カナリアな日々

百姓になって15年目。補習塾カナリア舎はフェードアウト中。小麦、蕎麦、大豆などを作っています。

もみぢ

2014-11-30 13:04:30 | 田舎暮らし

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イノ子ついに捕まる

2014-11-30 13:01:13 | 田舎暮らし


敷地内に設置してある檻についに、あのイノ子が入った。



うちの米食べて、随分でかくなったこと。



周りはこの荒されよう。





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健さんと共に

2014-11-28 20:01:15 | つれづれなる想い

さて2006年6月より続けてきたこのブログ。

OCNのバ〇やろうの勝手のせいで、今月末をもってサービス終了、消滅となります。

続けたい人は自分でgooブログへ移行せよとのことです。ふざけやがって。

永年ご覧いただきありがとうございました。

(投稿記事2291、コメント1284)

尚、ホームページ"チェリボンのおざぶ"も同時に消滅となります。

一人娘チェリーのありし日の姿をあと二日どうぞご覧になってください。本当にこれが最後になります。

またいつかどこかでお会い致しましょう。

ふきのとう

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「チェリボンのおざぶ」(サービス終了のHP)より自己紹介文(備忘録として)

2014-11-28 16:51:33 | カナリア舎

1960年10月30日北海道砂川市にて出生。

翌年には東京へ。そして千葉県八千代市の社宅へ転居。

小学5年生より東京お茶の水の日曜テスト教室へ通い、国立大の附属中を受験し合格。

小学校の卒業式は、友達と別れるのが悲しくて涙が止まらなかったのを覚えています。



附属中学校では、ぎすぎすとした雰囲気の中、いじめにも会いました。

一人か二人の首謀者とその他大勢の傍観者と協力者。
世の中は冷たい所、周りは敵ばかりなんだという世界観が
身に付いたのはすでにこの時期でした。

当時県内では学校群という制度があり、相当な高得点を
得ないと希望高校に入れないという不安だらけでしたが、
なんとか乗り切って、高校入試の得点は485点でした。

高校では中学時代とはうって変わって自由な雰囲気となり、
僕はミニサッカーの同好会を作ったり、合唱コンクールでは
ピアノを弾いたり、勉強も一生懸命にやり、恋もし、まさに
文武両道の素晴らしい青春時代でした。

今振り返っても素晴らしい思い出です。
人生で最高の時だったかも知れません。

いつまでも、あるいはもう少しこの幸せは普通に続くのだろうと、自分の洋々たる未来を疑いもしませんでした。

いよいよ翌年から初めて共通一次試験という一斉テストが
行われるという高校3年の夏休み、それまで勉強もスポーツ
も順調だった私は、突然机に向かうことをしなくなりました。

全国30万人の受験生が、時報を合図に一斉にマークシート
を塗りつぶす作業をするさまは、何かブロイラー工場の鶏の
ようなイメージを持ちました。

大好きなサッカーもできなくなり、なんだかつまらないな、
始めはそんな気持ちでした。

机にはほこりがたまるようになり、帰宅後は寝てばかりいる
ようになりました。
しかし高校へは通っていました。

翌年の受験は、第一希望の大学への点数に足らず、第二希望
の工業大学を受験するも、不合格となりました。

そして18歳、一浪の時です。
お茶の水の駿台予備校へ向かう、朝のラッシュの総武線車内で
起こった突然の吐き気。水道橋付近でした。たった一回の吐き気。

それがきっかけでした。

以来約30年、対人恐怖やひきこもりの問題を抱えて
生きてきました。

吐き気への不安から電車へも乗れず、友達と一緒に学生
食堂で昼ご飯を食べたり居酒屋へ行ったりすることや、
床屋へ行くことさえできなくなりました。

人前での発表では、市販の乗り物酔いの薬を飲み、口の中
に飴や乾燥梅干しをしのばせながら、なんとかこなしました。

一度でも皆の前で吐き気がしたらもう自分は終わり、という
ような気持ちでした。

そんな自分を必死に隠しながら、アップアップで大学院を修了、メーカーの研究職につきました。

でもそこでもう限界でした。

何年かひきこもり、その後も再び働いたりもしたのですが、
長続きはしませんでした。
精神的にはずっとひきこもりなのです。

いい大学を出て、いい会社に入ること、そんなあいまいな
ものを目指して頑張ってきたように思います。

でも、一方でそれは常に自分にとって重い目標だったのだろうと、今なら思えます。

知らず知らずのうちに、
白か黒か、ゼロか100か(all or nothing)、敵か味方か、
勝ちか負けか、完璧にこなすかひきこもるか、というような
中庸のない、偏った考え方が身についていました。

内なる自分の中で、「本当はもう何もしたくない」と叫ぶ自分
と「頑張って完璧にこなさなくては恥ずかしい」と強迫的に
追い立てる自分とが今も時々ぶつかり合っています。

メーカーを出社拒否、休職、退職し、30歳手前から再び
ひきこもり状態へ。

心療内科へも通うようになり、自律訓練法などを教えて
頂きましたが、効果はあまり上がりませんでした。

しかし、何とかしてこの対人緊張を治さなくては人生お先
真っ暗だと思っていました。

当時シャーリー・マクレーンという有名な女優さんが著した
精神世界の本や、日本のマスコミでブームとなっていた
霊的能力なんていう世界に興味を持ち始めていました。

自分の対人恐怖の原因を何とかして探りたかったのです。
今自分の生きているこの人生以外にその原因があるのでは、
と当時は本気でそれにすがりました。

でも結局それでも楽になるということはありませんでした。

1992年、今の奥さん、こいけと知り合います。

この人との出会いがあればこそ、今自分は生きていられます。

全く何もしないでいた時期にも、僕を支えてくれました。

ただ生きているだけで愛される、条件をつけない愛というもの
を初めて教えてもらったように思っています。

やっとACという概念を知ったのが1996年頃。


それから自助グループやインターネットで同じような体験を
持つ仲間達と出会い、交流を経て、少しづつ自分の生き方や
家族の偏った価値観に気づきました。



自助グループでのミーティングやネットの掲示板、メール等で
自分の体験を少しづつ言葉や文章にしているうちに、
恥ずかしい、恥ずかしいと否定ばかりしていた自分を少し
肯定的にとらえることもできるようになってきました。



自分だって頑張って生き抜いてきたんじゃないか。



世間体や結果ばかりを気にして、自分の本当にやりたいこと
など考えることもなく来てしまった自分。




電車の中で一回気持ち悪くなったくらいで、もう家から出られ
なくなってしまった自分。



テストで高い点数を取る、それが唯一自分が人より優れているところなのだと思いこんでいた自分。



過ぎ去ってしまった29年をやり直すことはもうできません。



自分の体験を少しでも生かしたいと思いました。




空気の汚れに敏感なカナリアという鳥がいます。




不登校やひきこもりの人達は、
"この世の中なんだか息苦しいよ"

と、声なき声で鳴くカナリアのような存在ではないでしょうか。




そんな子供達を競争競争で追いつめるのではなく、
ありのままの自分を受け入れ、自己肯定感を与えられる
ようなそんな塾ができないだろうか・・・




2000年4月、思いきって山里に古い民家をお借りして転居し、補習進学塾「カナリア舎」を開き、自宅の一室で小さな補習塾を始めました。





今もさまざまな事にそのつど苦しい、生きづらい自分を
感じます。自分は周囲に受け入れられていない、と針の
むしろにすわっているような気持ちになる日もあります。




でも、生徒さんを癒すどころか私の方が癒される、
そんな経験もするようになりました。(2008年1月)





2009年4月、近くで転居、築約100年の古民家と農地、山林などを購入。

 

正式に百姓となり、自然農による耕さない、無農薬、無肥料の、機械を用いない自給農業も始めました。

                      あべっち(2014年11月加筆)   
 

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夏植えた皇帝ダリア

2014-11-28 09:05:54 | インポート
夏植えた皇帝ダリア


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棚作り完成

2014-11-26 22:51:17 | つれづれなる想い

棚作り完成
棚作り完成
冷たい雨。


台風で吹き飛んだ倉庫の壁の補修を終えた後の、内側の棚作り。







最後の一段を張って一応の完成とした。大した出来じゃないけど。苦笑






午後はこいけのリハビリ送迎。






明日は実家へ新米を届けに行く。ついでに選別の終わった大豆も。








僕は親の期待にはつぶれてしまって添うことができなかったが、生きているうちに自分の手で作ったお米を何度か手渡すことができて、それは唯一の親孝行だったのじゃないかと思っている。






まぁ自己満足かも知れないが。

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雨休みの午後

2014-11-25 22:22:45 | 乳がん撲滅作戦

雨休みの午後
雨休みの午後
雨休みの午後
朝イチで受診。

先週のPET-CTの結果を聞きに。術後4年経過。 幸い再発の兆候は全く見られず、半年後の検診まで無罪放免となった。

ひと安心だ。手の入院手術に始まった今月の病院通いも、明日の手のリハビリ指導で終わりだ。

帰宅後は久しぶりにだらだらと炬燵で過ごす。

明後日は実家へ新米を持参することにして精米など。

親父ももうすぐ84歳。健さんと同世代か。 あちこち悪いのだがなんとかしぶとく生きている。

そういえば昨晩、健さんの遺作となった「あなたへ」を見た。

以前も見たのだが、劇中で田中〇子さん演じる妻の亡くなった病名を 健さんが言うシーンがあったのだが、それが健さんの報道された病名と同じだった。

偶然の一致なのだろうか。

ひょっとしてこの映画撮影前にはすでに、病気を告知されて、闘病をされていたのではないか、 そんなことを想った。

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やっと新米

2014-11-23 22:35:15 | 自然農お米作り

やっと新米
やっと新米
やっと新米
草刈り部隊の火燃し。

二人欠席で、時間がかかる。結局10時から昼休憩1時間をはさんで2時半まで。

トヨサトの籾すり。朝と帰宅後日暮れまで。

やっと新米だ。

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やばい

2014-11-22 18:30:33 | インポート
やばい
やばい
半日小香で農作業。


帰宅後、大豆の唐箕選。

沢庵漬けなど。




やっと今一杯。





今、夜は健さん関連ばかり観ている。




明日の夜は、健さん映画とNHKの特番が重なってることに気付いた。









ダブル録画などない我が家。さぁどちらを録画して、どちらを観るか。





でも、もう映像でしか健さんを拝顔することができないなんて寂しい。つくづく残念だ。






明日は遊休農地草刈り部隊の火燃し。こいけ退院の朝に刈ったところ。







もう眠くなってきた。→早すぎ。(笑)






いい加減に切り上げて、健さんに叱られないようにしゃきっと頑張ってこよう。

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黒大豆収穫始め

2014-11-21 21:48:12 | インポート
黒大豆収穫始め
黒大豆収穫始め
小糸在来大豆の脱穀し終わったさやの選別。


二種類のふるいで、さやと埃などを分別してゆく。



黒大豆を収穫始め。 これは北海道光黒豆。自家採種して五年目くらい。やっと昨年くらいから採れるようになってきた。




丹波黒豆はまだ青いまま。





自家採種三年目くらいになるが、丹波とは環境も違うし、そもそもあちらでは、何月頃種まきしてるのかもわからないので、手探り状態。最高峰の黒豆をお正月にお玉で食いたいだけなのだがなかなか難しい。





明日は一年ぶりの小香。千葉自然農の会のお手伝いに参加の予定。Oさんに今年も籾すり機をお借りする。




明日は緑米の稲刈りなど。

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