植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

簡体三国志:孫堅

2010年12月11日 11時21分24秒 | ゲームシステム
所属:独立
年齢:約45歳(200年の時 ※37歳で死亡)

 孫権の父、孫堅文台です。地盤も権威も何も無い状況から、自らの力だけで群雄までのし上った猛雄です。彼は登場から凄いです。孫堅が17歳の時、立ち寄った先で海賊が略奪を行っている状況に遭遇します。そこで孫堅は丘の上に立ち、指揮官の身振りをして、あたかも後ろに軍勢が控えていてこれから討伐するように思わせることで、海賊は慌てて財宝を置いて逃げ出してしまいます。これがきっかけで、県の尉(警察・軍事担当)となります。
 以後、孫堅はいくつかの県の次官を歴任にて、そこで反乱や、賊などの討伐を行い、良い治世を行うことで、役人や民衆に慕われるようになります。

 黄巾の乱が勃発すると兵を率いて参戦し、朱儁の元で各地の乱を平定していきます。その後さらに涼州での辺章と韓遂の反乱を抑えたあと、長沙太守となり、ここでも区星の反乱鎮圧を行います。こうして幾つもの反乱を平定することで、孫堅の配下には実戦経験が豊富な将兵が集まることになります。

 そして董卓が実権を握ると、反董卓連合に参加し、曹操が徐栄に敗れて脱落する中、唯一董卓を追い詰め、董卓は洛陽を払って長安に遷都せざる得なくなります。

 その後、豫州の派遣を巡って袁術と袁紹が争いだすと、袁術側として参戦します。袁術と袁紹の代理戦争の様なものです。これに勝利すると、さらに袁紹と同盟し、袁術の背後を脅かす襄陽の劉表を攻めます。しかし、劉表配下の黄祖と一戦して打ち破り、襄陽を陥落させる手前で、迂闊にも1人で視察している最中に、黄祖の部下に射殺されてしまいます。

 これによって、孫堅の軍団は崩壊し、その殆どが同盟関係にあった袁術の元に組み込まれてしまいます。その中には孫堅の遺児 孫策もいました。

 ご覧の通り、孫堅の半生は戦争・戦争・戦争でした。実戦経験なら最も豊富ではないでしょうか? という事で、統率5、武力は先陣を切って戦っていた実績から4、政治はあまりやっていませんが、反乱を収めた後、その地を安定させた実績から3、知力は3と言うのが本当なのでしょうが、戦争に絡む計略は統率の5に組み入れたと言うことで2としました。
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三国演義:僅か5年で老けたもんだ…

2010年12月11日 11時12分16秒 | 雑談
 いやー、びっくりです。毎週見ているアニメ「三国演義」ですが、第36話「定軍山の戦い」でいきなり、劉備と諸葛亮が老人になっていた! 1つ前の第35話「陰謀の宴」では若かったのに! しかも、張飛なんかはあまり変わっていない。
 第35話「陰謀の宴」が、入蜀のあたりなんで西暦214年ぐらい、で第36話「定軍山の戦い」が西暦219年とその間、僅か5年。219年の時、劉備は58歳、諸葛亮に至っては38歳。ありゃないぜ!ってところでした。

 二人して禁断の玉手箱を空けてしまったのか・・・
 
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