5時もう夜明け。スタート。
炭化に意外に時間がかかり、結局夜10時止め窯。
およそ17時間の酔いどれ炭焼きだった。
夕方こいけと桜を見て回る。
山桜。
植えて丸5年のソメイヨシノ。
5時もう夜明け。スタート。
炭化に意外に時間がかかり、結局夜10時止め窯。
およそ17時間の酔いどれ炭焼きだった。
夕方こいけと桜を見て回る。
山桜。
植えて丸5年のソメイヨシノ。
黒米朝紫の種まき。
昨年は野ウサギ、イノシシに全滅させられたので、一昨年に収穫して冷蔵していた種もみの残りを使う。
親父のことでバタバタしていて手に付かなかった炭焼き。
およそ4週間ぶりの6窯目準備。これで今年は最後となりそう。
さて、昨日は八千代の親の会のOさんが、娘さんとお寄りになられた。
6年半ほど前、まだこちらで始めて数か月経った頃一度いらして以来。
染めから織りまでされる方で、その時の会話を詳しくは覚えていないのだが、うちの玄関ホールに何か作っていただこうかな、買いますからなどという図々しいお願いをしたのかも知れない。
その後、お互いに忙しく(親の介護など)、そのこともいずれ忘れ、僕も親の会にもなかなか行かなくなって年賀状だけの交換みたくなっていた。
Oさんは、先週数年ぶりにお会いしたFさんから同じ親の会の世話人を引き継いだ方。前日に数年ぶりのメールがあり、急きょいらしたのだが、おみやげに差し出されたのは、6年前に出たその織物。
2m40cmにもなるそのタペストリーを、お忙しい合間に少しづつ6年間かけて織ってくださっていたのだ。
嗚呼、あの時に僕らが調子に乗って、気軽にお願いしたような形になっただけのものを、何年も忘れずに覚えていてくださってそれを今回わざわざお届けくださったのだ。
6年間大変な重荷を背負わせてしまったのだろうなという恐縮した想いと、驚きと、職人魂とでもいうべき誇りと、色々なことを感じてしまった。
Oさん、じっくり飾る場所を検討してまた写真をアップさせていただきますね。本当にありがとうございました。
それにしても・・・先週のFさん、今週のOさん、との数年ぶりの再会、しかもどちらも僕の近況はご存知なかった、(今、親父の件で行ったり来たりしている)八千代との縁の思いがけない復活に、不思議な感慨を覚えるあべっちなのでした。
昔の人はよく言ったものだ。
さて。朝ドラは、バタバタ人が亡くなっているけど、親父は先週水曜日になんとか退院させた。
10万人に一人とも言われる血液の難病があり、時々の輸血が必要なので、受け入れてくれる施設(老健など)が現実にはない。周りからは有料老人ホームを勧められても、そんなのすぐには無理。取りあえず帰宅させるしかない。
で、退院時に見学ということにして、とある市内の有料ホーム(かなり豪華目、ショートステイもできる)に打ち合わせして、本人の機嫌が良ければ、という土壇場決断で、母と二人分昼食を出してもらおうと画策した。
しかし・・・退院時のケアマネ、母、本人も含めた服薬指導、栄養指導の際(実際にはその前のベッドの上からすでに)不穏な空気があり、最近大得意の「いててて」攻撃。
完全に認知症入ったかのような駄々っ子ぶり。
自分への指導なのに「いい、もうやめてくれ。いててて」
ソーシャルワーカーさん看護師さんも困った顔。
最後の方で、僕らから昼食をプレゼントしたいと申し出て(なんでそこまで気つかわにゃならんのだ?)、有料ホームには「今から行きます」と連絡、介護タクシーに母と乗せて僕らは自車で追いかけた。
入り口でもめるのじゃないか、とハラハラしたが、結局両親のためにわざわざ用意して下さった一室で、出された昼食を前に切れたようだ。
後ろからそっと見守っていた僕らが近づくと
「なんでこんなことすんだ、ばか野郎!」
はぁぁ、なんという醜態。認知症もだいぶ入ったのかも。他人様の前では、さすがにこういう暴言をはく人ではなかったから、びっくりした。
ホームの方が(まぁそれも想定してお願いしておいたのだが)別室の豪華ベッドの部屋へ案内してくれて、しばらく休ませることに。
そこでも(ずっと車いすに座っていて汗かいたのだろうが)「漏らした」と言って、若いケアスタッフのお姉さんにリハパンをはかせてもらったりと、もう大迷惑。
見学どころでもなくなって、早々に施設長さんにマンションまで送っていただいて帰宅させた。
(リクライニングのできる結構でかい車いすをレンタルしているので)
有料老人ホームには、迷惑をおかけしていくらか車代などお払いしたいと申し出たのだが、大丈夫ですよと受け取ってくれなかった。
さて、帰宅の車内ではすでに、「いててて」攻撃は落ち着き、その晩はこいけと一泊したのだが、その後は暴言もなく、ブラックニッカの薄い水割りを作って、ソファで横たわった親父の鼻っ面に突きつけてやったら、くんくんと嗅いで、一口飲んでおったわ。苦笑
しかし・・・この痛み、痛がり方、やはり何かイライラとか脳の異変から来てるのかも知れない。変わり身が早すぎる。輸血などがあるため、訪問診療医が入るのも難しいとか。そうなると、どこまでおかしくなっているのか、同居していない僕にはわからない。もちろん母にも。
こいけと寿司などつまみながら、両親がテレビを見ている後ろで飲んでいたが、なんか大丈夫そうなのでどっか外で一杯やってくるか、ということになり、マンションを下りて近くの居酒屋へ。飲み屋もない田舎暮らしだから、10年ぶりくらいかも。
細かいいきさつは控えるが、近くに住んでいらっしゃる、以前親の会で親しくしていて、最近は何年もお会いする機会もなかったFさん(以前何度かこのうちにもいらした)に電話。なんと1時間ほどご一緒することもできた。僕らだけ飲んじゃってごめんなさい。汗
ほんの一時間のつもりが3時間ほどの遅い帰宅となり、母ちゃんがむっとして玄関を開けてくれた。苦笑
翌日一緒に(だいぶ汚れてきた)冷蔵庫と、電話を新調。子機の取り方など母に教えて、うちなどを短縮登録。換気扇のフィルターなどを洗って予備のものと交換などして僕らは帰宅したのだった。
翌日、両親のところへ顔を出したケアマネさんから、有料ホームでのショートステイなど今後利用してみたい、トイレの手すりも付ける、夕食のケータリングもお試ししてみると親父が言ったそうだ。まぁ種は蒔けたか。
今回退院時に、薬の増量、飲み忘れなどがないように、毎食後の薬を一包化し、次回の受診分までの薬しか出さない、また都度とある薬局に処方箋を送ってもらい、翌日薬剤師さんから自宅まで届けてもらうサービスも受け入れてもらったようだ。
再来週からは訪問看護にも入ってもらって、しばらくは平和な日々が続いてくれることを願っている。僕ももう自分の仕事がまったくできていない。
昨日は集落の枝切り=木障切り(役員仕事)、夕方からは新旧役員の顔合わせと引き継ぎ、慰労会へと続きもうへとへとであった。もう人様の用事ばっかり。そろそろ春の仕事に動き出さなければならない。まだその気にならないが。
気が付かなかったが、もう季節はすっかり春のようだ。
空豆など。
白菜の花。
農家の溝普請。
皆で用水路の掃除をしながら、壊れているU字溝やためマスも修理してゆく。
途中で近所の長老が、この花結構珍しいんだよ。この辺りでも、もうお宅のところくらいにしかないよ、と教えてくれたのがこれ。
二輪草というとか。
人が通らない場所だから草刈りも、それほど完璧にやってない場所で、それも幸いしたのかも知れない。
調べてみると絶滅危惧種の一つらしい。千葉県では要保護になっている。小さなお花。小指の先くらいだ。
昔の人はよく言ったものだ。
一昨日どしゃぶりの夜いったん高速走って帰ってきたけれど、電話に張り付くような感じで、完全に僕の仕事や生活は翻弄されている。
入院約1週間。もう明日にも退院という話が出て(容赦ない)、ケアマネとワンクッションの施設を考えたり、それもすぐには無理。
救急搬送されたときは、いよいよその時かと思って(以前やっと生前予約してもらった)斎場のパンフをかばんに忍ばせて行ったのだが・・・
鎮痛剤を別のところからもらって増量して、元旦の入院は結局胃潰瘍。
今回は少し感染症を起こしただけとのことで、それは抗生剤の投与であっさり回復。
腰の腸骨当たりの痛みはすごいあるらしいのだが、主治医によると「痛いですか?」と聞くと「痛いです」と答えるが、自分からは言わない。僕がやっと紹介状を書いていただいたペインクリニックへも結局行く気になったのは一か月くらいしてから。
また、触ると痛い顔をするが、骨ではない。本当に痛くてたまらない人は、こうは我慢できないものだ。という。なんとかやれてるのではと。
今回あっという間に2科ほど回って(僕は初めて会う)、先生に必要のない薬を減らして下さい、というとあっさりといくつかの薬が消され、本人の通院がきついから、もしよろしかったら一回に90日分出してくれますか?というとそれもあっさりOK。(今までは42日分)
なんで自分で言えないのかなぁ。とにかく言わないか言えないか。
あいたた、あいたたってベッドサイドではすごく言うのだが、看護師さんが来ると黙る。
薬の副作用、相乗作用でずっとご飯が食べられない(本人談)、痩せたと僕はずっと思いこんでいたのだが・・・
今回のCTなどで、腸に便が入っている、入院した翌日からは病院食は9割くらい食べられている。
皮下脂肪の厚みも元旦の入院時とそれほど変わっていなくてちゃんとある。触診した感じも本当の食欲不振の人の痩せ方ではない・・・・・・
歩いていないから多少足は細くなっているが・・・
主治医曰く「多分なんだかんだ家で食べられているんだと思います」はひ
吐き気も訴えるが吐いてはいないようだし、とのこと。
お母様の医学的フォローは誰がされていますか?お母様に問題はありませんか?いったん帰宅したら何日か泊まって二人の生活をじっと観察してみてください・・・
あの換気扇の油汚れ、油料理の多さ、ランドリーの上の換気扇まで油まみれで(今回掃除してきたがレンジ用の洗剤で漬け置きして歯ブラシで洗わねばならぬほど)、
食事時には油の臭いが親父の鼻につき、食欲をそそられないところへ、そういう料理だけではないのだけど、母から無理やりか、母を気遣ってか無理して少しコロッケなども食べているのかも知れない。腰も痛く食事がもう苦しみの時間になっているのかも知れない。
高次脳機能障害の母も一方的には責められるわけない。救急隊が玄関にきている横で「ご飯たべさせなくてもいいの?」と言っていたとか。(ケアマネ談)
彼女も今食事を一切まかされて、一生懸命なのはわかる、切なさも少し感じる。
しかし、僕らや外部からの手を一切拒んできて、まだお互いに二人で閉じている。まだそれほど困っていないようなのが、本当に不思議だ。やせ我慢か、世間体なのか。
85歳の病気の老人というと、病院やケアマネは80kmも離れている僕にキーパーソンとして色々言ってくるが・・・本人に決めて欲しい。
医療者には、言いたいことは言わず、僕が直接何かベッドサイドで言うと、気に入らないとすぐ「いいよ、ほっとけ」みたいにキッと言う。なんかひえっとしてしまうのだ。この歳になってもそういうのは怖いのだよ僕は。
母には携帯で毎晩電話しているようだが、肝心の僕には退院の希望さえ言ってこない。昔から上司と部下。直接お互いには聞けない聞かないから、看護師やケアマネを通して聞き出すみたいになってややこしい。
なんとか来週の退院にしてもらったが、僕の車には乗れないから介護タクシーを呼んでほしいそうだ。じゃ僕らは休み取って荷物運びと支払いと玄関までの送りのためだけ?主治医とも話さないとならないが。
日曜は今度来週と集落の仕事が入っている。今度の日曜は朝から農家の溝普請、水利組合の総会、夕方は集落の総会と飲み会。来週は新役員と旧役員の役員会議(コンパニオン!)
何が気が重いって、そういう人付き合いや飲み会が苦手なのだが、昔引きこもり始めてからの対人緊張(恐怖)のこの僕の性格は、やはりこの両親とのかかわりに大きな影響を受けていると改めて思わざるを得ない。
どれほどやっても評価されない。
酒を飲めるところまでは、回復させてやりたいが(換気扇のフィルター交換、ケータリングの利用、有料老人ホームの体験入居で二人を休ませるなどを今後提案→ケアマネさんが苦労しそう)、できれば付き合いたくない人達なのである。
最後の奉公奉公って、苦笑、いつまで続くんじゃい。
乱文だけど、今日はここまで。ふぅ。疲れた。
温暖化の影響か、ふきのとうはもう最盛期を過ぎた。
昨日はTシャツにヤッケ一枚で汗かいたもんな。
自給率の高い朝餉。ふき味噌。
明日は自分の受診だ。
ペインクリニック、期待して親父を受診させたが、簡単に結論を言うと、期待外れだった。
醤油のもろみを10日ぶりくらいにかき混ぜる。
味噌のような、でもちょっとやはり異なる美味しそうな発酵臭がしていて、腐敗臭ではなさそうなので取りあえず安心。
と、言ってもこのくらいの少量の醤油を手作りしている人は、ネット上でもあまり見つけられなくて、これが正しい経過かどうかはわからない。まぁじっくり熟成してもらうしかない。
5窯目窯出し。
上出来。段ボール2箱以上。
暖かくなってきて、火鉢を楽しむ時間も少なくなってきた。
外で七輪でも炭を燃やして、採ったばかりのシイタケを焼いてみた。
5時焚きこみ開始。月が出ていたが、もうそれほど寒くない。
3時間かかって炭化開始。
水仙と煙の香りで、窯の前に座りながら眠くなってしまう。
およそ9時間で温度が上がり始め、夜7時止め窯。
なんだかんだ14時間。明日は朝一で実家。