カナリアな日々

百姓になって15年目。補習塾カナリア舎はフェードアウト中。小麦、蕎麦、大豆などを作っています。

厳しい時間と優しい時間

2007-02-02 00:22:17 | つれづれなる想い

ネットで出た近所の物件を一軒見てきた。

敷地100坪以上、建坪およそ40坪築約20年で一千万円を切るとは結構安い。残念ながら周りを同じ名字の人達に囲まれているような所だったのでやめた。聞き込みをしたら親戚というわけでもないみたいだけど。

なかなか見つからないなぁ。農道を通る車が気になってしまう。
特に以前からこの先で自分で家を建ててる人が、最近は毎日のように来るようになって、イライラしてしまう。

生徒達と一緒に汗をかいて授業をやったり、ご近所の方や親の会などの人達といいコミュニケーションがとれた日には生きていていいんだと自己評価も上がるような気がする。

しかし誰もいない教室で一人予習をしている真横を、車やトラクターが通るような環境は(皆それなりに気を使って通ってくれているのだが)やはり自分の自己評価とは無関係なようでいて、自分には無関係でない。こういう環境で仕事したくないなと思ってしまう。

調子の悪い今のような時分には、通る人から「や~い、ひきこもり!」と笑われているかのような妄想を抱く瞬間がある。

この自己評価の上がったり下がったりのバランスが、うまくとれていればいいのだけど、なかなか上がっていかないんだなぁ。

そんな中、以前途中から見出して気に入ったドラマの再放送を毎日見ているのだが、その中で非行に走ってしまった息子とその息子を理解できないで別れてしまった父が出てくる。

父は猛烈サラリーマンをやめ、北海道で喫茶店を始めて、息子はそこからそう遠くない町で陶芸の修行をしている。父はそのことを知らない。息子は母親と車で外出中、事故で母親を死なせてしまったことや入れ墨を肩に彫ってしまったこともあって、父には申し訳ないと思っている。

今日は最終回だったのだが、息子は入れ墨を真っ赤に焼けた陶器を押しあてて焼いてしまう。そして父に会いに行く。

彼が父にその焼いた入れ墨を見せ「僕を許して下さい」と言って泣き、父が「謝らなければならないのは僕の方だ」と泣く場面では、

また不覚にも泣けてしまった。子どもはホントけなげだなぁ。

最近ちょっと涙もろいぞ。

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