されば悲しきアホの家系(続々…………々々々々)

 
 二条の家の人間はみんな、とかく身贔屓だ。自分の親だの子だの、嫁だの婿だの、孫だのを、やたら褒めたがる。
 だが滑稽なことに、自分自身を褒めることはほとんどない。褒める余地を自分が持たないことを自覚しているのかも知れない。

 この、自分のことは自慢しない、という体質の二条の家では、父の兄弟姉妹のうち、誰が賢くても、誰が美人でも、誰が商売繁盛でも、それはその美点を持つ当人ではなく、兄弟姉妹みんなの自慢の種となる。
 
 が、子供たちの代を自慢するとなると、ちょっと様相が変わってくる。
 二条の家の兄弟姉妹はみんな、兄弟姉妹の子供ではなく、自分の子供を自慢したがる。「うちの子は賢いで」、「うちの子は別嬪やで」云々。

 ところで二条の家の人間が身内を褒めそやすとき、必ず眼に見える特徴しか褒めることはない。例えば、別嬪、男前、モテる、役職に就いている、成績が良い、給料が良い、資格を持っている、上司に信頼がある、というふうに。逆に、意志が強いとか、度胸があるとか、マイペースだとか、心優しいとか、気丈だとか、そういう目立たない長所については、褒めようとしない。そもそも心眼が曇っているので、気づくこともない。

 さて、さすがに父たち兄弟姉妹の子供たちの代ともなると、みんな高校に進学する(全員が普通科というわけではないのだが)。父たち兄弟姉妹にとっては、自分の子供たちの、この高校進学というのが、何より自慢の種となる。
 
 To be continued...

 画像は、バジール「家族の集い」。
  フレデリック・バジール(Frederic Bazille, 1841-1870, French)

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されば悲しきアホの家系(続々…………々々々)

 
 テンちゃんは、坊さんが帰ったあとにすぐ帰っていった。テンちゃんの家は名古屋だし、翌日は学校があるから、夕方になる前に京都を出なければならない。新幹線の時間もあるのだった。
 新幹線かあ。私、お母さんの東京の実家に行くとき、いつも乗ってるよ。でも名古屋は素通りだよ。……テンちゃんにそう言いたかったけど、言わずにおいた。

 名古屋の伯父とテンちゃんが玄関に立つと、残りの者がぞろりとそれを取り囲む。
「今度、名古屋にもおいで」と、テンちゃんが私に言ってくれた。

 テンちゃんは、あれから大人になり、高校の数学の先生になった。女子生徒に大人気で、クラス替えや卒業の季節になると、毎年決まって花束を貰うのだった。
 バイオリンを弾くのが上手だった。そして、ピアノが上手な女性と結婚した。

 が、私がテンちゃんに会ったのは、この法事の日一度きりだった。

 以来、私は名古屋の従兄には会わない。正月にも法事にも、名古屋の伯父は相変わらず、自分で作った特上和菓子を土産に、一人で二条の家にやって来る。
 伯父の口振りでは、従兄たちを連れて来たいようだった。が、多分、しっかり者の妻君がそれを許さないし、従兄たちも敢えて来たがらないのだろう。当たり前だ。

 そのほうがテンちゃんにとってはよい。名古屋が遠いとか、外孫だとか、その他どんな理由でも、来なくてよいなら、こんな家には来ないほうがよいのだ。
 私だって、仮にテンちゃんがこの家に来たとしても、この家の人間のぼんくらぶりをいくらか我慢しやすくなるだけで、決して好きになどなれないのだ。

 To be continued...

 画像は、マカロフ「バイオリンを弾く少年」。
  イワン・マカロフ(Ivan Makarov, 1822-1897, Russian)

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されば悲しきアホの家系(続々…………々々)

 
 2階に来ると私は、テンちゃんの手前、従姉の少女趣味の少女漫画はやめにして、タロット占いの本を取り出して読み始めた。1階は例のごとく、えらい騒ぎで会話している。
 しばらくすると、テンちゃんが2階へやって来た。手持ち無沙汰にウロウロと、家のなかを見学している。そして、畳に坐り込んで本を読んでいる私を、上から覗き込んだ。
「やっぱり女の子だね」
 私のもたれかかっていた本棚に、従姉の少女漫画がずらりと並べてあったのだった。

 え? テンちゃん、今、私の読んでるの、センチな少女漫画じゃないんだよ。これ、タロットの本だよ。私、女の子ってほど女の子じゃないよ。
 弁解したくなったけれど、やめておいた。こんなことなら「悪魔の花嫁」の続きを読みゃよかったよ。

 テンちゃんはしっかりした厳しい名古屋の家で、男兄弟で育ったのだ。きっと女の子を知らなくて、女の子に対するイメージが狭かったのだ。そう思った。

 さて、法事ではいつも、祇園の料亭に注文した弁当が出る。読経と焼香の前に、腹ごしらえに弁当を食べる。
 私が奥の部屋で弁当をもぐもぐ食べていると、テンちゃんがやって来て覗き込んだ。
「チマルちゃんは、好きなものを残して最後に食べるタイプなんだね」

 え? 違うよ。この麩まんじゅうは、デザートだから最後に食べるんだよ。好きだから取っとくわけじゃ、ないんだよ。
 またもや弁解したくなったけど、やめておいた。

 To be continued...

 画像は、リード「本を読む二人の少女」。
  ロバート・リード(Robert Reid, 1862-1929, American)

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されば悲しきアホの家系(続々…………々)

 
 あるとき二条の家に着くと、名古屋の伯父の横に見知らぬ男の子がいるのを見つけた。まだ大人になりきっていない、学生服を着た少年だった。

「名古屋のおっちゃんやで。横にいるのは、テンゆうて、あんたの従兄や」と出戻りの伯母が紹介した。
「テンか! 大きなったなあ!」と父。しきりに、今いくつだとか、身長はどれくらいだとかと訊く。関心もないくせに無駄な質問をしたがるから、テンちゃんも気の毒だ。
 で、名古屋の伯父も、モトはと言えば二条の家の人間なわけで、この伯父がまた、父と同じ質問を私に向かってしてくる。同じ境遇に置かれた私と従兄テンちゃんは、苦笑いしながら眼を見交わす。へ~、こんな従兄がいたとはねえ。

 ようやく解放されると、「まんまんちゃん拝んで来よしや!」という、いつもの伯母の台詞。私は奥の部屋へ行くと、中腰のまま、チーン! とやって、さっさと仏壇の部屋から飛び出そうとした。
 と、そこにはテンちゃんがいた。テンちゃんは板の間から部屋を覗いて(多分、「まんまんちゃん」とは何かを知ろうとして)、私の所業を見ていたのだ。

 わっ、バレた。私はテンちゃんを見上げた。まだ背丈が伸びきっていないけれど、私には十分に大きく見えた。テンちゃんは、「あ」の字に口を開けていた。あー、見ーちゃったー、と言いたげに笑っていた。
 私はテンちゃんの横をかすめ去り、階段に飛び乗った。そして階段を上がりかけて、ふとテンちゃんのほうを見下ろした。「2階に避難したほうがいいよ」と言おうとして。が、そのままタタタッと駆け上がった。

 To be continued...

 画像は、セザンヌ「赤いチョッキを着た少年」。
  ポール・セザンヌ(Paul Cezanne, 1839-1906, French)

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されば悲しきアホの家系(続々………々々々々々々)


 こうしてとにかく長男坊の伯父は、立派な腕前の和菓子職人になって、名古屋の店の跡を継いだ。

 この名古屋の家はさすが、放蕩の馬鹿息子の血を介在せずに先祖の爺ちゃんの血を引いているだけあって、かなりの資産家らしく、おまけに妻君はしっかり者で、たいそう教育熱心だった。名古屋の家の祖父が死んだときには、将来の学費として、孫にそれぞれ1千万円ずつの遺産を残したというから、二条の家の甲斐性なし祖父とはえらい違い。
 
 この名古屋の家の長男坊の伯父には、二人の男の子がいた。私には従兄に当たる。上の従兄がテンちゃん、下のがシュウちゃん、といった。
 私はテンちゃんに、たった一度だけ、会ったことがある。小学1、2年生の頃の、法事のときだった。

 従兄と言えば、アホの次男坊の伯父の、パッとしない息子たちしか知らなかった私は、この上品な、気取らない、賢そうで優しそうな名古屋の従兄のことが、ひと目見て気に入ってしまった。

 To be continued...

 画像は、シーレ「二人の少年」。
  エゴン・シーレ(Egon Schiele, 1890-1918, Austrian)

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