ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

年を取ったら田舎暮らし?

2014-07-18 09:06:00 | 本と雑誌

 

朗読教室に通うようになって、工藤直子さんの詩が好きになって何冊か本を買い込み時折じんわりとその詩を味わっていますが、先日は岩波現代文庫の「こころはナニで

こころはナニで出来ている? (岩波現代文庫) こころはナニで出来ている? (岩波現代文庫)
価格:¥ 972(税込)
発売日:2008-04-16

出来ている?」という文庫本を手に入れました。

 

この本は、一話ずつ「エッセイ+一篇の詩」という体裁で出来ています。

 

工藤直子さんご自身のエピソードが語られ、で、こんなことがあったからこの詩が出来たんだよ、というように最後に詩が載っているのです。

 

そのなかで、「葬式」という詩にまつわるエッセイがありました。

 




工藤さんの「葬式」という詩は有名で絶品だと思います。

 

お父さまの葬式を描いたものですが、私はこの詩を味わいながらも、工藤さんのお父さまとはどんな方だったのだろう、と想像をめぐらせていました。

 

それがこのエッセイのなかに書かれていました。

 

それは微笑ましく、ユーモアにあふれたものでありながら、切なくてどうしようもないものでした。

 




そこにこんなエピソードが載っていました。

 

工藤さんが田舎で暮らすお父さんにどうしても親孝行がしたい、と日光旅行をプレゼントしようと思い立ちます。

 

そのついでに自分がひとり働き暮らす東京にも寄ってもらって、自分の仕事場を見せようとします。

 

工藤さんがコピーライターとして働くビルにお父さんを連れて行き、ビルのエレベーターに乗り、行き先のボタンを押したら、お父さんが感動してこう言ったそうです。

 

「おっ、直子、お前ひとりでエレベーター動かせるんか!」

 

明治生まれのお父さまにとって「エレベーター」という機械は“たいしたもん”だったんだろう、とそのときのことを工藤さんは書かれています。

 




その数日後、こんどは上司の家にお父さまを連れてあいさつに行きました。

 

するとお父さまは、上司夫妻のまえに、きっちり四角に坐り、おじぎをしてこう言いました。

 

「おかげさまで、直子も、ひとりでちゃんとエレベーターを動かせるごとなりました。ありがとうございました。」

 

工藤さんは父のいつもの冗談かと顔を覗き込みましたが、生真面目で本気だった。

 

そんなお父さまを工藤さんは(そうだ。それこそわたしのトウチャンぞ)と誇らしく思うのです。



そういえば。

 

似たようなことがあったなぁ、と私は自分の父を思い、ある1つのエピソードを思い出していました。

 

数年前のある日のこと。

 

両親を車に乗せて三重県にある父の母、つまりわたしのおばあちゃんのお墓参りに行くところでした。

 

私にとっておばあちゃんの家は十数年ぶりで、場所なぞ覚えていませんでした。

 

そこで母に聞いてナビにその住所を打ちこんで、さぁ、出かけようと車を走らせたときでした。

 

「しばらく直進です。」

 

ナビからいつもの聞きなれた事務的な女性の声が放たれました。

 




すると父が、

 

「おい、この女の人はどこに隠れてるんだ?」

 

と言ったのです。

 

私はてっきりひょうきん者の父の冗談だとばかり思って、吹き出しそうになるのをこらえながら、

 

「そりゃあ、ほら、このダッシュボードの中に決まってるじゃん。」

 

と涼しい顔をして言いました。

 

すると父は、

 

「・・・ふぅん。そんな狭いところになぁ。ご苦労なこったなぁ。」

 

と言いました。

 

それを聞いて私は、(・・まさか! マジかよ。)と悟ったのでした。

 

どうやら父はホンモノの生きた人間、道に詳しいどこかの会社の女の人が車のダッシュボードから指示を出してくれていると本気で思っていたようなのでした。

 

・・・もう、あえて本当のことは言いませんでしたがね。



そんなことがあって、この工藤直子さんのお父さまのエピソードがひときわなんだか切なく身に染みたのでした。

 

私の父は88歳になりますが、いまだ元気で存命です。

 

存命なだけではなく、食堂を経営しています。

 

父の座右の銘は「生涯現役」でした。

 




しかし、この数年、どんどん耳が遠くなり、目が見えなくなり、まだ老化が父ほどには進んでいない80歳になる母に店の切り盛りが重く負担としてのしかかるようになりました。

 

母はもう店をしまいたいばかりで、「ほんとにもぉ。年々私の負担が増えるばかりなんだから。こっちだって年をとっていくのに、もう限界だわ。」とぶぅぶぅ言っていました。

 

母の言い分もごもっともです。

 

けれど私は何とかして父に「生涯現役」を続けさせてあげたくて、父は母の言うことをきかないだろうなぁ、と思っていました。



それがつい先日、母が言うには、ついに父が白旗をあげた、というのです。

 

それは加齢による「黄斑変性症」というだんだん視野が欠けていく目の病気が進行しているので2度目の目の手術をどうやらしなくてはならなくなった、という診断を受けたときのことです。

 

突然母に、

 

「なぁ、おい。今年いっぱいぐらいをメドに、もうお前が無理だと思うなら、店、やめてもいいぞ。」

 

とつぶやいたんだそうです。

 

母は長年、やめたいやめたいと言っていたにもかかわらず突然素直にそう申し出られるとハタと困ってしまって、

 

「うん・・ まぁ、考えとく。」

 

とその場では答えたそうです。

 

その後、私には母は、

 

「まぁ、今年いっぱいはともかくとしても、来年いっぱいは絶対に無理。どれだけ頑張っても来年半ばまでかな。」

 

と言っていました。

 

今は7月後半ですから、あと1年以内ってことか・・

 

そんな日はすぐにくるだろうな。

 

すぐに来るけれど、これまで長かったなぁ。頑張ったよなぁ。

 

そしてまたこのあとも長いよなぁ、と私はしみじみ思いました。



だって、父は加齢にともなう目や耳の症状以外は、身体はどこも悪くないんです。

 

だから長い余生が始まるんだろうなぁ、と思ったわけですが、考えてみれば目がよく見えなくては、数年前までは父の趣味だった日帰りバス旅行に申し込めないことはもとより、危なっかしくて散歩にも出られやしません。

 

家のなかで本を読むことさえままなりません。

 

耳が聞こえなくては父の唯一の楽しみであった映画館に出かけることもできません。

 

となると、父はいったい何をして日々過ごすのだろう?

 

せいぜい大音量でCDを聴くことぐらいかなぁ。

 

あとはうつらうつらして過ごすんだろう。

 

そうしたら、せっかくこれまでは店をやってきて健康だった体だって見る間に衰えてしまう。

 

そうすると、案外がくっときてしまって、お迎えがくるのもそれからは一気かもしれないぞ・・

 

そんなことまで考えました。



エッセイにも記されていますが、日光旅行と娘の住む東京を堪能した工藤さんのお父さまはそれから田舎に帰ってからは、いつものようにニンニクをもりもりと食べ、毎日のように釣りに出かけて健康そのものだったけれども、ある日、釣りから帰ってきてすこし早めに戻って横になったかと思ったらその4時間後にすっとお亡くなりになってしまったそうです。

 

これは人もうらやむ大往生ですよね。

 




よく「年を取ったら田舎に住みたい? それとも都会がいい?」ということを友人同士で話題にしたりします。(こんなことを話題にするようになったのも私が半世紀以上生きたからでしょうか・・)

 

そのとき、たいてい現役で活き活きと働いている人ほど

 

「都会に決まってるじゃない!」

 

と言います。

 

「田舎がいいなんて錯覚よ。あんな何にもないところにいって毎日どうするの? 年をとってほら、お醤油が切れた、ちょっとアイスクリームでも・・なんていうことになったときでもすぐには手に入らないのよ。不便よ。都会に住んでいれば家を出たらすぐにもコンビニがあるし。」

 

と。

 

その言い分を聞いていて、私も、(そうだよなぁ。年をとってこそ、便利なところに住んでいないとつらいよなぁ。)と思っていました。



けれど、自分の父親が体は丈夫なのにもかかわらず耳が遠くなり、目が見えなくなってきたことにより、都会だと家から一歩も出られないような生活になってしまいそうだ、ということを目の当たりにして、ちょっと待てよ・・・と考え方が変わってきました。

 

うちは岐阜という日本のなかではたいした都会ではありませんが、岐阜県のなかでは柳が瀬という一応繁華街の中心に家があります。

 

一歩家を出ると池袋や新宿のようなことはありませんが、あんまりうろうろとしていると、「おらおら! 何やってんだ、じいさん!」という感じで人の波の邪魔になるようなところです。

 

それを申し訳なく思って家のまわりを散歩もできなくなるようでは父が可哀そうだ、と思いました。

 

これが田舎なら、あぜ道をぶらぶらとどんな歩くスピードでも許されるであろうに。

 

多少の不便を覚悟してでも、田舎で暮らしたほうが体のためにはいいし、自然な死を迎えられそうな気がする・・

 




父には工藤さんのお父さんのように、好きなことをやってふらりといつものように家に帰ってきたと思ったら亡くなっていた、というような大往生をできれば遂げさせてあげたい。

 

そう思うと自分の場合は、もっと年をとったらさらに田舎暮らしのほうがいいんだろうか・・?と思いはじめた今日このごろです。

 

 



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