されば悲しきアホの家系(続々……………々々)

 
 私が好もしいと思っていた親戚のもう一人は、アメリカへ渡った伯父(=父の兄)だった。
 
 この伯父は、ロサンゼルスのリトル・トーキョーで寿司屋を営んでいた。先祖の立派な爺ちゃんゆかりの某市の名と、爺ちゃんの名、それぞれ最初の漢字一文字ずつを取って足すと、「食わせろ」という意味になる。これが伯父の店の名前だった。二条の家の人間のなかで、先祖の立派な爺ちゃんを多少なりとも尊重していたのは、このロスの伯父だけだったと思う。
 そして、二条の家の人間のなかで、この伯父だけは、いささかクリエイティブなところがあって、声の大きさもデリカシーのなさもさほどではなく、身内自慢もしなかった。

 ロスの伯父はとにかく子煩悩な人で、超未熟児で産まれた一人娘(=私の従姉)が、もし普通に育たないなら、この日本ではさだめしいじめられることだろう、と一途に憂慮して、妻君の家に伝手のあるアメリカへの移住を決めたらしい。

 アメリカでは、例えば屋台のラーメン屋が10年間、その日の売り上げを毎日、銀行に持っていって貯蓄し、10年後その銀行に、店舗を構えるためにローンを申し入れると、銀行は担保なしで、信用だけで、資金を貸してくれるのだという。
 そうしたアメリカの土壌と、日本人の美徳とされる勤勉さ、真面目さとをもって、ロスの伯父の寿司屋は繁盛していた。名前は忘れたが、ハリウッド・スターたちも来店したことがあったという。
 
 To be continued...

 画像は、クストーディエフ「お茶を飲む商人の妻」。
  ボリス・クストーディエフ(Boris Kustodiev, 1878-1927, Russian)

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