世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記
魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-
されば悲しきアホの家系(続々………々々々々々)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/1a/6895110248883659e1df1c19da63e058.jpg)
さて、アホの家系ではあるけれど、ちゃんと例外もあって、好もしく思える親戚が二人いた。その一人は、名古屋の従兄だった。
名古屋には、先祖の立派な爺ちゃんの血を引く同姓の分家があって、ちゃんとした和菓子屋を営んでいた。この名古屋の家、店の跡継ぎとして、遠縁の男児を婿養子に欲しい、と二条の家に申し入れてきたらしい。
ただ、高校卒業の学歴がないと困るので、名古屋のほうで高校に通わせることが条件だ、ということだった。
ちょうどよさそうなのは、次男坊の伯父だった。が、この伯父、「わしは高校行くなんて嫌や!」と言い張る。
この時点で二条の家には、未だかつて高校に進学した者はいなかったのだ。特にこの次男坊の伯父は、カッコばかりつけたがるくせに、頭のほうはからっきしなのだった。
次男坊の伯父の拒絶があんまり強情なもんだから、仕方なく、長男坊の伯父が婿養子に行くことになった。……跡取りの長男坊が養子に行くなんて、京都じゃ前代未聞なほど珍しいことだったらしい。
ところで、二条の家では結局、この長男坊の伯父と、末坊である父だけしか、高校を出ていない(それももちろん、普通科ではないのだが)。
このため父は、二条の家ではもっぱら「よくできた息子」、「よくできた兄弟」と評判だった。私の母は、嫁いだ途端に、この家の末妹の、ぶくぶく太ったキンキン声の叔母に、「あんたなんかに兄さんは勿体ないわあ」と言われたそうで、このことについて私は、子供の頃から数百回も、母の不平を聞かされてきた。
To be continued...
画像は、セザンヌ「赤いチョッキを着た少年」。
ポール・セザンヌ(Paul Cezanne, 1839-1906, French)
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