カナリアな日々

百姓になって15年目。補習塾カナリア舎はフェードアウト中。小麦、蕎麦、大豆などを作っています。

ボンタンアメとマックと

2006-10-30 17:23:21 | つれづれなる想い

サポートセミナーは300名と言う大緊張状態。いつでも逃げられるように一番に会場入りして、一番右後ろの席を陣取ってしまってごめんなさい。

20061028__1 総じて大変勉強になった。一部の先生が「元気であいさつ」とか「明るさ」を強調した学校紹介をしていたのが少しがっかり。元気でなくたっていいじゃないか!

元当事者のお話は涙を流すお母さん(?)も。
そうだよね、頑張りすぎてエネルギーが枯渇したというのは共感した。

「行った」「行かない」というのは表面的なこと。本人の意識の深いところの感性が納得して選択しているのかどうかが長い目で見ると大切なんだろう。

(今不調なのだがうちに来ている)K君のことで以前電話したことのある、某通信制高校の先生もおられたので、帰り際ちょっと呼び止めて立ち話。
僕と彼の二人だけでいつか見学させてもらう了解を得ることができたのも収穫だった。(一番後ろの右側に座って正解)

終了後実家へ。
親父とブラックニッカをロックで飲みつつ太平洋戦争前後の話で盛り上がった。
ちょうどたまたま前日確認したところで、親父が「お前よく知ってるな」と驚いていた。

翌朝久々思いきり二日酔いだー。(→両親が二階で寝てからも飲んでたやつ。)
親父は花巻へ向かい、すると母の方から買い物に連れて行ってと言い出したので、幕張のヨーカドーへ。

ぶらぶら洋服など見ながら(触りながら)、結局ジャケットを一着買ってもらった。
昼はフードコートのマックへ。
あれが食べたいと指さしたのはビッグマック。口に入りきらないからとダブルチーズバーガーで手を打ってもらった。

ソースで口の周りを赤くしながら、ポテトを二本づつ口へ。

僕「おいしいね」
母「おいしいね。これだーいすき」
僕「母ちゃん、マック好きなの?」
母「そうなの。でも(八千代にはマックが)もうなくなってしまったのよ」
僕「(えっほんまかいな。)じゃ今度来るとき買ってきてあげようか?」
母「いいわね。」
僕「ポテトは絶対必要だよね」
母「絶対よ。あたしマックだーいすき」

帰りの車中でも、
「あそこ(ヨーカドー)はなんだかあんまり気に入らなかったけど、最後にあそこ(マック)で食べたのが良かった」

46年前の今日、僕はこの人から産まれたのだった。

小学6年の頃僕は毎週日曜日、進学塾のテスト教室のためにお茶の水まで通っていた。
ちょうどその時、お茶の水の駅前にマックが開店して(いやもうすでにあったのかも?)なけなしの
おこずかいで食った初めてのハンバーガーのうまかったこと。

大きくなったらビッグマックを腹一杯食べるんだと思って育った。(恥)
船橋のキオスクで買うボンタンアメとマックに寄ることだけが楽しみだったわ。
いかん、脱線してしまった。

夕食は野菜カレーと、(ご近所から頂いた)里芋と鶏肉の煮物、里芋とタマネギのおみそ汁など作って二人で食べましたと。

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とんでコンスタンチノープル

2006-10-27 19:04:14 | つれづれなる想い

長年録りためた映画のビデオなどをDVD化している。HDDに落としても、つい見てしまう映画があってなかなか作業がはかどらない。

"シンドラーのリスト"や"プライベート・ライアン"などユダヤ人のスピルバーグの映画には胸をえぐられるようなものがある。戦争って、ナチスドイツってなんてひどい!!などと人間であることが更に嫌になる気分がするシーンもある。

でもふと、とある高校の今年の社会の入試問題を解いていて気付いたのだが・・・

そういえば約70年前、そのヨーロッパのファシズム(全体主義)国家であるヒットラー率いるナチスドイツ、ムッソリーニ(ファシスト党)率いるイタリアと、日独伊三国同盟を結んでいたのは他ならないこの日本だった。

中国、朝鮮などアジアの各地を侵略して「大東亜共栄圏」を拡大し、1941年12月8日にはハワイの真珠湾を奇襲、眠れる獅子アメリカを起こし、ヨーロッパの戦火を太平洋へと拡大させてしまったのだった。
当時の日本はおそらく今の北朝鮮以上に世界やアジアにとっての脅威だったのだろうと思う。

1942年6月ミッドウェー海戦でアメリカ軍に大敗し、ずるずると敗戦の道を歩み始めたのは真珠湾攻撃からわずか7ヶ月後のことだった。以後日本軍は後退を余儀なくされ、爆撃機は本土へも進入してくるようになり、1945年3月東京大空襲、そして日本国内での唯一の地上戦にして最大の悲劇となった沖縄戦、8月6日広島・8月9日長崎に世界初の原子爆弾が投下され、一瞬にして約30万人の市民を殺戮、8月15日の無条件降伏へと至った。(参考:中学新しい社会「歴史」)

翌年戦争放棄をうたう憲法を制定した日本は、そのアメリカと1960年日米安保条約を結び、今や日本にあるアメリカ軍の基地の75%は4分の1の県民を失ったとされる沖縄県に押しつけられた格好となっている。なんだかおかしいよね。

漢字を伝えたご近所であり、世界最大の人口を持つ大国中国とよりも、遠く離れたアメリカの方と仲良くしてきたのも(主義の違いがあるにしても)なんだか不自然に思わざるを得ない。その答えは僕には出せないけれど、でもね、

ナチスって何?
パールハーバーって何?
終戦記念日って何?

なんて20歳の若者全員がその言葉すら全く知らないなんてことは良くないと思うんですよ。僕もだけど深くは知らなくてもね、全く聞いたこともないなんてのはまずい。もちろん先生から学ぶだけが勉強ではないのだけれど。

僕だってさ、高校時代は理系で、世界史日本史などはつまらない暗記科目としか思わず、友達と授業をさぼって卓球したりしていた。
東ローマ帝国の首都がコンスタンチノープル?知るか!とか思いながら覚えていた。(と思われる。)

大人になってからあのコンスタンチノープルが今はトルコのイスタンブールなんだって知ってほぉぉ~って思った。あの庄野真代の「とんでイスタンブール」(1978年)のイスタンブールだったんだ!新鮮な驚きだった!

早速検索してみると、”バザールでござーる”の元になったグランバザールという世界的な市場があるそうだ。

飛行機に乗れない僕は一生イスタンブールに行くことはないかも知れない。でもいいじゃないか!コンスタンチノープルがイスタンブールになったんだと一つ知って、コンスタンチノープルと僕の昔と今が一瞬でもつながったのだから。
なんだか視点がとっても低俗な気がするが、それでいいじゃん。(→開き直り)

折しも最近の新聞紙上では、世界史など卒業に必要な必修科目の履修漏れが全国の高校で相次いで見つかっているそうだ。大学受験優先の方針から、本来あるべきカリキュラムを曲げて、これらの時間を利用して数学など他の科目を教えるケースが目立つそうだ。

いいのかこれで?学校!

明日はセミナーに出てから実家へ寄ってきます。
日曜日は母と一日二人きりだ。(大丈夫かなぁ)
息子の料理の腕をとくと見せて来ようぞ!な~んてカレーくらいね。

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アンビリーバボー

2006-10-24 17:54:41 | ひきこもり・不登校

今度の土曜日に幕張で開催される千葉県子どもと親のサポートセンター主催セミナー不登校・その先の生き方Ⅰに参加しようかと思っているのだが・・・

   

ちょうど翌日は父の兄の一周忌で父が花巻行きなので、頼まれて母を一日見ることになっていた。

1時間半かけて君津へ帰って翌朝また2時間もかけて実家へ行くよりも、その晩から実家に泊めてもらう方が向こうも助かるかも、な~んて思って父に電話してみた。(幕張から実家までは30分くらいだ)

父「もう布団も干して(押入に)しまっちゃったからなぁ。」
はぁ相変わらず歓迎されてないわ。。泊まるのやめようかな。
ケチク○!  

  

ところで、うちはトイレが水洗でない信じられない塾なのだが、夕方くみ取りの車が来ているちょうどその横を近所の小学生達が集団下校して行った。タイミング悪いぜ!ク○!(もちろん知っているだろうけどさ)

やっぱりこれじゃ生徒来ないよねぇ・・・農道うるさいしねぇ・・・引っ越す!

敷地の広い空き家情報求めます。

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点と線

2006-10-21 23:59:33 | ひきこもり・不登校

今日は足を伸ばしてこもれびの親の会へ顔を出してみた。
(親じゃないんだけど)

いつものメンバーと今日はお初の若い男性。

同じように子どものサポーターとしての活動を始めた方だ。
名刺を渡したら、僕の名前を見て、前に一度メールをしたことがあるとかでビックリ!

世の中広いようで狭いね。

それにしても・・・都会は車が多くて参る。。
帰り、八千代を抜けるのに一時間もかかちまったぜ。
残りの50kmは一時間もかからなかったけどね。

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南国よいとこ

2006-10-16 23:35:33 | つれづれなる想い

昨日はココでお泊まり。

朝夕バイキングで、布団は敷きっぱなし、チェックアウトは12時でお昼まで出してくれる。
従業員が入ってこないから散らかしっぱなしでほぼ24時間部屋を貸し切りにできるのだ。

露天風呂も大きくて、風呂に入って部屋でゆっくりテレビなど見てだらだら過ごしてきた。
窓からは野島崎灯台。
昨日は草刈りのあと、早めに着いて自転車を借りてこいけと散策してきた。

企業努力の賜物。
既成概念を打ち破ったアイデア勝ち。
3食付いて一人7800円とは安すぎる。

普通の旅館って、配膳したり下膳したり布団を敷きに来たり、それなりに部屋にいても気使うもの。それがない。誰も部屋に来ないってのはええよ。

昨年からかれこれもう6回くらい泊まりに行ったかな。
今僕らのお気に入りの宿。

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ナスニラウリネギ

2006-10-14 23:05:09 | ひきこもり・不登校

明日は恒例の秋の草刈り行軍。
町だったらただの空き缶拾いだけなんだけど田舎はそうは行かない。

そう言えば、ここへ越して来る前の土地(町の住宅街)では僕はひきこもっていて、缶拾いさえ出られなかったっけ。わざわざワンコと一緒に前日から車で逃げたりしていたな。
それから考えれば、今は年3回なんとか出ているからよく頑張ってるね、自分。

で、明日は草刈りのあとごほうびでちょっと出かけてきます。

写真は7回目の青唐辛子の収穫。
061014_ 根元に植えているのはニラ。混植と言って一緒に植えると病気になりにくいとかの効果があるそうだ。青唐辛子も含め、ピーマン・ナス・トマトなどナス科の野菜にはニラがいいらしい。コンパニオンプランツって最近は言ったりもするみたいだね。

ちなみに、すいかやきゅうり・かぼちゃなど、ウリ科にはネギを混植するといいみたいよ。

ナスニラウリネギって覚えてね。今度の試験に出ます。

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一周年

2006-10-11 00:01:00 | つれづれなる想い

今年の青唐辛子はよくなって、先日6回目の収穫。
全部で2.5Kgほどになってしまって、こうじが足りなくなってしまったので買いに行った。

こうじはいつも鴨川のこうじ屋さんで買っている。
(スーパーの板こうじより安い)
前回、お店の人に青唐辛子味噌のことを話したら興味を持たれた様子だったので、今日少し持参したら、喜んでお返しに甘酒をもらってしまった。わ~い。

帰りに鴨川のジャスコで、母が去年入院していた時にお世話になった言語聴覚士(ST)の人にばったり。近況を話しながら思い出した。

そうだ今日は母が退院して丁度1年だった。

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雨のお月見泥棒

2006-10-06 23:58:00 | 田舎暮らし

今日は十五夜。

こちらに越してくるまで知らなかったのだが、ここ周辺には
お月見泥棒という習慣があって、お月見の晩には子供達がめいめいに入れ物を持って好きなお宅を回ってお菓子をもらって歩くのだ。

毎年うちも少しばかりのお菓子を小袋に入れて、10袋ばかり
用意しておく。

今年も用意したが、お天気のせいか、単に人気がないだけか
一人の訪問者もなかった。なんだか寂しいね。

明日来るかも知れないので、このまま待ちます。

時々思い出すのだが、昔読んだ絵本で「泣いた赤鬼」とかいう
本があった。

村人は怖がって鬼のうちを訪ねては来てくれない。
どうしたら、気楽に来てもらえるだろうかと考えた末、鬼は
家の前に立て札を出す。

うろ覚えだが、こんな内容だったと思う。

「どうぞお越し下さい。お茶も用意してございます。
お菓子も用意してございます。」

そんなことだったかなと思って改めて検索してみたら本当は
こんな話だったのだ。青鬼いいやつだね。

寂しくてもいいや。ずっと雨でいい。

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雨の日とひきこもりは

2006-10-05 19:15:49 | カナリア舎

たとえ生徒が来ない日でも、午後には教室の電気をつけて
教室で勉強をしたり、パソコンをしたりして過ごす。
すぐそばを人が通ったりするので、生徒が来ているふりも
しなくてはならない。(と思い込んでいる)

だから、生徒がいないときは、ヒヤリングテストのCDをかけている。
こいけが(外から教室の中がのぞかれないように)特別なカフェカーテンを作ってくれたから、中で寝ころんでいても構わないのだ。

今日のような雨の日はうれしい。
だってあんまり人が通らないもの。

雨の音があるから、CDをかけなくてもすむもの。
雨はええわぁ。

今日は化学の勉強をまったりと教室でずっとやっていた。
定期試験が近づくと来てくれる高校生が今度来るのだ。
一生懸命予習しないとね。

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電車は苦手だ。

2006-10-01 23:13:15 | ひきこもり・不登校

たまには電車に乗る練習もしなくてはと、昨日こいけと思い立って
上野へ行くことにした。

最初は特急がなく、ローカル電車に乗って空いていたが、千葉乗り換え、→秋葉原→上野などと考えているとだんだん顔がほてってきて、早くもだめそうだった。なんかのども痛くなってきたぞ。

しかしながら、うまい具合に途中で特急に連絡し、すーっと東京まで行けた。
行き先は恥ずかしながら、二人とも40年ぶり以上と言う上野動物園。

昔の記憶はないので、ほとんど初めてみたいな感覚だったが
まぁ動物はね、猿とかたぬきとかねずみとか珍しくもないものも多かったけどさ、

パンダってまだ日本にいたのね!!!

ホアンホアンとかの時代は遠くへ過ぎ去り、すでにもう日本には
いないものと思っていたけど。リンリンていう子が一頭いました。
だるそうに寝てましたが、もう10数年も一人でこうやって人目にさらされてストロボたかれてるのかしら、などと同情心も禁じえませんでした。ご苦労様。

20060930_40_08 ヒトというおりもあればいいのに。

というわけで、夕べから風邪引いて今日は一日寝てました。(写真はゴリラです。パンダではありません。)

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