一ヶ月以上経ってしまった。もう永遠に書けないかと思っていた。
看取るつもりで行ったわけではないのだけど、結局気が付いたら息が止まっていて、最後に看取ったのは僕だった。
情のある家族ではなく、ずっといい関係ではなかったけど、自宅で死にたいと言っていたその通りになってそれはよかったと思う。
しかし、そのような満足感も数日しか続かなかった。
6/29の火葬の二日後、銀行から遺言の開示があった。
15年間長男の僕らに両親の世話を任せっぱなしで、正月だけ顔を見せていた弟夫婦。
父の遺産でなく、昨年同時に作られたまだ生きている母の遺産の見積額を見てから急にしゃしゃりでて来るようになった。
まだ火葬から二日しかたたないのに、母の死があと数年と予想して、相続税の資産が大変な額だとか、遺言を無視して暦年相続とかした方が良いとかの提案。
うんざりして、いさめたら逆ギレ。
今後は一切何もしない、勝手になんでも決めてやって下さいとメールしてきた。
お坊さんの都合で今週の平日にした49日法要も、伝えないわけにもいかないと訳を話したら、お坊さんが伝えてくれるというので伝えてもらった。
するとあんたは非常識だと言う返事。
それでも夫婦で来るので日時を知らせて下さいというので(は?坊さんが伝えたはずだけど)、コロナが拡大したら無理せずと返信したら、来るなと言うことですね、では行きませんと3行、結局母と僕ら3人だけでマンションで法要をしてきた。
なんか睡眠時無呼吸で、呼吸の機械付けて寝ているらしい。なんか言動もちょっと変。でもちゃんと会社には行っているんだし、わけわからん。
情けなく、恥ずかしく、苦しい毎日だ。
一方で怒り心頭でもある。こんなやつが弟だったなんて。
これまでも何もしない、今後も何もしないというやつが父の遺骨の前に座れるのか?と返信したらちゃっかり先日夫婦で母のもとを訪れたという。
さて僕は何もしないと言った弟のようにほっとくわけにも行かず、行く度に両親の郵便物を持ち帰り、凍結された父の口座から母の口座からの振替依頼や、遺族年金の請求、さまざま払い込み。
草刈り、本業の合間に母の書類もと疲れる日々。
いない人の銀行印や実印、印鑑証明など煩わしい。
仏壇も見に行って買った。今後ホームや父の墓も決めなくてはならない。それもいちいちこの馬鹿弟に連絡しなくてはならないのだろうか。
母はもう飯も炊けない、郵便も丸投げ下手すればゴミ箱行き。さびしくもないようで、あなたちゃんとやりなさいと当たり前のように言う。ヘルパーたちが朝夕に訪れる日々から解放されて、幸せそうだ。(苦笑)
こういう情のないおかしな家族の元に生まれてしまったのだ。そこがそもそも間違いだったが、もう取り返しがつかない。
やはり幸せに生きることも死ぬことも今後できないだろうと思っている。
訪問医や看多機の方々から「息子さん呼ばれたんですよ。お父様幸せですね」と口々に褒められたが、複雑な気持ちだ。
梅干し3日目。
すいか上出来。

6月収穫の小麦。

もう一台3万円のAI電柵を買ってしまった。