カナリアな日々

百姓になって15年目。補習塾カナリア舎はフェードアウト中。小麦、蕎麦、大豆などを作っています。

糀完成~味噌作り準備~

2019-01-30 22:01:30 | 味噌作り

自力で発酵、朝には44度くらいに達していた。偉いぞ。








蓋を少し開け、毛布を取り去り冷やしにかかる。




久々裏山。咲かない山桜を何本か切って落とす。以前一回伐採されたのだろう、その後の分けつした枝もかなり太くなってきた。

 

 

 

斜面で、上に持ち上げて残す枝、落とす太い幹、と刻んで落としながら自分も一緒に下りてゆく。

 



 

 




 

さて糀、なかなか冷えないのでついには廊下の冷たいフローリングに置き、完成。およそ8kg。

 

 

 

味噌に使う分、冷凍分、甘酒分などに小分け。

 

もふもふ。

 

 







 

明後日味噌を仕込むことにして、大豆や鍋などを準備しておく。










コメント

3年目の手前麹づくり~2日目~

2019-01-29 21:50:39 | 味噌作り

およそ一日浸漬していた白米を、昨朝水切り2時間。

 

 

一時間ほど蒸して、手でかき混ぜて人肌に温度を下げてから種麹をふりかけて手早く混ぜる。(種切り)

 

 

大きな布に包んで、トロ箱に入れて温度を見ながらホットカーペット最弱で保温。






昨日は40度くらいを順調に推移。

 

 

 

 

今朝からは3回ほど攪拌し(手入れ)、あとは今晩自力で温度がキープし続けられるようだと明日には完成できそうだ。




 

 

 




 




 

 

コメント

なんか心配

2019-01-26 23:43:08 | つれづれなる想い

毎晩地震情報ライブを再生しているが、今日は南から北まで、マグニチュード5クラスの地震が何個か起きている。

 

 

なんか心配だ。

 

 

 

コメント

世界遺産を無視してこんにゃくパーク

2019-01-26 21:32:33 | 旅行

 

群馬行まとめ。



快晴の朝。関越も雪もなく、ホテル到着時にはこんな。

 

 

 

 

調べたら二年ぶり。


 

まず雪かきの離れ。


 

 

 

夜には雪になるという予報。


 

 

 

果たして雪が降り始め、狙った以上の吹雪。





顔に雪が当たりながらの露天風呂。うちではできない贅沢。






翌朝には20cm以上も積もって車の雪下ろしから。

 

 

 

こいけの希望で富岡のこんにゃくパークへ寄り道。







初の上信越道。富岡と言へば、あの世界遺産がすぐ近くにあったのだが、結局寄らずに帰宅の途へついてしまった。紙袋5袋分のこんにゃくを買い、別にこんにゃく好きでもない僕は戦々恐々の日々をこれから迎えることになる。

 

 

 

麹づくりを始めるべく、まずは籾摺り、精米。








 

コメント

冨岡

2019-01-24 12:53:10 | 食べ物
こんにゃくパーク。
コメント

明日は群馬へ逃避

2019-01-22 22:52:29 | つれづれなる想い

ざわざわすることが続く新年。


 

一昨日は集落の総会新年会。

昨日は隣人の葬儀にこいけと出席。お花も一輪もない、僕ら以外は故人の妹のみ。

 

 



 

集落からは、妹さんからの強い拒否の要望もあり、一人の参列者もなかった。



同じくらいの年回りの兄妹、経済的にも貧しく、公費の保護を受けていたようだが集落からは長く差別を受けてきたのだろうと思う。僕らも会えば普通に会話したり、車でバス停まで送ったりくらいはしていたが、どちらかと言えばやはり差別する側の人間だった。

 

 

言葉を尽くせば長くなりいつまでも書けない。

 

その彼が徐々に腎臓や足などに病を抱え弱ってきていることは明らかだった。この二週間ばかりの間に5回も救急車を呼び、その都度僕らもひやひやした。



両脇を抱えられながらも歩いて救急車に乗る姿も見ていた。昼間は駆けつけたりもしたが、まさか亡くなるほどとは正直思っていなく、最後の晩も風呂(外)から部屋までが上がれないとの妹さんからの要請を僕らは結果的に断ってしまった。



そしてその後彼は救急車内で亡くなったようだ。その日は初窯を朝から焼いていて、200mほど離れた彼の家から、彼の声が聞こえたりしていて、むしろあれだけ声が出れば大丈夫くらいに思っていた。




そのことを彼女は隠したかったのだろうが、救急病院から地元のお寺さんとの付き合いの深い葬儀社に運ばれたそうで、そういうことは田舎はインターネットよりも早く伝わるようだ。



救急搬送から二日間そのことを知らなかった隣の僕らが、救急搬送は都度知らない同じ班の長老から知らされた。



僕は実はこの集落では葬式の組には(大変そうなので)お願いして入っていない。



 

葬儀はプライベートなものだと思っている。




ここは数十年前までは土葬で、墓穴を掘る役人(やくびと)の習慣が今でも回りべんたである。昔の薪代代わりに出棺の朝同じ組の人がわざわざ1000円ほど持ってその家に集まるという習慣も残っている。

 

 

古い習慣だと思ってはいても、昔自分の親がそうやってお世話になったのに、自分のところからその習慣をやめるわけにはいかないということだ。ということでいつまでも終わらない。





彼の親が亡くなった数十年前、おそらくその頃も経済的に貧しかったために、十分なお返しができなかったこともあったのだろう、また兄妹も口下手で、ある長老から「お前の親の葬儀で集落に迷惑をかけた」と兄が以前言われたらしく、それは彼らを深く傷つけており・・・・長老からの「周囲の手伝いのお願いはないのか」といういきなりの不躾な申し出に、普段大人しい妹が毅然と断ったのだった。



幸いに近所のお坊さんが火葬の後、お寺に遺骨を安置してもらえることを区長を通じて新年会で知り、一安心すると共に、葬式の組としては何もしないとの暗黙の合議がなされたことも知った。




翌日の火葬されるという朝、僕らはすでに家を出ていた妹に電話、参列の許可をもらい、葬儀場に向かった。本当に僕らと妹だけだった。お坊さんの読経で出棺し、火葬場への同行も許されて、彼の骨も3人で拾った。




100kgくらいあっただろう彼は一時間以上かかって骨壺に納まった。60歳。




亡くなる二日前ほど病院から帰宅した彼らをわずかな距離、車で送ったのが最後となってしまった。あっけない。切ない想い。体調も悪くなりせきも出てきた。



が、明日は何か月も前から予約していた数年ぶりの群馬湯檜曽温泉行。



帰りに富岡方面にもできれば寄ってこられればと予定している。

 

往復500km、僕の長距離運転もいつまでもは無理だろう。健常な人のようでいて、驚くほど行動半径が狭い自分。外国などは一生無理だろうが、こいけにもたまには楽させないと。お互いに生きているうちに。

 

 

 

 

 

順調に推移したが、一昨日窯出しで(長老と立ち話している間に)発火してしまい、おじゃんになった初窯。

コメント

ふざけんな

2019-01-17 21:14:50 | 食べ物

黒豆でむかでとは・・・・

 

 

初窯準備中。

 

 

 

 

コメント

胸騒ぎのいのしし年

2019-01-09 21:10:27 | つれづれなる想い

あぁもう9日。いのしし年です。ぶひ。



年末年始はずっと穏やかな晴天が続いている。例年通り3日かけて作ったおせちを4日くらいかけて食べて。僕は6品。こいけはもちつき、松前漬け、柿なますなど。

 

 

 

 

2019年はまず切り干し大根を切って干すことからスタート。

 

手前だが、おせちって悪酔いしない。元旦だけは神社にお参りしたあと、昼前からこいけとおせちで日本酒を飲むのだけど、夕方までうとうとしたり、年賀状をながめたり、テレビを見たりで結局ほぼ一升あけることができた。神様などにあげているから全て飲んだわけではないけれど。

 

 

 

昨年一昨年と大体8合くらい止まりだったので、まぁ良かった。どこが?苦笑

 

 

そうした穏やかなスタートでありながら、年末から心の一部はざわざわしている。

 

 

 

長くなるので詳しくは書けないのだけど、親戚の訃報の話だ。

 

 

 

昨年は、実は伯父、伯母夫妻、別の叔父(全て母方)がお亡くなりになったそうなのだが、どの訃報も自分にはオンタイムで伝わらなかった。両親がまだなんとか健在だから、両親の考えもあって甥っ子である僕には伝えなかったのもあるが、両親にも知らされていない事実もあって、色々考えてしまった。

 

知らないから従妹に年賀状を出してしまったり。何十年も賀状の交換さえしていなかった従妹から喪中欠礼の葉書が来たり。



兄弟姉妹であっても、配偶者の訃報を気遣いで知らせなかったりすることもあるのかな。こちらも当事者には電話したりできないので、この無作法をどう取り戻すかなどと飲みながら考えてもどうしようもない。確かめようがない。



従妹くらいになると、親しくしてきた人以外は親の代の関係が終わっていくと、縁が切れていくものなのだろうか。


さて・・・・

 

 

長らく炬燵を温めていたが、重い、本当に重い腰を上げて一昨日昨日と作業始め。


 

久々の孟宗竹林。昨年タケノコの時期の前に切り倒したままの竹を運び出し、火燃し。

 

 

 

二日目の昨日は、風はほとんどなかったが、火が大きいのと、乾燥が続いていることから、昼休憩にも帰らず、(おにぎりを持ってきてもらって)午後3時ごろまでかかってやっと運び出した。腰が・・・・

 

 

 

 

 





やはり胸騒ぎな腰つきのいのしし年。きっと大変だよ。

 

 

52円の官製はがきで賀状の返事を出してしまった。恥ずかし。






 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント