カナリアな日々

百姓になって15年目。補習塾カナリア舎はフェードアウト中。小麦、蕎麦、大豆などを作っています。

折り合いをつける

2007-02-27 00:40:37 | つれづれなる想い

実家へ行ってきました。

僕らが病室へ顔を出すと、父「(なんのかんの)来るんじゃないかと思っていた」
は?

「泊まってもいいけど、母ちゃんをちゃんと見てくれよ。」

手術はおかげさまで今のところ成功したみたいです。

ですが、結局僕らに(二日間みてもらって)「助かったよ」のたったその一言さえもらえませんでした。

こいけと呆れつつ、気分悪く二人で帰ってきました。

この人達から認められたいと思うのは、もうあきらめた方がいいのでしょう。しかし自分はほめられた記憶がほとんどないのです。そういう考え方すら他人には共感されないかも知れません。

う~んこの人と折り合いをつけるのは困難だなぁ。
きちんと頼まれるまで、しばらく距離を置こうと思います。

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子どもを安心させる義務

2007-02-24 18:29:59 | つれづれなる想い

昼前、珍しく父から携帯に着信が。(普段は使わないのだが弟が買って渡している)
出たがすぐ切れた。その後しばらく待ってもかかって来ないので、しびれを切らしてこちらから電話した。

「鳴らさないようにすぐ切ったのだけど」、と父。
いざという時に備えて母に短縮ダイヤルの押し方を伝授していたようだ。
予定通り、今日から入院するそうだ。
母のこともあるので、(いくら以前の眼の病気があったにしろ)白内障の手術に前日から入院する必要があるのか、もう一度医者に聞いてみることもしてないみたいだ。

あの恩きせがましく云々の電話以来、お互いに電話しなかったのだが、僕はいずれにしろ、明日は母を見に行こうかと予定していた。

その話を持ち出す前に、固定電話がかかってきたみたいで、それで終了。
その後はかかって来なかった。こっちからもかけなかった。

全く

本気でヘルパーだけで、母を3泊以上留守番させる気だ。
今後何かあった時のために、もう少し考えて欲しいと年末に言ったのだけど、どこの病院へ入院するのかとか、その時母はどうするのか、今のバリアだらけの古民家ではとてもじゃないけど引き取れないよというような話をしたのだが・・・

それが結果的には今回の実験へと父の意地を張らせたようだ。
まだまだ二人でがんばれると言う意志表示だ。
実験と言っても、うまくいけばいいけれども危険すぎるじゃないか。

僕は普通に頼って欲しかっただけなのに。。。

「急に3泊とか4泊になっちゃうんだけど、大丈夫?」なんて言い方してくれば、こちらだって、「そうね頑張って2泊くらいはするよ。あとの日はデイサービスとか宅老所とか考えようよ。」てな具合にいくもんじゃないか?
そんな風に行かないわけね。この親子は・・・

結局こそこそと小さくなりながら、ひょっとして「泊まらなくていい!」なんて母に言われるかも知れないから、それでも一応泊まる用意をして明日行くことになるのだろう。

親には、学校へ行きたくないという子どもを無理に行かせる義務なんかない。

でも、
親には子どもを安心させる義務はあるのではなかろうか。

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こいけのこと

2007-02-20 18:05:26 | つれづれなる想い

実は僕らは正式な結婚はしていなくて、いわゆる事実婚だ。
もう一緒に暮らして14年になる。

その更に4年くらい前(平成元年頃)、僕は会社に勤めてまだ二年だったが、ついに力尽き、出社拒否して実家でこもり出していた。
小学5年からの足かけ17年に渡る受験人生を、後半はアップアップで終え、やっとこさたどりついた会社だった。

それから親と無言のアピール合戦の日々。毎日が苦痛だった。
それを1年半もやって、そして南房総へと逃げ出したのだ。
とある霊能者を頼って。

それまでも、何とか対人緊張を治さなければと、心療内科で自律訓練法など教わったりはしていた。が、楽になることはなかった。電車にも相変わらず乗れなかった。

当時アメリカではシャーリー・マクレーンという有名な女優さんが、精神世界への旅に目覚め、そのいきさつが本になり、映画にもなっていて(Out on a Limb)、日本では宜保さんなどの霊能者と言われる人々や新興宗教がブームになっていた。

またアメリカの精神科医(ブライアン・L・ワイス)が、退行催眠治療中の患者が過去世としか考えられないところまでさかのぼってしまったという本(前世療法)も話題になっていた。
そんな精神世界に、自分の対人緊張を治すヒントがあるのではないか、と非常な興味を持って読みあさっていた。

そんな中、ひょんなことから知った南房総の女性霊能者のところへ足繁く通うようになっていった。
で、無言で母から責められているような毎日から逃げ出そうと、思いきって家を出て、その人の住む町に小さな貸家を借りて住むようになった。(会社は休職のまま)
平成3年のことだ。

もう完全にレールから落ちてしまった、そう思っていた。

そこで一人でしばらく休んだ後、(その霊能者の子供さんの家庭教師をしたり、個別指導塾でアルバイトをしたり)、ついに会社の休職の期限を迎えたが、結局戻る気にはなれなかった。それで退職して、とある特養ホームの夜間の管理人として再就職したのだ。(人と関わるのは怖かったからね)

その時に寮母として働いていたのがこいけだった。

翌年僕は別の小さな会社へ転職して二人で住み出したのだけど、3ヶ月でやめてしまい、それから家庭教師を形ばかりやり始めたものの、だんだんこいけの収入をあてにして、またひきこもるようになっていってしまった。

もう金八先生だろうがみのもんただろうが絶対この男とだけは別れなさいって言われるの間違いなかった。
親とは完全に絶縁状態だった。親子の縁を切ってくれと手紙を出したりした。

でもそれから・・・こいけに支えてもらって自助グループにつながったり、少しづつ自分を肯定できるようにもなってきた。こいけはたった一人で何年も僕を支えてくれたのだ。(あ、今もか)

全部はうまく書けないけど、そんな感じだ。
母には悪いけれど、何もしないでいても愛される、そんな無条件の愛を初めて僕に教えてくれたのは、まったくの他人のこいけだったのだ。



その後その霊能者に対しては(だいぶ痛い思いをして)そんな(霊的な)力はないんじゃないかと思う日が来た。つまり「いったいお前は色々なものを捨てて、なんで南房総まで来たんだ!にせものだったんじゃないか!会社をやめたのも、さらに南房総へと逃げたのも間違ってたんじゃないか!」という自問の日々。

しかし・・・結局こいけだけは今もそばにいる。
この人と出会うためにここまでをしてきたのか?何かに導かれた?自分が引いたレール?答えはわからない。

でもそれを思うとき、自分は都落ちしてレールからすっかり落ちてしまったと思い込んできたけれど、実はちゃんと自分のレールを走ってきたのではないか、なんて思うのだ。

実家から(家族から)逃げ出して霊能者のもとへ走るなんて、とんでもない人生だ。無駄な遠回りと言われてしまうかも知れない。しかしそれも何かしら自分の人生には必要があって起こったのだろうなと思う。こいけには苦労かけて申し訳ないと思うけれど、無駄な体験なんてきっとないんだなって思うのだ。

ま、苦しくて本当にそう思えない日もあるし、日頃はそんなこと忘れてこいけとケンカしてるのだけどね。

ふと衝動が湧いて書いてみました。

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この寒い雨の中3万人が走ったって。

2007-02-18 23:54:11 | ひきこもり・不登校

市原けやきの会へ。

前月もお会いしたMさんとSさんのお二人がいらしていて、じっくりと僕が相当またしゃべってお話ができた。

以前から興味を持っていたスクールソーシャルワーク(SSW)をMさんも興味を持たれていることを知り、話が盛り上がった。


「最初は自分の経験が他の親御さんに役立つかなと思って(親の会を)始めたのですけど、そうしたら逆に自分が救われることが多くてそれで続いてるんだと思う」というMさんの言葉に深く共感した。

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救い

2007-02-16 00:09:00 | カナリア舎

一人になってしまった元二人組の男の子。
彼には内緒だが、今カナリア舎はその存在意義をかけて、持てる力の総力をあげて彼をサポートしている。

今日もまたCDの中で予習を始めようかとしていると、ご近所の女の子から電話。
この子は中学時代に教えていたのだが、その後色々あって今はおうちで休んでいる。
時々遊びに来てはネモ通信などを貸したりしている。

成人式の写真を見せに来てくれるというので、久しぶりにお茶しながら近況を話し合った。

夜中学生の男の子の授業。
もう一人が来なくなってしまったので、彼も僕と二人では気が重くてやめてしまうかもと思っているが、今のところめげずに通ってきている。勉強は少し遅れ気味で前回の期末テストではまだ20点そこそこだ。

この約半年は、もう一人のかげに隠れて、口も重かった。なんせ用意したプリントを彼が半分やる間にもう一人は二枚を終えてしまうような感じだった。

このチャンスにじっくりと彼とつき合おうと思っているのだが、
ふたりっきりの授業も二週目の今日、

先週にひきつづき数学の円のところを教えたのだけど、なんと用意したプリントを一枚完璧に解いてみせたのだ。(それほど簡単ではない問題も含まれているのに)今までいったことのない二枚目にも。分数も時々あやしくて、計算のしかたはまだ幼いのだけれど、正直驚いた。そっと見ていてゾクゾクしてしまった。この子は一対一になって良かったのだなぁ。「本当に○○君?」と聞くと照れ笑いを浮かべていた。

生徒達に救われた一日だったのでした。

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ずんどこ

2007-02-15 23:52:16 | カナリア舎

何度目かのどん底かな。
こんな状態で春が来るのはちっとも待ち遠しくなんかない。

石の上にも3年というけれど7年やって芽が出なかったら、それはもうだめだということではないか。

いっそのことリセットしてしまいたいと思っては、自分を奮い起こす繰り返し。
でも現実が何か変わるわけではない。
久しぶりに起死回生のチラシをまくか?いやその余裕も。

引っ越せない以上、ここでもうしばらく生きるしかない。
でもなぁ・・・・
例えば建物の古さとか場所の悪さなどは自分ではこれ以上どうしようもないけれど、いったいなぜなのか自分なりに考えて考えて考える。

民家で塾っぽくないというのはあるだろうけれど、おやつを出すのがいけないのか、不登校やひきこもりというイメージが強過ぎるのか、それとも・・・この辺りの親はあまり塾とは密着した関係を作りたくないのかな。瀟洒な建物があれば、集団指導の町の塾の方が子どもも親も気楽なのかも。

東京の大学生の家庭教師の時給よりもずっと安くしているつもりだけど、それでもまだ高いのかな。そりゃ1クラスに10人も入れれば安くできるだろうけれども。

でも、それは自分のやりたいこととは違う。
学校から帰ってまた第二の学校へ行くようなものじゃないか。

近所の子が、歩いても来られるようなうちへ来ないで、わざわざ20分以上も車で送っていく町の塾へ通っているのを思うと、正直疎外感が募るな。か~っとくるな。よっぽど魅力ないんだろうな。

今までもそうであったように、二時間の授業のために今日もそれ以上をかけて教材を準備する。
暇なことを周りに悟られないように、部屋ではヒヤリングのCDを常に大きくかけている。(横をもし通る人があれば微妙に聞こえるように)だからうるさい。

でもって更に例のじいさんがいつ来るか、誰が農道を通るのかをCDの音越しに耳をそばだてているので、そんな中で予習するのは正直疲れるわ。
他人から見たらばかばかしいんだけど。いや、自分でもあほくさいんだけど。

道路が近すぎて交差点の真ん中で開業しているみたいだ。

でも人生、明日何が起こるかわからないから、今日できることをやろうと思う。

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家族

2007-02-11 00:13:00 | つれづれなる想い

親父が月末白内障の手術を受けるので、お袋の面倒を見てくれとのこと。
せいぜい1泊2日だからと昨年から言われていて、僕らもあけてあったのだけど先週電話があり、最短でも3泊ひょっとしたら4泊という。

(今まで何を先生と相談してきたのか。)

急に3泊なんて言われても無理だから、(僕が見られない日は)ショートステイなどを当たってみて、と言ったのだけど・・・
なんだかそれが気に入らなかったようで・・・

昨日電話があり、「全てホームヘルパーの手配をした。」と。
ヘルパーに昼間だけ一時間ほど来てもらって(昼、夕食の用意)あとはずっとお袋一人で留守番だそうです。

僕らが一泊くらいするよと言っても、「ヘルパーとダブるからいい」と。(?)
で、いったん切ったのですが、

数時間くらいのお留守番ならともかく、泊まりなんて一度もさせたことないし、いきなり3泊以上も風呂も入らず留守番だなんて(しかもせっかくのデイサービスも鍵を他人に預けたくないからと行かせないことにしてしまってた)危険すぎる、親父の手術も若干の危険があるし、と一晩悩んで今朝もう一度こちらから電話してみた。

なるべく詰問調にならないように話したつもりだけど、やっぱり来なくてもよいと依怙地なことを言う。

僕「一泊二日僕らがみるだけでも安心じゃないの?それ以外をヘルパーさんに頼めば?」
親父「もう手配したからいいんだ。一泊二日くらいじゃ役に立たん」
僕「一泊二日くらいで恩着せがましい態度僕らにとられたりするのがいやなの?」
親父「率直に言えばそうです。」ガチャ。

朝から気分悪ぃぜ!!


向こうは気持ちよくこちらが3~4泊してくれると勝手に期待していたんだろうか。
日頃は寄せ付けないくせに、困ったときだけ急に高圧的に頼られても困るよ。

自分の妻(お袋)の安全よりも自分のつまらない意地(それも僕への)を優先する人。
呆れた。哀しい。僕の方が大人にならなければ、もう親子関係終わってまうやん。

僕ら家族の今までの道のりが改めて燻り出されてくるようです。
弱みを見せられない、相手をコントロールし合い、条件をつけなければ相手を認められないそういう家族。


昨日タウン誌に掲載されて良さそうだったので、そのあと一軒貸し家を見せて頂いたんだけれども、あまりの狭さにがっかり。

あまりのダブルパンチぶりに、こいけのご両親のお墓参りに行ってきた。
でも、お墓になんかいないんだったよな。はぁぁぁぁぁ矛盾。

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畑始動

2007-02-08 23:33:44 | インポート

引っ越すあてが今のところないので、天地返しして苦土石灰をまいた。これを寒いうちにやっておくと、凍ったり溶けたりしているうちに土が殺菌され、空気が入ってやわらかくなります。じゃがいもでも植えるかな。070208_1 久々に汗かきました。





先日の白菜漬け、無事に水が上がって、半分はキムチへ。
オキアミの代わりにイカの塩辛を利用します。
熟成まで10日間。すでにうまいけど。

070208_

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第1水曜日の会

2007-02-07 23:53:05 | ひきこもり・不登校

先月に続き木更津の親の会へ。

親御さん3人。(僕にとって)お初の方が2人。

自己紹介のつもりが、長々と30分もしゃべってしまった。

自分のひきこもりの過程、親との関係から感じたこと、「不登校になること自体は本人の感性によるものが大きく、親のせいではないこと、

ただし、不登校にしてもひきこもりにしても、その後の家族の対応はとても大切であること。

世間の目で家族が当事者を見れば、本人の自己評価を落とし、罪悪感から悪循環となり、長引く要因になるのではないか。

是非家族の中の価値観は世間の論理とは違う価値観であって欲しい、快適に休ませてあげて欲しい。
子どもにとって親(家)は最後の砦なんだ」ということなどを話してきた。

加えて自分の今の悩みや、ずっと親からほめられたかったこと、大きな音や乗り物が怖くてディズニーシーに行っても心から楽しめない自分が嫌だ!と話してきた。

お騒がせしました。。

毎回皆さんが真剣に興味を持って僕の話を聞いて下さるのがありがたいです。いいんだろうかこれで。

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引っ越したいわけ

2007-02-06 00:01:00 | カナリア舎

実は恥ずかしい話だが・・・

表の舗装された道路はそうでもないのだが、家のすぐ真横を通る砂利道の農道を今誰が通っていったのか、これをいちいち確かめないと気が済まない。誰かが通ったり、家の近くで車のドアを閉めるバタンという音が聞こえようものなら、その方向が見える窓まで走ってゆく。(アホか!)

これが例のおじいさんだったりすれば、もう目が離せなくなってしまう。双眼鏡を使ってそのおじいさんの姿を追う。目を離すと、うちのすぐ横を突然草刈りし出すかも知れないし(これもすごい音なんだ)、帰りしな、或いは、車を田んぼの方に置いてから歩いて戻ってきて倉庫のシャッターを突然開けるかも知れないからだ。以前もそういうことがあった。

かくして一日何度も家の中をうろうろして全然落ち着かないというあほらしい日々をもう何年も送っている。かと言って外出するかというと、留守後の出来事が気になって、家をなかなか空けられないというお粗末ぶり。

ほんと監視カメラをつけたいくらいだわ。

農道をへだててすぐ教室の向かいに、そのおじいさん所有の大きな農機具倉庫があって、いつシャッターをガラガラ開けるかわからないという恐怖が多分一番先にあったのだと思う。

突然シャッターが開いて、びっくりして心臓がきゅっと痛くなったのが最初。その後も色々なことがあって、すっかり僕の中ではこの家族が敵になってしまった。敵の動きを、敵よりも先に知ろうとするのはある意味当たり前だ。そのショックを少しでも和らげるためには、いち早くそのおじいさんが来るのを察知し、心の準備ができればいいわけだ。

農道側にはあまり窓がないため、一日中動物のように耳をそばだてて、通る車の音を聞き逃すまいとしている。

そのおじいさんも最近では随分気を使ってくれてるなと思うこともあるのだが、すっかり条件反射のように身についてしまった。

一日何度も確認してしまうところは、強迫性障害(OCD)のように思える。

調べてみると「手を洗ってもきれいになった気がせずに、何時間も洗い続けてしまう」とか「戸締まりをしたかどうかが気になり、何度も鍵を確認してしまう。」などさまざまな症状があるようだ。

ココにあるように"恐怖症の人が恐れるのは犬や高い所、エレベーターのような密閉空間など、特定の場所や物であるのに対して、OCD患者の恐れるものは、「汚れ」や「他人を傷つけるかもしれないという衝動」など、抽象的で避けることのできないものであるところが違う。"らしい。

そうなると、僕の場合は農道・シャッター恐怖症、或いはやはり対人恐怖が根っこにあるのだろうな。
思い通りにならない他人ほど怖いものはない。

環境を変えて、引っ越したい理由はそれだ。

さて・・・
二人組の中2の男の子のうち一人が昨日でしばらくお休みすることになった。

もしかしたらこのまま戻ってこないかも知れない。
確かにかなり学力の差のある二人組で、プリントをたくさん用意するとか色々工夫したのだけど、成績の良い彼にはそれでも少し退屈な時間があったのかも知れない。少しへこんでます。

昨日は(もう少しあとでやるつもりだったのだが)「千の風になって」を教材として最後は二人に新垣勉さんのCDを聴いてもらった。う~ん、なかなかいろいろなことがうまく行かないわ。
千の風になってしまいたい。

写真は僕担当の白菜漬け(10kg)。今年は安くて助かる。先日4個380円だった。2007_02_06

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