早朝5時には目が覚めてしまって、それから今日の授業のことなど考えて眠れなかった。
今朝格闘したイメージは、テレビのボリュームが(いつもは17くらい)が50になったというイメージ。
馬鹿馬鹿しいんだけれども僕にとってはまじ怖い。
こいけを起こさない程度には払っていたけれど、なんだか一日予習したり休んだりしながらも寝不足な感じで調子悪かったわ。
夜になって、その頃には覚悟も決まり、集中して授業へ。
以前来ていた中3の男の子のお姉さんなんだけど、定期テストの前だけ来る。
3時間無事に授業を終えて良かった。
予習に7~8時間、実際の授業時間約3時間で、いただくお金は2時間分ということにしているのであんまり割は合わないのだけれどね。
来てくれるだけでありがたいのだ。
でも今日は疲れた。
○たしたちの教科書、最後はちょっとなんだって感じだったけど、なかなかいいドラマだった。
エンディングで、廃墟と化した学校から必死の形相で逃げ出して?来る子ども達の姿がいつも印象的だった。
不登校の子どもたちの中には、学校というところがあんな風に見えている子がいるのだろうな。
僕にも最近はそんな風に見えてるかも。
学校の外を走っている(走らされてる)中学生や高校生を見ると、「かわいそう」って思ってしまうもの。
もう一度学校へ行けって言われても、もう僕は絶対行けないし、行かないと思う。
二日続けて親の会に出かけて、昨日今日はちょっと人酔い気味。
長年のひきこもりですだの、親からほめられなかっただの、得々と
語った自分にちょっと嫌気が。
ばっかじゃないの?僕、みたいな。
ま、いつものことだけどね。
昔は成績とか点数とかで人より上に行こうとしていた。
今はひきこもりでアピールしようとしてるのかなぁ。
こういう人生の予定じゃなかったんだけどね。
さっきまでこいけと高島一家のうつのドラマを見てた。
あんなに素敵な理想的な家族に見えていたのに、壮絶な期間を
過ごされたんだね。
よくぞ死なないで生きていてくれましたって思った。
ちょっとぐっときたよ。
で、やっぱり素敵な家族だった。
僕にも寿美さんのような奥さんはいるなぁ。えへへ~
今週は化学(Ⅱ)を教えてくれという高校3年生が週末に来るので
(いつも試験前だけ来るので範囲が広くて大変)真面目に予習しています。
今日は何をしたか。休もう会へ行ってこいけと飲んだだけ。
ぎりぎりまで行くか行かないか悩んだけれども、やっぱり吸い寄せられるように千葉休もう会へ。
今日は懐かしい方も含め、知った方ばかりだった。
それぞれの方から、味わい深いゆったりとしたお話が聞けた。
やっぱり僕としては、今日みたいに数人っていうのがいいな。
途中強迫にとらわれそうな瞬間があったが、皆さんのお話に集中していくことができた。
前日の残○感の分まで、自分もしっかりお話してくることもできた。良かった良かった。
今日は特に一人一人からなんだかゆったりと歴史を感じさせるお話が聴けてまったりとしてしまった。
それぞれに味わい深かったのだけれど、途中からいらしたIさんという方。
お子さんが不登校の頃、よく会へいらしていたそうだ。
今は3人ともそれぞれの道を歩んでいらっしゃるとか。
その方の言葉。
「子どもの不登校のおかげで、自分らしく生きることを教えてもらって助かっちゃった。無駄な体験なんてない。遠回りっていいよねぇ。」
Iさんは腹話術をされているそうで、今日はどこからかの帰りらしく、お人形持参だった。
ラストに近い頃、なんと腹話術を実際にやってみせて下さったのでした。初めて実際に見た。
やっぱりいいなぁネモ。
適応指導なんてとことは対称的だ。
ひきこもって苦しいこともあったけど、ネモの皆さんとの出会いは、自分が決してレールから落ちたのではなく、学びのための自分のレールをしっかり僕も走ってきたのだ、と思わせてくれる。
いやぁすごい天気だった。
こいけとおいも掘り。
お昼は早速こいけが圧力鍋で蒸してくれてじゃがバター。
たらこバターも意外に美味しかった。
じゃがいものなくなった畑を整備、苦土石灰を入れて今度は大豆をまいた。
鳥が(豆を)大好きなので、本当は苗床とかポットとかで、鳥から守りながら育てるのがいいのだけど、めんどうくさいので直まきしてしまった。
どうなるかな?
木更津の親の会の代表のKさんより電話。
明日木更津市の適応指導教室にて開かれる親の会(懇談会)へのお誘いだった。
近隣4市のスクールカウンセラーの代表?でUさんという方がいらっしゃるそうだ。
ちょっと顔出してみたいなとは思うけれど、いまいち調子に自信がない。
以前もその方のおうわさは(Kさんから)うかがったことがあり、そこのスーパーバイザーでもあるらしい。
明日の調子と相談して考えようと思う。
こういう人もいるのだということを、皆さんに知ってもらうだけでもいいかなと思う。
大金をかけて無理に学校へ行かせても、途中でつぶれてひきこもってしまった悪い見本として。
でもその結果、あらゆる意味での今の僕がここに確かに存在しているのだよね。
朝の連ドラ後、張り切って草刈りへ。
家の前の竹林の伸びた真竹を刈り始めた。あれ、そんなに暑くもないのになんか調子悪いぞ。40分ほどで一通り切り上げて、休憩。なんだか汗びっしょりでへとへと。おかしいなぁ。いつもは二時間でも平気なのだが。う~ん、やっぱり調子悪いんだなぁ、やっぱり少し鬱気味だったのかなぁと妙に納得。
はぁはぁしながら取り敢えず家に入って畳で横になったら、15分ほどで回復。お?よし!
玄関周りの掃除や、じゃがいもの試し掘りをして、また日を浴びて今度はさっきよりは汗らしい汗をかいた。
そこそこの大きさになってきたので、明日こいけとじゃがいも堀り。
新聞にこんなのが載ってた。
欲しい~~~!
LITTLE JAMMER
とかなんとか浮かれる暇もなく昨日また強迫が。
一番しんどいのは1~2分くらいなんだろうけど、ちょっと辛くて泣いてしまった。
それにしてももうすぐ47になろうとする男が、まま~助けて!ってこいけのところへ訴えに行って頭を抱えて泣くって恥ずかしい図だよな。
仕方ないじゃん。本当に怖いんだからさ。
それにしても・・・
いつもはこいけのこと名前で呼んでいるのに、苦しい時ってなぜか無意識にまま~って叫んでしまう。
夜中に急に息ができないような感じになって飛び起きたときとか。
なぜかなぁ。
(少なくとも僕の記憶では)母にそんな風に甘えたことはないなぁ。
小さい頃は(単なる呼び名として)それこそママと呼んでいた時期はあるけれど。
だって手間のかからない子を演じていたからね。
おかげで今は手間のかかる中年になっちゃってるんだけどさ。
こいけに甘えてるんだね。すみません。
月初めに起きていったん数日で楽になったので、まただんだん楽になっていけるだろうという気持ちと、二週間しかたっていないのにまた起きてしまった、この頻度で一生苦しむのは耐えられないなぁという思いと。
今だけかも知れないけれど、怖いイメージがショートカットのように一瞬でたどりつける感じだ。今までそんなことなかったんだけど。ちょっとうつっぽい感じにもなってきた。鬱だから強迫が出るのか、強迫が出てしまったから鬱になったのか。
よっぽど心療内科に予約入れようかとちょっと悩んだけれど、今回も我慢している。
何度も言うようだけど医者や薬に振り回されるのは、心臓だけでもうたくさんなんだ。
ま、またひどくなったら、適当に問診票書いてSSRIをもらえるだけもらって、あとはトンずらしちゃうかも知れないけど。
明日は無理にでも日の光を浴びて畑の世話や竹林の整備などして汗をかくつもり。
結局はそれが一番安上がりで健康的な治療法だと思うから。
こうせつ君。
先日居酒屋に家族で行ったんだって。
居酒屋メニューが好きと言うので、
僕 「どんなおつまみが好きなの?」
こうせつ「鶏手羽とか」
僕 「あ~僕も好き!やっぱり焼いて塩かけるのが好きだなぁ」
こうせつ「うん、やっぱ塩だよね!」
また共感し合えた。食い物の話題に花が咲く。
追伸
このブログをお読みの方へ。(特に今ひきこもっている御家族をお持ちの方へ)
僕はおおむね元気ですが、元気でない日もあります。でも無理しない範囲でそういうことも書いています。
元気でない日のことを読むと、「あぁやっぱりひきこもりにさせちゃいけない!こんな年になってもまだこの人(僕です)はこんなに問題を抱えてるじゃないか!早いうちになんとかしなくちゃ!」って思われるかも知れません。
そう思われるのは仕方ないのだけれど、でも僕の本意ではありません。
長くなりますので経過は省きますが、僕の場合は(今はこいけやお友達がいますが)昔は周りに誰一人として自分を許してくれる存在がいなく(もちろん自分自身も)、長年のひきこもり期間のうち、(つい最近までの)相当期間は、罪悪感や劣等感、無力感などを持ったままひきこもらざるを得なかったのです。そのことがひきこもりの期間を更に延ばし、悪循環の輪に入り、先の見えないものとなっていきました。”快適にとことん休む”ということができなかったからです。
だから・・・
逆に言うと、快適にとことん休ませてあげればきっと誰でも自分の道を探して歩き始める、と僕は信じています。
ただ、見た目で動いているか動いていないかということと、快適に休めているのかいないのかということはきっと違います。一日中寝ていても、少しも心は休めていない場合もあるし、元気に好きなことをやっていることがいい休みになっていることもあるんです。
そこんとこよろしくね☆
お天気にも恵まれ、3度目の正直で弟一家が遊びに来た。
甘口のカレーと昨年好評だった水ようかんを作った。
夕方到着。一休みしてホタルの里へ。
すごい!というほどの群舞ではなかったが、(3日前の方がもっと飛んでいたから、もう最盛期は過ぎてしまったのかも)自然のホタルを見るのは全員が生まれて初めてという彼らは喜んでくれたようだった。甥っ子や姪っ子も嬉々として草の上にいるホタルを手に取ったり、懐中電灯をぐるぐる回したりしていた。
空には星が。
僕の目でも北斗七星の7つの星全てが見えた。弟としばし星座談義。
帰宅して飲み会。子ども達はロデオボーイには見向きもせず教室のホワイトボードで落書き。
ものすごいお金持ちの弟宅にもさすがにホワイトボードはないようで、甥っ子達は毎年このボードがお気に入りだ。
結局9時過ぎから始まった宴会は3時まで続いたらしい。
実は僕は2時頃よりダウンして教室の床で寝てしまっていて、3時にこいけに耳引っ張られながら寝室へ連れて行かれたらしい。
弟の奥さんも1時くらいには子どもたちと寝てしまったらしいし、結局最後の一時間ほどはこいけと弟で飲んでいたらしい。
どんな話していたの?って僕が聞いたら・・・
兄貴(僕)は昔は本当に母ちゃんの期待の星だった。それに比べて僕(弟)はいつも「のろま」とか言われてけなされていた。だからそういう親を見返してやりたいと思って一生懸命勉強して(親戚含めて初の)T大へも合格した。兄貴が挫折してからは、今度は僕への態度もだいぶ変わったけれど。
なんて話をしたらしい。
そういうことも初めて聞いた。ふーん、そんなこと両親から言われてたのか。あいつも苦しかったんだなぁ。全然知らなかった。兄弟そろってサバイバルレースのようだったんだなぁ。
今そういう話が弟から聞けてうれしい。
やっぱり子どもってあんまり期待かけない方がかえって良いんだなぁとしみじみ思ったわ。
朝7時過ぎには子ども達にたたき起こされて、すんごい二日酔い。朦朧としてる。。
子ども達は元気だ~。田んぼに虫を探しに行きたいと言ってくる。
ねぇみーた~ん、お散歩行こぉぉ~~
しゃーねーなー
こいけも弟夫婦もグロッキーのようなので、連れて行った。
こいけ竹やぶへ行って吐いたらしいし。(苦笑)
子ども達、田んぼの小さなカエルを手に取っては大はしゃぎしていた。
みーたんと
よばれてうれし
おっちゃんは
教室で今年の入試問題など解いているふりをして遊んでいると、
何やらゴ~ッという不気味な音が。
暗がりの中でこいけがロデオボーイに乗って揺れてた。
手綱ついてないんだもん、大したことなかった。
甥っこも元気を取り戻し、いよいよ明日は弟一家がホタルツアーに訪れることになった。
三度目の正直。源氏ボタルはそろそろ最盛期を迎えつつある。
明日は甘口のカレーをたっぷり作る予定。(いつもは辛口)
カレーと言えば・・・
学生時代、一人暮らしだったのだが、結構自炊していた。
特に対人緊張が強くなってきてからは、アパートと研究室との往復で、外食は気が向かなかったし、コンビニの弁当も飽き飽きしていて。
昔母がきちんとした食事を毎度作ってくれたおかげだろう、僕はコンビニ弁当の味の濃いおかずなんかじゃ満足しなかったんだ。
(特においなりさんね)
タイマーや保温機能などついていない3合炊きの炊飯器だったから、ダイヤル式のタイマーを夜の帰宅時刻くらいに合わせてセットして出かけ、で、帰りに学校の近くのお肉屋さんで、サラダやハムカツなどを買って帰ったものだ。
休日などは、見よう見まねで喫茶店のナポリタンもどきを自作したり、(これを食べにデートの途中で僕の部屋に寄ったクラスメートあり)クリームシチューやカレーはしょっちゅう、秋になると里芋が食べたくなって、泥里いもと鶏肉の煮物なんかもよく作ったっけ。
そういうのが当時の楽しみだった。
当時集めた新聞の料理の切り抜きは今でも使っている。
引っ越して最初に買ったのはどんぶり。浪人で太ってからは実家であんまりお代わりできない雰囲気だったので、一人暮らしになって、どんぶりで二合飯とか食ってたな。
このどんぶりも今もまだ時々登場してる。
化学系の研究室にいた僕。
薬品の体積は、メスシリンダーとかピペッターとか使ってミリリットル単位で計り取る。
そんなプロフェッショナルな僕にとって、いつしか小さな疑問が。
1カップって1合と同じだよね?
しかし、誰にも聞けないし、最高学府とは言え多分聞いても答えられる人はいなかったんじゃないかと思われる。試験に出ないし。
事実、最初のうちは同じ量として料理していたのだった。
ある日、学部内の本屋さんで、見つけたのがこの”non-noお料理百科”。
厚さ3センチはあろうかという写真たくさんの大作である。
なぜこんなところに。。?
工学部の教科書や専門書などを主に扱う本屋だ。
小さなコーナーでそのピンクの表紙はとりわけ目立っていた。
この本なら、僕の長年の疑問を解いてくれるに違いない。
しかも3冊しかない!
思わず購入してしまった。
1950円也。
早速研究室に持って帰り、後輩に冷やかされながら自分の机で嬉々としてページをめくっていた。いつのまにか先生が後ろに立っているのも気づかず。
先生は僕の肩をポンとたたいて、そしてニコニコしながらおっしゃったのだ。
「あべっち君、道を間違えたな。」と。
その後は更に僕の料理は有名となり、何がきっかけだったのか(女子学生もいたというのに)研究室内の飲み会のたびに、なぜか僕が肉じゃがを作ることとなってしまった。
そのために(研究室のお金で)大きなナベまで買ってくれた。
飲み会の当日は、そのなべで肉じゃがを20~30人分作ることとなり、僕の指揮のもと、包丁を触ったこともない後輩にじゃがいものむきかたを教えたりしつつ、水なんかはもうめんどくさいんで1リットルのビーカーで。
(もちろんクレンザーで洗ったけどさ)
理系の研究室って結構厳しいところなんだけど、その日だけは午後から僕の部屋は奥さまお料理教室のようになっていたな。
飲み会とか、対人緊張があってすでに苦手になってきていたんだけど、ナベ奉行ってことでかえって僕には都合が良かったってこともあったな。
新聞の切り抜きが元(4人分)だからそれを全部5~6倍しただけなんだけどね。
だからあんまり美味しくなかった。(爆笑)
今思えば、蒸発する量を考えないで、材料も調味料もただ何倍かしただけだったからね、キャンプのカレーがよく失敗するのと同じ理由だ。多分。
おいなりさんは今でもこれを見ながら作っている。
それにしても・・・
あの先生の言葉は今になって思い出すと言い得て妙だったな。
僕は道を間違えていたんだ。
いつからか知らないけど、今の給食はご飯が出るらしい。
こうせつ君によると週4日も。
先日は、ししゃも(二匹)と肉じゃがとご飯だったそうな。
僕的にはご飯のおかずと言うよりおつまみだけれども。
こうせつ「給食のししゃもはあんまりうまくないんだよね、唐揚げみたいだし。」
僕 「ししゃもはやっぱり焼きたてのあつあつにおしょうゆが好きだなぁ」
こうせつ「そうだよね。僕もそう思う。」
僕 「他にどんなおつまみおかずが好きなの?」
こうせつ「春巻きとか。」
僕 「へぇぇいいなぁ、何つけて食べるの?」
こうせつ「しょうゆだけ。ほんとはポン酢がいいんだけど。」
僕 「そうだよね。で、できたらカラシもちょっと欲しいよね。」
こうせつ「そうだね。やっぱりね。」
共感し合うことができた。
いいなぁ今の給食。でも、おはしでなくて相変わらず先割れスプーンだって。
僕の頃はもちろんパンだけ。豚汁の豚肉がほとんど脂身ばかりで(いったいどういう肉使ってたんだ)、一時期、脂身恐怖みたくなってた。ロースハムの白いところもわざわざ取り除いてたっけ。
フルーツサラダなんてのがあってあれも許せなかったなぁ。
みかんとかりんごとか、きゅうりと一緒にマヨネーズで和えるな!
こいけが同僚の友達から、ロデ○ボーイ(かどうかはわからないけどそんなやつ)を借りることになったとかで明日借りてくるとか言ってる。ますます家が狭くなるじゃん!
で、エアコンつけて、それに乗りながらテレビを見るんだそうだ。
まじやめて。
・・・とかなんとか言いながら、朝ドラ見ながら僕も乗ってしまうかも、なんてちょっと思った。体重100キロまで大丈夫なんだって。