実は僕らは正式な結婚はしていなくて、いわゆる事実婚だ。
もう一緒に暮らして14年になる。
その更に4年くらい前(平成元年頃)、僕は会社に勤めてまだ二年だったが、ついに力尽き、出社拒否して実家でこもり出していた。
小学5年からの足かけ17年に渡る受験人生を、後半はアップアップで終え、やっとこさたどりついた会社だった。
それから親と無言のアピール合戦の日々。毎日が苦痛だった。
それを1年半もやって、そして南房総へと逃げ出したのだ。
とある霊能者を頼って。
それまでも、何とか対人緊張を治さなければと、心療内科で自律訓練法など教わったりはしていた。が、楽になることはなかった。電車にも相変わらず乗れなかった。
当時アメリカではシャーリー・マクレーンという有名な女優さんが、精神世界への旅に目覚め、そのいきさつが本になり、映画にもなっていて(Out on a Limb)、日本では宜保さんなどの霊能者と言われる人々や新興宗教がブームになっていた。
またアメリカの精神科医(ブライアン・L・ワイス)が、退行催眠治療中の患者が過去世としか考えられないところまでさかのぼってしまったという本(前世療法)も話題になっていた。
そんな精神世界に、自分の対人緊張を治すヒントがあるのではないか、と非常な興味を持って読みあさっていた。
そんな中、ひょんなことから知った南房総の女性霊能者のところへ足繁く通うようになっていった。
で、無言で母から責められているような毎日から逃げ出そうと、思いきって家を出て、その人の住む町に小さな貸家を借りて住むようになった。(会社は休職のまま)
平成3年のことだ。
もう完全にレールから落ちてしまった、そう思っていた。
そこで一人でしばらく休んだ後、(その霊能者の子供さんの家庭教師をしたり、個別指導塾でアルバイトをしたり)、ついに会社の休職の期限を迎えたが、結局戻る気にはなれなかった。それで退職して、とある特養ホームの夜間の管理人として再就職したのだ。(人と関わるのは怖かったからね)
その時に寮母として働いていたのがこいけだった。
翌年僕は別の小さな会社へ転職して二人で住み出したのだけど、3ヶ月でやめてしまい、それから家庭教師を形ばかりやり始めたものの、だんだんこいけの収入をあてにして、またひきこもるようになっていってしまった。
もう金八先生だろうがみのもんただろうが絶対この男とだけは別れなさいって言われるの間違いなかった。
親とは完全に絶縁状態だった。親子の縁を切ってくれと手紙を出したりした。
でもそれから・・・こいけに支えてもらって自助グループにつながったり、少しづつ自分を肯定できるようにもなってきた。こいけはたった一人で何年も僕を支えてくれたのだ。(あ、今もか)
全部はうまく書けないけど、そんな感じだ。
母には悪いけれど、何もしないでいても愛される、そんな無条件の愛を初めて僕に教えてくれたのは、まったくの他人のこいけだったのだ。
その後その霊能者に対しては(だいぶ痛い思いをして)そんな(霊的な)力はないんじゃないかと思う日が来た。つまり「いったいお前は色々なものを捨てて、なんで南房総まで来たんだ!にせものだったんじゃないか!会社をやめたのも、さらに南房総へと逃げたのも間違ってたんじゃないか!」という自問の日々。
しかし・・・結局こいけだけは今もそばにいる。
この人と出会うためにここまで旅をしてきたのか?何かに導かれた?自分が引いたレール?答えはわからない。
でもそれを思うとき、自分は都落ちしてレールからすっかり落ちてしまったと思い込んできたけれど、実はちゃんと自分のレールを走ってきたのではないか、なんて思うのだ。
実家から(家族から)逃げ出して霊能者のもとへ走るなんて、とんでもない人生だ。無駄な遠回りと言われてしまうかも知れない。しかしそれも何かしら自分の人生には必要があって起こったのだろうなと思う。こいけには苦労かけて申し訳ないと思うけれど、無駄な体験なんてきっとないんだなって思うのだ。
ま、苦しくて本当にそう思えない日もあるし、日頃はそんなこと忘れてこいけとケンカしてるのだけどね。
ふと衝動が湧いて書いてみました。