植民地戦争+α

歴史テーマの中量級のボードゲームを制作し、ゲームマーケットに出展しています。
なので歴史とボドゲの話が多いです。

新しい国が誕生

2008年02月23日 09時16分17秒 | 国:オスマン・イスラム
 2008年2月17日のついこの間、新しい国が誕生しました※。バルカン半島の元ユーゴスラビアのコソボがセルビア共和国から独立を宣言しました。
 コソボは、1997年に勃発したコソヴォ解放軍とセルビア軍との武力衝突から始まり、NATOによるセルビア空爆と言う介入も行われたコソボ紛争の舞台となった地域です。
 今回の独立宣言でやっとセルビアからの独立を果たしたことになります。

 当初、よく知らなかった私は、セルビアが資源の乏しいアルバニア人の多く住むこのコソボ地域の独立を執拗に拒むのか理解していませんでした。多くの場合、例えばイラクのクルド人自治区はそこに石油の利権があり、イラクからの独立はイラクの国益を損なうからです。
 しかし、調べてみると今回のコソボは、民族的歴史問題があるそうです。

 コソボはセルビアが生まれ、セルビアが滅んだ地

 ステファン・ネマニャはセルビア諸部族を統一し、東ローマ帝国との長い戦いに勝利し1171年にコソボを首都とする中世セルビア王国を建国します。
 そして、1389年には南からムラト1世率いるオスマン帝国軍が進入し、セルビア王国との間で熾烈なコソボの戦いが勃発します。この戦いにセルビア側が大敗し、セルビア王国は滅亡し、オスマン帝国統治下に置かれることになります。
 
 このことからセルビア人は、コソボを民族誕生の地と考えるようです。その為、オスマン統治下でコソボの地に多くのアルバニア人が住むようになっても、セルビア人はセルビアの土地と考えるのです。
 近世になり、セルビアがオスマン帝国から再独立を果たしたとき、コソボはまだオスマン領でした。その後、バルカン戦争によって、アルバニアがコソボ地域も含めて独立すると、セルビアと列強の干渉により、そこに住むアルバニア人を無視し、コソボは切り取られセルビア王国に組み込まれてしまいます。

 これがコソボ紛争と今回のコソボ独立に繋がっていくわけです。

※正確には独立宣言をしただけです。国家の誕生にはプラス各国の承認が必要です。NATOの中核諸国であるアメリカ、英国、フランス、ドイツなどは承認し、同じく民族問題を掛かるスペインやキプロスは慎重な姿勢。勿論セルビアは反対、これに同じスラブ人で正教徒のロシアも反対の立場です。
 で、わが国日本は、承認の方向で検討中だそうです。

コソボ「自立」に不安 弱い経済、国家承認どれだけ…(産経新聞) - goo ニュース

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