されば悲しきアホの家系(続々……………々)

 
「せやけど某省やで。そこの官僚やったら、ええとこの娘さんが来てくれるわな」と名古屋の伯父。
「名古屋の家は賢いさかいなあ。うちの子にも勉強教えたって欲しいわ」……こんなふうに口を挟むのは父。父は心ひそかに、近い将来、自分の子供たちもテンちゃんやシュウちゃんのように大学に行けるかも知れない、という願望を持っているのだ。
「いくら賢いかてな、……」と次男坊の伯父。

 こうやって、同じ会話が延々と続く。

 ちなみに、次男坊の伯父が男前と自慢する息子(=私の従兄)は、私の審美眼で見れば全然、男前ではない。おまけに、常に洟をズゴッ、ズゴッとすすっているので、私に言わせれば人並み以下。
 蛇足だが、「賢いだけが人間の価値ではない」という台詞は一般に、賢くない人間が吐くものだ。よしんばその台詞が真実を含むにせよ、賢い人間には、「美しいだけが人間の価値ではない」、「優しいだけが……」等々と同様、そんな台詞をわざわざ言う必要がないからだ。

 ところでもちろん、シュウちゃん自慢が名古屋の伯父の独壇場となるのは、この二条の家のなかでだけであって、二条の家以外の人間に対しては、途端に、次男坊の伯父も出戻りの伯母も、
「わての甥には、某大出て某省勤めとる、えらい賢いのがおるねんで!」と、シュウちゃんを自慢の種にする。
「わての婆さんの叔母さんが賢い人やったからな。血筋やなあ」と、シュウちゃんの頭は、訳の分からない血筋に帰されてしまうのだ。

 To be continued...

 画像は、ノルデ「赤毛の少女」。
  エミール・ノルデ(Emil Nolde, 1867-1956, German)

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