コストコから帰宅。すいていたとは言え、運転と人ごみは 疲れる。30分ほど爆睡してしまった。こいけがいるとは言っても僕には 珍しいこと。
しかし夕方は数日ぶりに涼しい風が。
よっしゃとばかりに、本田と棚田と、ため池の堤に囲まれた臼のような谷をぐるぐる回って(臼の内側にあたる)土手の草刈り。
この臼の底は泥こき場と呼ばれていて、ため池の一部。本来は池の底にたまった泥を捨てる場所。もう数十年泥さらいはされていないらしいが。 僕だけの土地ではないのだけど、地続きなので僕が刈っている。
夕暮れ前、みょうがを採る。
ローストチキンで一杯やって、PCを寝そべっていじり始めたさっき、突然 左足のももの裏あたりがつってしばしもんどりうつ。
なんか疲れてるのかしら。
3時には目が覚めてしまったので、こいけに前夜作ってもらっていた梅干のおにぎりを食べ、ゆっくりと準備して出かける。今4時はまだ暗い。もう夏至から1か月経ったし。
本当に4時半には草刈りを始めた。田舎にしてもちょっと早すぎ。
それほどの日射しもなく、8時半には無事終了。
ペットボトル3本で足りた。
シャワーを浴びてだらだら。
腰や腕は若干痛みが出たが、結局夕方また草刈り、火燃しなど2時間。
夜ぱらぱらと来るという予報だが、今のところ何も降っていない。本当に来てくれないと、ため池の水もどんどん下がってきた。渇水間近。
大豆畑もカラカラ。
今日は死なずに済んだが、来週は今日の火燃しである。
夜露で濡れているので4時半からというわけにいかない。
9時半からである。
しかし僕を含む集落の役員は7時から集落対抗のコスモスロード作りの種まきもあるので、出づっぱりとなる。
暑かったらこちらはもっときついなぁ。炎天下の火燃しだからね。故障者が出ないことを祈る。自分を含めて。
少しは普通の人の夏みたいなことをしてみたいぞ。
人ごみだめ、音だめだから花火大会も行けないが。苦笑
こぴっと離れた山の上からなんか眺めてみたいけど、地元の人しかわからんし。
こいけに任せて実家へたまには出かける。梅干し持参。
昨年の今頃、父のカテーテル手術の立ち会いの帰り、追突事故に遭い、 むち打ちになった。
その前々週には実家の草刈りに呼ばれて、刺さったとげから 蜂窩織炎になって点滴を受けた。
その時、父にそろそろ有料老人ホームとか介護付きマンションとかも 考えてみたら?と助言した。
それがどうやってこうなったのか、今は有料マンションである。
まぁだいぶ荷物も片付いてきれいにやってるようだった。
旧実家に立ち寄った。
すでに更地になっていた。
若い頃を除いてあまり楽しい思い出もないが、1歳から育った家だった。元はマッチ箱のような、それでもこれだけの広さの敷地が一戸建ての社宅だった良い時代。
その後小6の頃に二階建てに新築された。
中3の頃は日曜日一日9時間以上勉強にいそしんだ。 (机に座って勉強を始めた時間、中座した時間を記録し、一日の合計勉強時間を集計するのが楽しかった。)
大小さまざまな強迫観念に縛られてなかなか集中できない今から比べれば、それでも心底集中できた人生の 数少ない時代。
頑張ったらそれなりの成果は出るもので、高校の入学試験は485点だった。
そして最高の高校時代。
サッカーに学問に恋に素晴らしい3年間だった。
しかし、共通一次の足音とともに、僕は何か虚しさを覚えてレールから落ちていった。
圧倒的な重機の力。
タイサンボクの木も高校の時に種を蒔いたビワも思い出の ピアノも一緒くたに片づけられていた。
両親は特に感慨もないようだった。(車であとで通って見せた)
土地の評価額からしても数百万も買い叩かれて売ってしまった父。
少し認知症入ってるんじゃないかとも思うが、なかなかそれはわからない。
今回更地にする工事の際、べた基礎の下から、40年前の以前のマッチ箱の 社宅のブロック基礎やお風呂場のタイルなどごっそり埋まっているのが掘り出された らしい。
そのことで更に追加の撤去料金を請求される気配だという。
根拠のない請求にはすぐにOKせず、司法書士や僕弟に相談してねと 念を押して帰宅したが、父も(40年前の工事会社の手抜きが自分たちの 瑕疵なはずはないと)払うつもりはないと言っていたが・・・
大丈夫か?
50年のタイサンボクも木蓮も35年のビワもあっと言う間に切られたのだろう。
実家からは睡蓮と座卓と、僕の兜とハナカイドウなど数種の花を運び出すのが 最後だった。
人生も思い出もはかない。