以上に及ぶ外戚による門閥政治が打破されて、摂政となった大院君によって王族が力を取り戻した頃でした。
この大院君、内政的には党派門閥を問わず人材を登用し、汚職官僚を厳しく処罰し不正を正し、また税制を改革を行い平民の税負担を軽くするなどしますが、対外的には強硬に欧米諸国を排除する攘夷政策を行います。
その為、1866年にはフランス人宣教師を含む8000人のキリスタンを殺害する丙寅邪獄が起き、これに対してフランスが賠償を求めて、朝鮮の出島に当たる江華島を攻撃する丙寅洋擾が起きます。
また、この事件の2ヶ月つ前にはアメリカ商船ジェネラル・シャーマン号が通商を求めるも、朝鮮軍と衝突し商船は沈没させられてしまうジェネラル・シャーマン号事件が起き、1871年にアメリカは軍船5隻を率いて江華島を一時占拠する辛未洋擾がおきます。
そのどちらも朝鮮軍による巻き返しによって、フランス・アメリカは撤退します。
この状況の中、少し前に開国し明治政府を樹立させた日本は、アジアで対等の国際関係を築くために使節団を派遣しますが、当時の朝鮮は冊封体制的観点で解釈したため、日本が冊封体制下では中国しか使ってはいけない「皇」や「勅」を使った国書や、蒸気船で来て洋装の日本の使節団にに反発し、交渉の席にすらつけない状況に陥ります。この事から、日本では武力を持って朝鮮に開国を迫る「征韓論」が巻き起こります。
その後、日本は先に清国と日清修好条規を締結します。これは互いに欧米に結ばされた不平等条約を認め合うと言う対等の条約でした。
この清との条約と、1873年に朝鮮宮廷内で閔妃によるクーデターにより、大院君が失脚したことが契機になり、やっと朝鮮との会談の席に付くことが出来ます。しかし、その会談も儀礼の問題で揉める間に、大院君の勢力が盛り返し、会談が延々と延期されてしまいます。
ここに来てついに痺れを切らした日本の使節団は、軍艦を釜山へ入港し射撃演習などの威嚇行為を行い、さらに首都漢城へ遡航するなどの挑発行為を行います。この挑発に乗って朝鮮が砲撃を開始、日本も艦砲射撃を行い、陸戦隊による砲台の占拠を行うといった江華島事件が発生します。
この事件により衝撃を受けた朝鮮は、日本と日朝修好条規を締結します。しかし、この条約は国際条約に疎く、事件によって弱腰となった朝鮮政府を手玉にとった不平等条約でした。
まさに日本のペリー来航を髣髴させる事件でした。
李次期大統領、日本に謝罪求めず=成熟した関係構築に意欲-韓国 (時事通信) - goo ニュース
今日は、韓国・朝鮮の開国の話。
19世紀中ごろの朝鮮半島は、500年に渡る李氏朝鮮(韓国では朝鮮王朝と呼びます)が続いていました。50年以上に及ぶ外戚による門閥政治が打破されて、摂政となった大院君によって王族が力を取り戻した頃でした。
この大院君、内政的には党派門閥を問わず人材を登用し、汚職官僚を厳しく処罰し不正を正し、また税制を改革を行い平民の税負担を軽くするなどしますが、対外的には強硬に欧米諸国を排除する攘夷政策を行います。
その為、1866年にはフランス人宣教師を含む8000人のキリスタンを殺害する丙寅邪獄が起き、これに対してフランスが賠償を求めて、朝鮮の出島に当たる江華島を攻撃する丙寅洋擾が起きます。
また、この事件の2ヶ月つ前にはアメリカ商船ジェネラル・シャーマン号が通商を求めるも、朝鮮軍と衝突し商船は沈没させられてしまうジェネラル・シャーマン号事件が起き、1871年にアメリカは軍船5隻を率いて江華島を一時占拠する辛未洋擾がおきます。
そのどちらも朝鮮軍による巻き返しによって、フランス・アメリカは撤退します。
この状況の中、少し前に開国し明治政府を樹立させた日本は、アジアで対等の国際関係を築くために使節団を派遣しますが、当時の朝鮮は冊封体制的観点で解釈したため、日本が冊封体制下では中国しか使ってはいけない「皇」や「勅」を使った国書や、蒸気船で来て洋装の日本の使節団にに反発し、交渉の席にすらつけない状況に陥ります。この事から、日本では武力を持って朝鮮に開国を迫る「征韓論」が巻き起こります。
その後、日本は先に清国と日清修好条規を締結します。これは互いに欧米に結ばされた不平等条約を認め合うと言う対等の条約でした。
この清との条約と、1873年に朝鮮宮廷内で閔妃によるクーデターにより、大院君が失脚したことが契機になり、やっと朝鮮との会談の席に付くことが出来ます。しかし、その会談も儀礼の問題で揉める間に、大院君の勢力が盛り返し、会談が延々と延期されてしまいます。
ここに来てついに痺れを切らした日本の使節団は、軍艦を釜山へ入港し射撃演習などの威嚇行為を行い、さらに首都漢城へ遡航するなどの挑発行為を行います。この挑発に乗って朝鮮が砲撃を開始、日本も艦砲射撃を行い、陸戦隊による砲台の占拠を行うといった江華島事件が発生します。
この事件により衝撃を受けた朝鮮は、日本と日朝修好条規を締結します。しかし、この条約は国際条約に疎く、事件によって弱腰となった朝鮮政府を手玉にとった不平等条約でした。
まさに日本のペリー来航を髣髴させる事件でした。
李次期大統領、日本に謝罪求めず=成熟した関係構築に意欲-韓国 (時事通信) - goo ニュース
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