今日父を退院させてくる。およそ二か月の入院だった。
いきなりマンションに帰宅するのではなく、2日ほど看多機にお泊りし、24時間ナースのチェックや見守りを受ける。
長い間の入院で、せん妄や失見当識が少し出始めているので、心配もあるが。
今日父を退院させてくる。およそ二か月の入院だった。
いきなりマンションに帰宅するのではなく、2日ほど看多機にお泊りし、24時間ナースのチェックや見守りを受ける。
長い間の入院で、せん妄や失見当識が少し出始めているので、心配もあるが。
水曜日のカンファ。
86歳の定期的な輸血が必要な高齢者を、83歳の高次脳機能障害の母のもとへ返すというと、これだけ抵抗されるのか、というものものしい雰囲気。
病院側からリハ、ナース、ソーシャルワーカーなど4名。母のケアマネ、看多機側から、ナース、リハ、ケアマネ、ヘルパーなど4名、僕と総勢10名。
病院側からは、再び在宅は難しいとの意見が出され、主治医も同意見とのことで、今後の救急対応は血液内科が担当する病気の悪化以外は、対応しかねるとの一筆も。
なんて温かい病院なんだろう。
もはやむちゃくちゃする長男の扱いだ。
僕も父の首をしめていたのかとまたぐらつきが生じた。
もちろん父はベッドでカンファに参加もしないが、その後のリハへ行く途中に、「これからはおかゆでなく、柔らかいごはんへと変更してくれ」とか「俺はその辺のじじいとは違うんだ」とか、僕はやはり、退院への希望が見えて本人なりに頑張ろうとしているのだな、と思った。
一晩母のもとへ泊って、翌朝母を地元の診療所へ連れて行って僕は帰宅してしまったのだけれど、
が、しかし、翌夕病棟から電話。
あのあと夜中まで独り言を言い続け、同室の患者さんから苦情が出るほどだった。夜中の2時にサンダルをはいて、けがもなくベッドの下で寝ているのが発見された。(どのタイミングで処方されたのかわからないが)、鎮静剤が処方され、起き上がるとナースコールに自動的につながる離床センサーが付けられたとか。
一時のせん妄らしいが、本人の携帯はどこかボタンを押してしまったらしくドライブモードになっているようで、こちらからはつながらない。
かろうじて母の元へは電話をしているらしいが。あ、そうなんだ。はぁ
まったく僕らの生活は無茶苦茶である。
来週いよいよ退院で、その後2日ほど看多機へ泊り、その後マンションへ帰宅。
退院させて父を見送ったのちは、介護ベッドなどの業者やケアマネがマンションへ下見に来て、翌朝運び込み、設置などがあるので、また泊まらなくてはならない。
こいけも休みを取ってポータブルトイレやマットなども見たいとのことで、退院日は泊まるが、翌日はまたこいけを送り届け(田んぼや畑も心配)、僕はまた翌日再び二時間走ってマンションへ行き父の帰宅を待たなくてはならない。
いったい僕が明日入院などしたらどうなるのでしょう?苦笑
いろいろなことに腹立ちを覚える。
酒も睡眠薬も量が増えているわ。
らっきょうは甘酢漬けに。
梅なりすぎ。
10日間干した小麦脱穀。乾燥。
敷地の中でも一番怖い斜面。この下はコンクリートの水路。一歩踏み外すと多分けがします。9か月ぶりくらいの草刈り。寝不足でやりたくないけれど、もう遅れに遅れている。そういう僕の生活を両親は知らない。
カテゴリ追加。
紫陽花周りの草刈りを少しづつ。
トヨサトの余った苗を上棚田に田植え。
黒米を毎年植えていた場所。今年は水連だけと思っていたが、余った苗が多いので。
最後まで守り切る自信はないが、ずっと苗箱の中で寿命を迎えるよりはいいじゃないかと。
籾摺り。
孟宗竹林整備。
細い竹がびっしり出ている。
竹用のチップソーで飛ばして回る。
とにかく何もかもが遅れている。
6年ほど土を入れ替えていないバケツ稲。雑草やしゃくやくのさし穂などが見えるが一本植え。
これは黒米朝紫。
明日は看多機の方々、病院側と退院前提のカンファレンスで呼ばれている。
退院の日時も正式に決まりそう。
明後日は、午後より市役所による父の介護度の見直しが予定されているので、それにも顔を出さないとならない。明日は母のとこ泊りだ。
にんにくの醤油漬けを作る。
作業しながらもこれでいいのかと迷う。ほかに選択肢はない。父だけ施設へ入っても母の問題は解決しないし、どこへ行っても、完全な安全など得られない。最後の一日までこんな病院でなく、母や、知り合いの看護士さんに囲まれてその日を迎えてもらうのがそれなりの幸せと信じるけれど。
俺らの生活は無茶苦茶になってるけどね。
昨日こいけと病院へ。母、看多機の社長さん、看護士さん、ソーシャルワーカーと一時間ほど説明を受ける。
この看護士さんはずっと訪問看護で2週に一回父を看てくれてた人。
父ちゃんはもう要介護3かと言われるくらい弱ってきた。病院側がトイレも全部介助してしまって、ベッドも起こさずに寝かせっぱなしにしているから、しかもミキサーで、朝食食べたかも覚えてないと。
急いでベッドを起こすと、しゃきっとして、母の持ってきた新聞など読み始めた。
恐ろしいなこの病院。
今までの訪問看護、介護、デイサービス、宿泊、デイケアなど、月一回のケアプランに縛られるシステムでなく、厚労省が10年ほど前に新しい取り組みとして始めた試み。
その家族、本人の状態に合わせて、都度訪問看護も介護も、自由に設定でき、通所も例えばお昼とお風呂だけとか、本人の希望で自由に、したがって送迎は集合ではなく必ず個別で。
ケアマネさんに去られた多分全国でも珍しい孤立無援家族となったあべっち家。
病院側にも相当文句言ってきている僕。看多機の二人も相当慎重に来るかなと思っていたらさにあらず。
一昨日も僕を弱気にさせた病棟の主任さんが途中で現れ、早口で「とにかく車いすも
20分くらいしかもたないし、トイレは一人ではまず無理。主治医も我々も自宅に戻すのは危険と判断してます」と一方的にまくしたてた。ま、やらせてないからね。
さて二人は黙って穏やかに聞いていて、時々、こうこういう指示書を主治医に書いていただけますか?とか、いま鎮痛剤は?とか必要なことだけをぽつぽつと聞いて、少しもあわてず。
で、最後に父のベッドサイドへ、父の動きを見るでもなく、看護士さんとあいさつを交わした程度。ざっと僕が説明し「マンションに帰るよ」と言うと久しぶりに看護士さんと笑っていた。
「ざっとこれからうちを見にいらっしゃいませんか?」と言うので、社長さんの(小椋けいさんそっくり)車について母とこいけと3人で早速見学。
普通の新興住宅街にある、大きめの普通の住宅。
2時間ほど説明見学させていただいて、重要事項の説明も受け、契約もしてきてしまった。
30人ほどの職員が登録されている。
プロのこいけが驚くような工夫された仕組みがいろいろあったらしい。機械浴のコンパクトな吊り具、車いすから自然に立てるようなスタンディングなんとかという、ま、僕からいえば台車。廊下の左右に対象にトイレが設置されていたのだけど、これって右に麻痺のある方、左に麻痺がある方それぞれのためにあると、至極まっとうなお答えなんだけど、僕もこいけもそういうの初めて見ました。
あと、一人片側に強い麻痺を抱えていらっしゃるらしい、ご婦人を二人の職員が、足の下に滑り止めのマットを引いたりしてリハビリをしていたとか。(僕はよく覚えていないのだが)、こいけに言わせると、普通の施設だとそこまで手間かけないのだそうで、驚いたらしい。
この代表ご夫婦がまた経歴がすごいのだけど、八千代で長く訪問看護ステーションをやっていたそうだけど、看取りなどに対応できないもどかしさを感じていたそうで、開所約2年。まだ全国でも約300か所、千葉県ではまだ6か所ほどと少ない、看護小規模多機能型居宅介護事業所。
基本は介護保険だが、ここの強みは医療保険も対応できるところかも。
退院直後は、ここの個室で2日ほどお泊りして、充分状態をチェックしてから母のマンションに戻るそうだ。最初の二週間は看護にウエイトを置いた医療保険で、その後はフレキシブルに介護保険へと、行ってみましょうとのこと。なんせケアプランと違って月末に報告すればいいという認可を受けた事業所なので、柔軟に人を配置したり変更したりできるそうだ。
まずは来週病院で、病院側と皆さんと、僕とカンファレンスでまた呼ばれてる。
その後再来週始めあたりで退院の予定になりそうだ。
この病院にいたら、人間としては死んでしまう。しかしこいけに言わせると、自分の施設でも、入院で寝たきり状態になって帰ってきた高齢者が、施設での生活、ケア、リハで元気に車いすでごはんを食べるところまで回復した例を何人も見てきたそうだ。
今はポータブルもすごい進化してて、スイッチ押すと中の袋が自動でふたが閉まり、丸められ、そのまま燃えるゴミに捨てられるとか。
昨日この病院唯一の救いの女神、リハのYさんが病棟に言ってくださった、昼食を車いすで座って食べる、トイレ誘導時にリハパンの上げ下げを自分で練習させるということを、今日病棟に電話し、念を入れてお願いしておく。
うるさいだろうが、言わなきゃやらないこの病院。
父ちゃんがんばれよ。あと10日ほどで、母ちゃんのマンションに戻ってまたブラックニッカがなめられるかも。
このブラスバンドのすぐ先にその家はあります。まちのナースステーション
昨日、Drやナースからは、自宅へ戻すのは、共倒れでしょうとの反対意見。
リハビリの人からは、リハパン、ポータブル、チューブ付きのしびんなら、大丈夫かもと。
すべてナースが介助していたトイレの際、片手でリハパンの上げ下げを1人で練習させてもらう、昼食はベッド上でなく、車椅子で、と病棟ナースに指示してくれるとのこと。まだ若い女性だが、この病院で唯一救いとなった。
くだんのケアマネさん(推定40代)、僕らや父には何も言ってこないが、おとといの朝、病院に電話があってやめます、と。呆れた。
判断できず、昨日はいったん帰宅した。
またこれからこいけも連れて、看多機の方々のお話を皆で伺ってくる。
まだ全国でも300箇所ほどしかない取り組み。どういうサービスを提示してくださるか、病院側も聞きたいらしい。
今日は入籍8年目だが、それどこでなさそうな1日となりそう。
親ビン、お返事はのちほどね。
行ってきます。
さて、サ高住しか選択肢がなくなった、今、僕は実家の市で始まっている看護小規模多機能型居宅介護というのに一縷の望みを託して、父をマンションに戻そうとしている。
だって母の問題が解決しない。
↓の有料ホームにノーを突き付けられて、僕の意地にもちょっと火が付いた。
マンションのリビングに父の介護ベッドを置くしかないし、いろいろなヘルパーが出入りするようになるので、母には無理かな、父も決断できないかなと思ったけれど、二人ともそれでもまだ二人で過ごしたいとの気持ちになってきたようだ。(怪しい)
病院からはあの手この手弟の手も借りてでも退院を迫ってきているらしい。
3週間も連絡のないケアマネに「ホームがだめになりましたけど、あなたはプロですか?」とちょっときついメール(SMS)をしたら、9時に家電。「私頑張ってきたじゃないですか!!私に感謝の言葉もないじゃないですか!!。もうおります!!!。もういいです。ショックでした!!!」みたいなひぇぇという電話が。
この女はいったいなんだったんたんだ、とこいけに電話を任して逃げて(弱気)、こいけが慰めてたけど、ずっと私は私はって泣きながら自分のことばかり言っていたらしい。こいけも呆れていた。
いやぁそういうケアマネさんもいるんだね。それで今日も連絡なし。うわぁ。怖い。おりるならおりるで、ちゃんとプロらしく引き際をやってくださいな。↑の社長がが明後日父のベッドサイドに説明に来てくださるらしいので、そうなればケアマネは自然交代だ。
ので、明日は病院へ行き、実家で母と泊まりさりげなく説得、明後日両親と↑の社長さんと病棟で話をしてくる。
ダメだったらもうサ高住しかない。
梅雨入り前の作業。
麦秋。小麦収穫。
じゃがいも、玉ねぎ、にんにくも収穫。乾燥。
4時間ほど果樹園のアジサイ周りなど草刈り。
夜はこいけと初ホタル。
何匹か見ることができた。
いよいよ梅雨入りらしい。
久々紫陽花周りの草刈りなど。
先週のクリーン作戦で刈った草の火燃し。(役員仕事)
一瞬煙にまかれて、息ができなくなる。怖い怖い。
夕暮れまでじゃがいもを掘っていたら、急に左目の瞼に違和感。
みるみる腫れてきた。
自然農の仲間Yさんに以前いただいた、びわの葉の焼酎漬けを付けて保冷剤で冷やしながら、ふかした新じゃがの塩マーガリンを一杯飲みながら堪能。
いやぁ旨過ぎ。
痛くもかゆくもなく、酒もうまいが(苦笑)、やはりお岩さん状態で、キーボードもよく見えない。→それでもこういう事故は書きたいの。右目は緑内障だしね。ふふん。もう寝ますわ。
明日本業に差し支える顔になっていないことを願いつつ。
朝6時から田植え7日目。
最後に苗代を鍬でならしながら、昼前やっと終了。
全53列プラスα、およそ2500本。
終わるまで楽にならないとわかっている作業だから、今年もなんとか植え終わってちょっとほっとした。
午後は玉ねぎ収穫(小さいけど)。
トマトの芽かきなどの世話。
小麦やにんにく、らっきょうなどもそろそろ収穫時だ。
ソーシャルワーカーから電話。退院の許可が出たので、とりあえず↓のホームの空き待ちということで、(これまた実家の近くの)サ高住に行く手続きを進めてよいですか?と。
できれば、空くまで置いて欲しいが、それは無理そうだし、入れ歯も地元でということなので、↓のホームに電話してみた。
こいけと5/1に見学して説明してくれた女性。
満床とのことだが、父は何番目の待機者なのかなど尋ねてみた。
すると、「2週間に一度の輸血への通院は息子さん(僕ね)の付き添いが条件です」。
は?
一応車で二時間近くかかるし、輸血ってば4時間くらいかかるし、ほぼ一日仕事になるので、僕にはやはりとても無理だ。今後もっと頻回になることも予想されるし。
人数がぎりぎりで職員の送迎もなかなかできかねるし、母の付き添いも判断ができなさそうな人なのでダメだと。
いやいや、そういうこと言ってくるか?強気に出られてしまった。↓の県庁の近くの提携のホームへの仮入居などをあっさり母に蹴られて、めんどくさいと思ったのだろう。
それにしてもなんで病院のソーシャルワーカーやケアマネさんなどプロがそのことを知らされていないのか、いったいなんのためのプロなのか、またお怒り中。
悔しいがこれが現実だ。有料の老人ホームであっても、今やうちらは選ぶ側ではなくて選ばれる側なのだ。
さてどうするか。いよいよ母も大問題となりつつある。「私は平気よ、私はここを出る必要がないでしょ?」う~ん困った。
と言いながら、9年目の田植え6日目。今年は特に苦しい。しかし意地だ。先輩方の学びの会の田んぼも、今年高齢化と担い手不足でついに閉会してしまった。
もうこういう農法で田んぼを作っている人も県内ではいったい何人いるか、まぁ僕なんか笑ってしまうような面積だけれどもね。
疲労と寝不足でよれよれしながらなんとか5列。強風だったので苗が倒れないようにしっかりと丁寧に押し込む。
残り7列。