植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

サクサク三国志:夏侯淵

2011年02月18日 23時37分25秒 | ゲームシステム
所属:曹操
年齢:約38歳(200年の時)

 曹操の従兄弟として曹操の旗揚げの時から従軍します。夏侯淵は「三日で五百里、六日で一千里」と言われるほど行軍が早く、また当人も勇猛果敢で、弓の名手だったこともあり、前線指揮官のイメージが強いのですが、この夏侯淵は補給輸送などの後方支援も得意としていました。特に官渡の戦い後の袁譚・袁尚との戦いでは、エン州・徐州・豫州からの兵糧の取立てから輸送までを完璧にこなし、前線への供給を滞りなく行い、勝利に貢献しています。
 また、曹操の支配地域が広まることで、広くなった領内をものともせずに、反乱が起こった地域に迅速に行軍しては鎮圧します。
 赤壁の戦い後は曹操が韓遂・馬超を討伐する潼関の戦いに従軍します。その後、徐晃や張コウを率いて再び抵抗を見せる韓遂・馬超を打ち破り、さらに安定の楊秋や、西涼の羌族、河首平漢王の宋建などを下し、さらにこの過程で漢中の張魯が曹操に降伏したことで、涼州一帯を支配下に置きます。曹操は引き上げる際に、これらの功績により夏侯淵を征西将軍に任命し、西方における総司令とします。
 この魏の漢中支配に危機感を持った劉備軍が漢中に侵攻した為、夏侯淵は一進一退の攻防を繰り広げます。しかし、次第に劣勢になり本陣のある定軍山まで追い詰められます。劉備軍の猛攻に張コウが苦戦すると、夏侯淵は自らの部隊から半分を裂き、援軍に回します。これを勝機と見た劉備軍参謀の法正は黄忠に夏侯淵本陣を叩くことを進言。黄忠は夏侯淵の背後に回りこむと突撃を掛けます。夏侯淵もさらに黄忠を迂回しさらに背後に回りますが、多勢に無勢討ち取られてしまいます。

 方面軍司令官を任されるなど、軍全体の統括や、統治まで含めたトータル的な能力は最高クラスですは、戦術だけに特化した場合、徐晃や張コウよりは劣ると考え統率は4としました。武力は弓の名手でしたが、戦場での一騎打ちの戦果があまり華々しくないのと、その戦い方は個人の武勇ではなく、軍のを率いて活躍するタイプのように思えて3、政治は後方での補給など軍務を一手にこなしていたこと、その地の住民を移動させてあたらな土地を与えたりしていたことを評価して3、知力は特に加点も減点も無いので、2としました。政治が3あるので、万能に近くこれが総指揮官らしさを表しているかなーっと
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