カナリアな日々

百姓になって15年目。補習塾カナリア舎はフェードアウト中。小麦、蕎麦、大豆などを作っています。

子どもを安心させる義務

2007-02-24 18:29:59 | つれづれなる想い

昼前、珍しく父から携帯に着信が。(普段は使わないのだが弟が買って渡している)
出たがすぐ切れた。その後しばらく待ってもかかって来ないので、しびれを切らしてこちらから電話した。

「鳴らさないようにすぐ切ったのだけど」、と父。
いざという時に備えて母に短縮ダイヤルの押し方を伝授していたようだ。
予定通り、今日から入院するそうだ。
母のこともあるので、(いくら以前の眼の病気があったにしろ)白内障の手術に前日から入院する必要があるのか、もう一度医者に聞いてみることもしてないみたいだ。

あの恩きせがましく云々の電話以来、お互いに電話しなかったのだが、僕はいずれにしろ、明日は母を見に行こうかと予定していた。

その話を持ち出す前に、固定電話がかかってきたみたいで、それで終了。
その後はかかって来なかった。こっちからもかけなかった。

全く

本気でヘルパーだけで、母を3泊以上留守番させる気だ。
今後何かあった時のために、もう少し考えて欲しいと年末に言ったのだけど、どこの病院へ入院するのかとか、その時母はどうするのか、今のバリアだらけの古民家ではとてもじゃないけど引き取れないよというような話をしたのだが・・・

それが結果的には今回の実験へと父の意地を張らせたようだ。
まだまだ二人でがんばれると言う意志表示だ。
実験と言っても、うまくいけばいいけれども危険すぎるじゃないか。

僕は普通に頼って欲しかっただけなのに。。。

「急に3泊とか4泊になっちゃうんだけど、大丈夫?」なんて言い方してくれば、こちらだって、「そうね頑張って2泊くらいはするよ。あとの日はデイサービスとか宅老所とか考えようよ。」てな具合にいくもんじゃないか?
そんな風に行かないわけね。この親子は・・・

結局こそこそと小さくなりながら、ひょっとして「泊まらなくていい!」なんて母に言われるかも知れないから、それでも一応泊まる用意をして明日行くことになるのだろう。

親には、学校へ行きたくないという子どもを無理に行かせる義務なんかない。

でも、
親には子どもを安心させる義務はあるのではなかろうか。

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