されば悲しきアホの家系(続々………々々々々々々)


 こうしてとにかく長男坊の伯父は、立派な腕前の和菓子職人になって、名古屋の店の跡を継いだ。

 この名古屋の家はさすが、放蕩の馬鹿息子の血を介在せずに先祖の爺ちゃんの血を引いているだけあって、かなりの資産家らしく、おまけに妻君はしっかり者で、たいそう教育熱心だった。名古屋の家の祖父が死んだときには、将来の学費として、孫にそれぞれ1千万円ずつの遺産を残したというから、二条の家の甲斐性なし祖父とはえらい違い。
 
 この名古屋の家の長男坊の伯父には、二人の男の子がいた。私には従兄に当たる。上の従兄がテンちゃん、下のがシュウちゃん、といった。
 私はテンちゃんに、たった一度だけ、会ったことがある。小学1、2年生の頃の、法事のときだった。

 従兄と言えば、アホの次男坊の伯父の、パッとしない息子たちしか知らなかった私は、この上品な、気取らない、賢そうで優しそうな名古屋の従兄のことが、ひと目見て気に入ってしまった。

 To be continued...

 画像は、シーレ「二人の少年」。
  エゴン・シーレ(Egon Schiele, 1890-1918, Austrian)

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