無事帰還。早速。
沖縄は雨らしい。今日は海で泳ぐ予定だったからどうしてるかな。
レンタカー乗り放題だからどこか観光してるかも。
夕べ「緊張するよ~」と携帯メールが来た。
あとで電話したら料理が一個一個運ばれてきて、一同皆緊張したと。
田舎もんだなぁもう(苦笑)。
でもよく考えたらこいけをそういう席に連れて行ったことないから。
ホテルの沖縄料理ってそんななんだ。
泡盛と大皿盛りのゴーヤチャンプルくらいしかイメージできなかった。
やっぱりうちご飯が一番だなぁと密かに思った。
こちらも天気が悪く、畑へ出ることもなくずっとおこもり中。
近くに居酒屋でもあれば、行くかも知れないけどそんなものはないし。
今一人で行きたいところも別にないんだよね。どこへ行ってもうるさいし。
筋金入りのひきこもりだ。
結局うちで映画を見たり、だらだらしてる。
夕べは飲みながら"フラガール"を。やっぱり常磐ハワイ○ンセンターは奇跡と言うより、多くの人の想いの結実だな~。しかしすごい発想だった。
今日は昼間から久々の"ターミナル"。あの清掃員のおじいさんがいいお味。
明晩ぎりぎりの便で戻ってくる彼女らを、ビッグバードへ内緒でお迎えに行くつもりだからね。
僕はまだターミナルの先へは行けないけれど、そのうちこいけを連れて行けたらいいな。他人の運転はいやだからできれば自家用ジェットでな。(アホ)
あ、なんだ、僕が一番の田舎者だった。
こいけ母娘3人ぶらり沖縄旅へ。
早朝雨の中、アクアライン高速バスのターミナルまで送る。
どうやら先ほど無事に到着したようで、ちょっとホッと。
「耳がちょっと痛かった」と早速電話が。
さっき羽田からも電話してきたっつ~に。
あんな重い物が空飛ぶなんてね~
ガソリンもまた高くなるから、今だけよ。
こちらは大雨、あちらも曇り時々雨とあまりお天気には恵まれないみたいだけれど、(あ、でもさっきの電話ではまだ晴れてるそうな)初めての母娘3人だけの旅、楽しんで来て欲しい。たまには僕のことを忘れて。
海に面した素敵なホテルで夜は予約のディナー。今日は沖縄料理、明日は洋食の予定。
こいけが2泊もいないなんて、この15年で初めて(入院以外)。寝られるかしら。
食料は豊富にあるので、夜はちょこちょこつまみ作りながら一人酒かな。
早朝、防災無線(=田舎の騒音)で、雨天のため缶拾いは中止と流れたが・・・
田舎はそんなに甘くない。
雨の中きっちり行われた。
おおむね皆さんに好評だった。(僕の草刈り)
もう片面もついでにやってくれても良かったよ、などと、軽口を叩く奴が数名。コラ。
ま、悪気はないから勘弁してやる。
しかしながら、つまっている側溝があって、(何度も言うようだが田舎の側溝は腰くらいまで深さがある)一輪車とスコップで皆で泥さらい→泥リレー。結局11時近くまで。
大汗かいたが・・・・、
雨の中を傘をさして以外歩くこともなかった人生、
皆で雨に打たれながら(雨具は着てるよ)、協力して土方作業をやるのもいいものだよ。そういうの僕は嫌いじゃない。。
早朝覚醒+夢見が悪く、ちょっと強迫っぽく不調気味な朝。
明日は今年一回目の草刈り行軍。どうやら雨は避けられない感じだ。
こんな時は逆に草刈りでも。久々のセロトニン放出作戦。
でもうちの周りは全部刈ってしまって(人の休耕田まで)もう今は刈るとこないし。
明日皆で刈る予定のところ(家のない山道)少し刈っちゃおうか、でもスタンドプレーもいいとこ。田舎では特にね。
でも、明日皆が少しでも早く終わればいいし、何より今後に備えて草刈り力を鍛えておかなくては。
いつも(の草刈り行軍では)草集め部隊だし、一度想い出にあそこ刈っておきたいわ、ということで、二時間半ほどで500mほど刈ってみた。
ま、ちょっとさっぱりしたかな?
ところで・・・
最近「ひきこもりの支援」という言葉を目にし、ちょっと違和感を覚えた。
ひきこもりは悪ではないというような文言も。
当たり前だ。
そもそも登校している子の親に「登校は悪?」なんて言わないだろう。
不登校はいけないこと、直さなくてはいけないことというような偏見が世間に多くあって初めて「不登校は悪いこと?」なんていう言葉が生まれる。
それと同じこと。
そういう世間の見方に対して書いているのだろうけれども、ひきこもりの当事者達にとっては(おそらくは不登校の当事者にとっても)、不快なものを感じるのではないか。
このくそったれな世の中や大人たちや親の価値観などに背を向けているだけかも知れないし、思い通りになりたくないと、わざと親がいやがることをやっていることもあるかも知れない。(僕は最初はそういう感じ)
僕が本格的にひきこもっていた頃、「自分でなんとかしなくちゃ」という思いはあったけれど、「誰かに支援してもらいたい」っていうのはなかったなぁ。
およそ10年のひきこもりの後、自助グループの存在を知り、自ら出かけて行くようになった。
支援という言葉にはどこか傲慢なものを感じてしまう。
他人にできることは傾聴や共感くらいのものではないか。
「ひきこもり」に限らず、「閉じこもり」「立てこもり」など「こもる」という言葉で表される背景には、本人の強い意志が存在しているのだ。
ある体験者の人が書いていらしたが、
「大切なことは本人がトンネルを歩き通すこと」
トンネルに穴を開けて引き出すのではなく。
そばにいる人は、一緒にトンネルを歩いてあげることくらいしかできない。
(靴ひもがゆるんでいたら直してあげたりね)
「大変だけれど、お互いに頑張って自分の道を歩き通そう」
と、僕は多くの物言わぬ同胞たちへ言いたい。
鎌で葉っぱを落とします。
最近ある不愉快な出来事があって、つくづく思った。
結局は感性に従って生きるしかないのだなと。
それが世間の常識や世間体と、どんなに乖離し、あつれきを生じようとも。
ある人が「心の羅針盤に従う」と言っていたが、僕もそう生きるしかないのだと思う。
居場所探し続行中。。