ルッキング・グラスは1960年代後半にニュー・ジャージーで結成されました。ハード・ロックを志していたのですが、この「ブランディー」が大ヒットし、バンドのイメージが固定されてしまい、ライヴでも観客は「ブランディー」とブランディーのような曲を求めてくるので困惑したそうです。
「僕たちのグループの最大の問題は"ブランディー"が大ヒットしてしまったことなんだ。というのもこの曲は僕らのレパートリーのなかでも異色なものだった。レコードを聴いてもらえばわかるけど、僕らはハードロックのグループなんだよ。」
ルッキング・グラスは1960年代後半にニュー・ジャージーで結成されました。ハード・ロックを志していたのですが、この「ブランディー」が大ヒットし、バンドのイメージが固定されてしまい、ライヴでも観客は「ブランディー」とブランディーのような曲を求めてくるので困惑したそうです。
「僕たちのグループの最大の問題は"ブランディー"が大ヒットしてしまったことなんだ。というのもこの曲は僕らのレパートリーのなかでも異色なものだった。レコードを聴いてもらえばわかるけど、僕らはハードロックのグループなんだよ。」
昨日白菜の種をセルトレイに蒔いていたらば、軽いピリッと感が。
やばいと思って湿布して様子を見たが、いったん横になると起きるのに苦労する朝。
一応整形受診、レントゲンでは6年前と比べて、椎間板の軟骨がすり減っているとのこと。
鎮痛剤を二週間分もらって、しばらく安静にしていろとのこと。
まぁそう言われたって、自分の体と相談してそろそろとやるしかないんだけど。
コルセットをがちがちに巻いて土寄せ。
午前中こいけがスプラウトを採ってくれた。
明日午後は雨の予報で、誰かがやるしかない。
伸びたところで、雨が降れば倒れるだけ。
昨日植えた白菜や、大根にも池の水を汲んで水やり。
なんとか大きな痛みなく最低限のことができた。
蕎麦中耕。そばスプラウトのお浸しの毎日。
大豆中耕土寄せ。
発芽と同時に高温乾燥にさらされ、育ちが悪い。
マメハンミョウも見つけ、退治。
小さいが、こいけのすいかやプリンスメロンが豊作。(苗は自分作)
久々の陽射し。
それも午後からはまた雷とかの予報。
水路脇の草刈り。2時間半でへろへろ。汗どば。鮭とば。
草が湿っているから重たい。
午後はやはり雷。
竹岡ラーメンに挑戦。
このラーメンは南房総では知らない人はいないくらいのラーメン。
ふつうラーメンというと、スープやだし、麺の打ち方、かん水などこだわりどころ満載の食べ物と思うでしょう。
伊丹監督の「タンポポ」って映画面白かった。こだわりこそが人生。
しかし、この竹岡ラーメンてば、醤油で煮込んだチャーシューの汁だけがだし。麺も乾麺、トッピングは長ネギでなく玉ねぎみじんというシンプルさ。
しかし、これが抜群に旨い。本家は隣市にあるのだが、僕らは市内の(たぶんのれんわけしてもらった)お店に時々食べに行く。
しかしなかなか家を空けられないので、自作してみることにした。
ネットのファンの方のレシピを参考に、お醤油とみりん、玉ねぎミジン、ニンニクミジンと一時間ほど煮て、チャーシューは取り出す。味が濃いので。
で、夜、生めんのゆで汁と合わせて見たらばもうなんというか、もうお店そのものみたいに旨かった。
自分のニンニクが強烈で、ちょっと胃が痛いけど。
2年続けてイノシシ、鴨、野ウサギなどで全滅した棚田の黒米朝紫。
なんとか苗床で発芽した約90本を、今年は電柵で完璧に守るべく本田に田植えした。
池から一番遠い二条。
ところがここのところなんだか折れてるなと思っているうちに、あっという間に9割方食われてしまった。
犯人はやはり今年も鴨のようだ。もう遅い。
あわてて雨の中ため池の柵に海苔網を張ったり、電柵の線を少し下げたりしたが、もう何本かしか残っていない。種も危うい。
あ~ぁ。奴ら電柵の下くぐっちゃうし、いざとなれば飛べるからなぁ。
発砲禁止とか張り紙やめるかな。苦笑
すっかり毎年の餌場になってしまっていて、奴らはもう渡らない。増えすぎてしまった。
苦し紛れにこいけがお孫の象さんの風船を脇に設置。笑
雨続きで、ゴーヤなどが黒く枯れ始めた。こんなのは初めてだ。乾と湿が極端過ぎる。なんとなく食糧不足への不安を改めて覚える。
昨晩は集落の盆踊り。役員としていくらか包んで出向く。
37度とか23度とか気温は乱高下。冷たいものをがぶ飲みしたり、エアコンで寝たりと胃痛の日が増えてきた。
一時期の渇水寸前からのゲリラ雷雨で、草木が激しい勢いで伸び始めた。
朝から棚田周りや畑などの草刈り。50肩が未だ治らず、今年新規に購入した背負い式の草刈り機は肩に食い込み痛い。
トヨサトは20本以上に分けつしてきた。月末には出穂してきそうだ。
今日で人工弁を装着して28年が過ぎた。
毎年1パーセントずつリスクが上がっていくというが今のところ不具合はない。ストレスがたまると時々期外収縮が出るようになったような気はする。
明日から29年目に入る。
親父は看多機からも連絡がなく、母と安定しているようだ。
2週に一回の訪問診療の先生が、父の状態や血液検査などの数値をネット(もちろん許可制だが)に上げて下さるので、やはり在宅に戻してよかったんだろうと思っている。
肝臓の数値などが劇的に改善した。もともと肝硬変があるのだが、入院中禁酒していたのが在宅に戻って毎晩の晩酌になったにも拘わらず、肝機能の数値が普通に戻った。
どうしたわけだかわからないが、入院ははっきりとした治療の目的がなければ、高齢者を弱らせるリスクの方が高いと感じた。
2か月の入院で、腰痛が治るどころか、要介護1から4へと一気に弱った。
7月始め以来、僕らはもう愛想がつきて一回も電話していないが、向こうも一回も電話してこない。
つくづく僕は両親には愛されてこなかったと思う。条件がついた許可制の人生だ。
また何かあれば当然のように長男として手伝って当たり前という態度になるのだろうな。
年末には87歳と言えば、普通なら祝福するべき長寿なことなんだろうけれど。
まぁでも僕は親父ほどは長生きできないだろうと思う。
昨年まで7年ほどわずかながら信州大そばという品種を作っていた。
が、気候が合わなかったのか、あまりうまくできなかったのと、種を残さないで全部製粉してしまったためもあって、今年は別な種類を選ばざるをえなくなった。
調べると千葉にも在来種が存在するようだが、入手は難しそう。
で、茨城の在来種常陸秋そばというのを注文してみた。
約200ccで3畝。60m。さてどうなるか。