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カナリアな日々

百姓になって15年目。補習塾カナリア舎はフェードアウト中。小麦、蕎麦、大豆などを作っています。

リバウンド王

2007-01-29 00:09:00 | つれづれなる想い

久しぶりにこいけと実家へ。

頼まれていたお米やティッシュの他に手前味噌やクリームシチューなど持参した。(鳥はむのスープで作ったから結構美味よん)

母はデイサービスで留守だったが(脳梗塞になってから)大好きになったマクドナルドも買っていった。

視力の落ちた父が来月末白内障の手術をするので(持病があるのでちょっとやっかい)その打ち合わせや、最近の母の様子などさまざま話してきた。

中国共産党や共産主義の話になって、ここ10年で中国は分裂するとか言い出したので、一瞬盛り上がってソ連のマルクスレーニン主義やら権力の腐敗とか好き勝手なことを言い合ったら、あとからこいけが「すごい親子ねぇ」とかしきりに感心していた。

いや、お互い知ってることをただ言い合ってただけなんすけどね。


それにしても「あるある」のねつ造はひどいですね。

今回の納豆ダイエットの放送後は、一時全国のスーパーの店頭から納豆が品切れになったとか。

無批判に番組に踊らされて、安易に早速納豆買い占めに走った人達がたくさんいたんでしょうな。はぁ~嘆かわしい・・・



まぁ僕もその一人ですがね・・・・こいけがやるって言うもんでね


夏にやったえのき・わかめ・ヨーグルト+スキムミルクダイエットは僕ら一ヶ月頑張ってそれなりの結果は出せたのですが。
(まぁ今はおかげさまですっかり元通り以上になりました)

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Try to Be the Only One

2007-01-25 23:45:19 | つれづれなる想い

中学二年生の英語の教科書を予習していたらば、新垣勉さんのお話が載っていて、彼の「千の風になって」をダウンロードしてみた。

こいけとウィスキーをなめながら聴いていたら、チェリーを思い出してさめざめと泣けた。生きるって哀しいね。
歌詞ではなく、柳田邦男さんの訳を。

A Thousand Winds

Do not stand at my grave and weep.
I am not there, I do not sleep.

I am a thousand winds that blow.
I am the diamond glints on snow.
I am the sunlight on ripened grain.
I am the gentle autumn’s rain.

When you awake in the morning hush,
I am the swift uplifting rush
Of quiet birds encircling flight.
I am the soft starshine at night.

Do not stand at my grave and cry.
I am not there; I did not die.

  
1000の風(あとに残された人へ)  柳田邦男訳

私の墓石の前に立って
涙を流さないでください。
私はそこにいません。
眠ってなんかいません。

1000の風になって
吹き抜けています。
私はダイヤモンドのように
雪の上で輝いています。
私は陽の光になって
熟した穀物にふりそそいでいます。
秋にはやさしい雨になります。

朝の静けさのなかで
あなたが目ざめるとき
私はすばやい流れとなって
駆けあがり
鳥たちを
空でくるくる舞わせています。
夜には星になり、
私は、そっと光っています。

_2004324どうか、その墓石の前で
泣かないでください。
私はそこにいません。
私は死んでいないのです。

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生きてきたからこそ

2007-01-21 00:19:00 | ひきこもり・不登校

市原の親の会<けやきの会>とネモネット合同の親サロンへ。

15、6人はいらしていたかと思う。後半はもっと増えていた。

はたから見たらいかにもネモネットの理事というような顔をして座っていましたが、ただの会員です。

皆さんのお話を伺いながら、さまざまなことを考える。
ため息が出るような気持ち、駆り立てられるような気持ち、否定的な気持ち、応援したい気持ち、思わずしゃべっちゃいたくなるような気持ち、(今年の目標も聞き上手だったね)、やっぱりしゃべっちゃったけどね。

自分の母親と皆さんを比べたり。

愛情の反対語は憎しみではなく、無関心だという言葉がある。

皆さん、どなたも子供さんの言葉や状態からなんとか学んで受け入れようとしようとする方ばかりだ。なんだかうらやましい気持ちにもなった。

僕のようにあんまり手のかからないいい子を無理してやっていたら、親も安心しきってしまうかも知れない。
僕のようにひきこもりや或いは不登校になって、改めて関心をもつものなのかも知れない。そういう意味で彼らの家族はある意味幸せだなぁと思ってしまう自分がいる。

母は一昨年脳梗塞から高次脳機能障害となってしまったが、
彼女がこの場にいて、僕もいて、
彼女(母)が皆さんにこんなことをしゃべる。

「学歴だけ作ったってそれで安心なんかできないですよ。(僕を指し)この子なんか一千万以上もかけましたけど、結局やっと会社に入ったところで、ひきこもりですもん」と言って笑う。

それを聞いた僕は「よく言うよ、僕だって、でも随分一時期は期待の星を演じたんじゃないの?ははは」と言って二人で笑う。皆も仕方なくて釣られて笑う。

そんな場面を妄想した。

思いがけない人との出会いもあった。

なんと中学→高校の先輩がいらしたのである。
8年も先輩だったのだが、当時の先生の記憶には共通する記憶が多く懐かしかった。

それだけではない。彼は大学で教員免許を取得するために1975年に母校の中学へ教育実習生として戻ってきたというのである。
僕は当時中3で確かにあの中学へ居た。
彼は当時一年の担当だったというのだが、実はその時一年には弟がいたのである。(急いで弟に確かめたが弟のクラスではなかったようだ)

彼の授業を受けたのかどうかは、記憶が定かではないのだが、いずれにしろ僕ら兄弟と同じ建物で何日かを過ごし、少なくともすれ違ったりはしたはずだ。

そう32年ぶりの再会だったのだ、きっと。

こういう出会いがあるから、とりあえず人生は生きてみるものだね。

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散歩のつもりが

2007-01-16 23:14:56 | 田舎暮らし

家探しも兼ねて、こいけと付近の散策に出た。
車で出かける以外はひきこもってる日が多かったから、久々だ。

初めてのを目指して行ったのだが、うちからわずか30分で誰も来ないような林道の奥地まで到達。やっぱりすごい田舎や。。標高も結構高そう。

二時間ほど山歩きして帰ってきた。


20070116__6_1 写真はこれも久々の鳥はむ
調味して1日半置いて、ゆで鶏にならないように今回は、再沸騰したらすぐに火を止めて、ふたをして半日置いてみた。

以前オーブンで弱く焼いたりとか、再沸騰してから5~6分ゆでるとかやってみたけど、今のところ今回のが一番いい出来だった。

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すくすくと寝る子は育つ

2007-01-14 23:37:05 | ひきこもり・不登校

通信制高校への入学を前提に、お勉強モードへもっていこうとしたのが性急だったのか、お盆を最後にパタリと来なくなってしまったK君。

一番苦しいときに一緒にいることができなくて、それがなんだか悔しくて時々メールをしたり電話をしたりはしてきたのだが(それも彼のためというよりも自分のため)、なかなか再び来るようにはならなかった。


床屋さんもうちで(こいけが)やっていたので、髪の毛はどうなっているのだろうと、昨日久しぶりに電話してみたら、一度も行っていないと言う。
刈りに来る?って誘ったら、来るということになって、今日ご両親と久しぶりにやってきた。


半年ぶりに見る彼はだいぶ変わっていた。
身長は更に伸び、180cmにもうすぐ届きそうな勢いである。
苦しい日もあったのだろう、昼間は寝てばかりで一食しか食べない日もあったとかで、だいぶスリムになっていた。

日に当たっていないので、大きいが色白でとてもきれいな男の子になっていた。


さっぱりと髪を切ってもらい、皆でお茶など飲んで、とっておいた通信制高校や高卒認定試験などの資料をお渡しして、帰っていった。


次回の約束はしなかったけれど、「今度面接の練習しよう」って言っておいた。
また来てくれるといいな。



それにしても、不登校の男の子って、背が高い子が多いように思うのは気のせいだろうか。

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出会い

2007-01-10 23:52:29 | ひきこもり・不登校

年末に知った木更津の親の会へうかがってきました。

不登校の中学生の親御さんが4人も。

皆さんこんな僕の話を興味津々で聞いて下さいました。


それまで自慢の息子だった(であろう)自分が引きこもり出して、初めて家の恥のように扱われたとき、自分の両親の愛情が、僕には条件付きの愛だったとしかしか思えなかったという話には、いくばくかの違和感を抱いた方もおられたようでした。


「でもうまく伝わらなかったかも知れないけれど、お母様もお母様なりに○○さんに(僕)に愛情を持っていたんだと思うわ」


この話をすると、よくこういう言い方をされる。


そう、彼女(母親)なりに僕には関心(僕の求める愛情とはちょっと違うかな)を持っていた。

けれど僕にとっては、母親が本当のところはどう思っていたかではなく、僕がどう感じてきたかだけが問題で、僕にとっては苦しかった、それだけなのだ。

子どもはけなげな生き物である。
今日お会いした方たちのお話の中にも、自分のためというよりは家のため、家族のためにぎりぎりまで頑張って息切れたかのような子どもさんがおられた。

狭い価値観に閉じこめず、本当の意味で子どもをそれぞれの感性に応じてのびのびと成長させてあげたいね。

今度木更津方面で、不登校やひきこもりの当事者だけの交流会のようなものを開催できたらいいねという構想が出てきた。
来月も是非と言われてうれしい限りでした。


でも・・・他人に自分のことを語るのは何度やっても難しい。

話の先に言いたいメッセージのようなものが見えて話し出すのだけど、話しているうちに、そこへたどりつくまでの経過などを話したくなってそちらへ脱線しているうちに、最初のメッセージを忘れてしまい、「あれ、何を言おうとしてたんだっけな?」と頭が真っ白になる瞬間が今日は二度ほどあった。

お疲れさま。新しい出会いに感謝です。

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仲間

2007-01-07 23:56:20 | つれづれなる想い

こいけの次女の成人式へ。

大きな文化ホールかなんかでやるのが普通かと思っていたが、出身中学別にそれぞれ分けて各公民館で行われていた。

中学時代の先生方も多数出席して想い出話をしたり、お祝いの詩吟を披露する先生も。
厳しく生活指導したことを謝っていた先生もいた。

要するに同窓会。周りは知った顔ばかりの成人式。

荒れる成人式のニュースを昨今は目にしていたけれど、こういうのはいいなと思った。



自分の成人式はというと・・・
その頃僕はまだ予備校の寮(川崎市多摩区)で二年目の浪人中。3回目の共通一次試験(受験したのは二度目)の直前で、全然無関係だったわ。


一年目にまさかの予備校(二年目とは別の)大教室拒否からパチンコ屋通い、更に満員電車に乗れなくなり、初めてのひきこもりが始まり、パス同然に過ごしてしまった翌年で、後がもうない、先の見えない不安な時期だった。

ただ同じ釜の飯を食う仲間がたくさんいたのは得難い体験だった。家を出たのは本当に正解だった。



そう、僕にとっても初めての成人式だった。20070107__02

華やかな振り袖やスーツ姿の彼らとは対照的に、同じ同窓生でも色々な理由で来られない子達もいるのだろうなとそんなことも思った。

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おてまみ

2007-01-04 23:09:25 | カナリア舎

発熱もないし、食欲もあるのだけど、年末から咳が突発的に
出て、特に夜間がひどくて夜中に何度も咳き込んで飛び起きるみたいになってきた。それで、

正月休診明けを待って病院へ。

以前もあったのだが、どうも軽い咳喘息かも知れないと
麻薬系の咳止めをもらってきた。

弟は今晩から家族でグアムだって。

帰宅すると、以前半年ほど通ってきたことのある女の子から
年賀状が。(今は小4かな)

ま、「元気?」って僕が出した年賀状のお返事なんだけどさ、




あけましておめでとうございます。

わたしは元気です。

いまはピアノをならっています。

いつまでも元気でいてください


おじいさんじゃないんだけどね、




今日明日はこれで生きていける

そう思ったのでした。

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剣菱

2007-01-01 00:27:00 | 食べ物

朝からまったりとこいけとおせちで飲んでおりました。
なんと一升瓶が明らかにもう半分ありません。

明日もこいけの娘達が来て飲むっていうのに。

いのしし年です。
早速気になる記事が。

「4人がイノシシ数頭に体当たりされ、軽傷 愛媛・八幡浜」

軽傷で本当良かったですが、この方たちきっと今年は大当たりの年になることでしょう。

ということで、

明けましておめでとうございます。

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