されば悲しきアホの家系(続々………々々々々々)

 
 さて、アホの家系ではあるけれど、ちゃんと例外もあって、好もしく思える親戚が二人いた。その一人は、名古屋の従兄だった。
 
 名古屋には、先祖の立派な爺ちゃんの血を引く同姓の分家があって、ちゃんとした和菓子屋を営んでいた。この名古屋の家、店の跡継ぎとして、遠縁の男児を婿養子に欲しい、と二条の家に申し入れてきたらしい。
 ただ、高校卒業の学歴がないと困るので、名古屋のほうで高校に通わせることが条件だ、ということだった。

 ちょうどよさそうなのは、次男坊の伯父だった。が、この伯父、「わしは高校行くなんて嫌や!」と言い張る。
 この時点で二条の家には、未だかつて高校に進学した者はいなかったのだ。特にこの次男坊の伯父は、カッコばかりつけたがるくせに、頭のほうはからっきしなのだった。

 次男坊の伯父の拒絶があんまり強情なもんだから、仕方なく、長男坊の伯父が婿養子に行くことになった。……跡取りの長男坊が養子に行くなんて、京都じゃ前代未聞なほど珍しいことだったらしい。

 ところで、二条の家では結局、この長男坊の伯父と、末坊である父だけしか、高校を出ていない(それももちろん、普通科ではないのだが)。
 このため父は、二条の家ではもっぱら「よくできた息子」、「よくできた兄弟」と評判だった。私の母は、嫁いだ途端に、この家の末妹の、ぶくぶく太ったキンキン声の叔母に、「あんたなんかに兄さんは勿体ないわあ」と言われたそうで、このことについて私は、子供の頃から数百回も、母の不平を聞かされてきた。

 To be continued...

 画像は、セザンヌ「赤いチョッキを着た少年」。
  ポール・セザンヌ(Paul Cezanne, 1839-1906, French)

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