ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

祈りの夜

2012-03-28 09:07:00 | 精神世界

さて、この前の新月の夜に私は「みんなで祈りましょう。」と呼びかけました。

その呼びかけに応じてたくさんの方々が祈ってくださったようで、ほんとに改めましてここでお礼申し上げます。


あの夜、私が何を感じたかお話しましょう。

23時を少し回ってから、私はサロンを祈りの準備のために整えました。

サロンはいらっしゃる方が口々に、「ここは何だか良い“気”で満たされている、って感じがするね。」とおっしゃってくださるのですが、それでもさらに良い“気”で整えようと、ホワイトセージのミストで浄化し、エンジェルチューナーの音の振動で浄化し、ありったけのキャンドルに灯りをともしました。

ちなみに“祈り”自体はいつなんどき捧げても良いものでしょうが、“新月の願い”ということで言えば、「新月」に突入してからでないと意味がないそうです。そのちょっと前とかでもダメなんですね~

突入してからは、以降8時間が新月の影響が一番強いとき。

その時間帯に願いを書いたり、言ったりすると効果的だそうですよ。

そしてちょっとだけパワーは落ちるけれど、新月に突入して24時間以内なら“新月の願い”として効果はあるそうです。

私はずっと新月の8時間以内に毎月願い事をピンクのペーパーに書いていましたが(書けばあとはその存在すらも忘れてよい、と言われています。)、あまりそれで願いが叶った!という記憶はなかったんです。

ちなみに私の名古屋に住む友人は、わが子を保育園に入れるのに新月の願いで叶った!と言っていました。

ご存知のように、名古屋は全国一待機児童が多い街です。

なかなか保育園に入れることができず、2年待ちとかざらみたいですが、彼女の場合もこれまで1年間どこに問い合わせてもダメ、ダメで断られてきたのが、今回すっと入れる保育園が見つかったんだそうです。

よかったね~


さて、話が少しそれましたが、新月の時間がちかづき、私はダーリンとともにサファイヤブルーのポマンダーを施そうと思いました。

というのは、祈りのあとにオーラソーマの「ブルーグローブメディテーション」をしようと思っていたので、あのなかに登場する「ブルーの球体に守られ・・」というビジョンともよりマッチして何か感じやすくなるかな、と思ったからです。

しかし、あいにくサファイヤブルーはサロンではなく、私が自宅のほうに持っていってしまっていることに気づきました。

今更とりに上がるのも、と思って、クイントエッセンスのエルモリアで代用しようと思いました。

ま、おんなじブルーだし、という軽い気持ちです。

しかし、そのとき私はなぜか、最初から今日はパラスアテナを施すつもりだったことを思い出し、頭の中がこんがらがって、パラスアテナを先に施しながら、ダーリンには、

「はい、これエルモリアだよ。」と言ってしまったのでした。

そして、自分でもエルモリアを施したつもりになっていました。


そうして嗅いだパラスアテナは実に不思議な香りがしました。

なんていうか・・

色で言うと、ペールブルーとペールピンクを混ぜたような香り。

私はエルモリアだ、と思い込みながら、実際にはパラスアテナを嗅いでいたわけですから、まさに見たまんまやないかぁ~!

更に不思議なことに、いつも私がパラスアテナを嗅いでいることを知っていて、「どれ、ちょっと俺にもくれ。」と言ってつけてあげると、「うわっ。これ、俺あんまり好きじゃない。」というダーリンが、このときばかりは、

「あれ? とてもいい香りだなぁ。これ、好き。」と言ったのです。


ダーリンは、あまり名前とかにこだわらないので、私が「エルモリアだよ。」と言ってつけてあげたことにとらわれているとは思えません。

けれども、自分がいつも「あまり好きではない。」と言っているパラスアテナではない、という意識はどこかにあったのでしょうか・・


人間って不思議ですね~

思い込みや事前情報によって、こんなにも香りが違うものに変わってしまう。

前にテレビで実験を見たことがありますが、まったく香りをかげないようにしてトマトジュースやオレンジジュースを飲ませると、たいていの人が、「??? これが何の飲み物かわからない。」と言うのです。

まさに人間て五感を駆使してすべてで感じているのですね。

さて、時間になり、私はまず被災地の方たちが「一刻も早く、自分らしい生活ができている、と心から感じられるようになりますように。」と祈り始めました。

そうすると、どなたかは知らない被災地の方々の顔が浮かんでは消え、浮かんでは消え、しました。

私はもともと五感のなかでは圧倒的に視覚派です。視覚によってほかの感覚を補っているというか・・・

このとき、私は自分が強く念じたからビジュアルが浮かんだのか、ビジュアルを思い浮かべればより祈りやすくなるだろう、と思ったのか、この卵が先かにわとりが先かみたいなことについては、まさにその論争のとおり、どちらが先なのか、自分でもよくわかりませんでした。

そうしてひとしきり祈り、ビジュアルが現れなくなったのを見計らって、次に今回の祈りについて「いっしょに祈りましょう!」と誓った仲間の人たちの名前やそれぞれの幸せについて祈りました。

不思議なことにやはりお名前を知っていたり、友人で顔も知っていたりすると、とても祈りやすいのです。

祈るのが楽、というか。


いつのまにか私はとても幸福感に包まれていました。

人のために祈ると自分の悩みなんか、なんてちっぽけなことか、と心底思えました。

これまで私は「人のために何か役にたつ人間になりたい。」とか「自分の周囲の人たちというだけではなく、広く社会のためにということも考えられる人間になりたい。」と思っていましたが、では具体的に行動は、という段階になると、「待て待て。自分の身さえもてあますほどの私が、何で人のため、なんてことができるんだ。まずは自分のことがちゃんとできてからそれからだよな。」なんていう考え方をしてきました。

でもね~。

お気づきのように、こういう考え方だと、いつまで経ったって、“自分のことにはケリがついて”“人のための時間がやってきた”なんて思えるときは来ないのですよね。

それよりも逆に先に人のため、を思って行動を起こすと、それがひいては自分のためともなって跳ね返ってくるものだ、ということが何だか実感としてしみじみとわかった気がしました。(ちょっとおこがましいんですが)

気付けば手を合わせて祈っていた手のひらと、後頭部がなんだかジンジンしてきました。

文字通り、電気風呂に入ったときみたいにジンジン。(いまどき、皆さん、知りませんよねぇ・・ 電気風呂なんて・・ あ? たまにはスーパー銭湯にあるところもある? それそれ、それのことです。あんな感じ。)


何だかとても良い気が満ち満ちた気がして自然と「よし、このあたりで今日は終わりにしよう。」と思えた瞬間がやってきました。

ふと時計をみやると、あっというまに1時間以上が過ぎ去っていました。

でも、不思議です。

自分のなかでは10分くらいのことだったかな、という感覚なんです。

実際、頭の中でこの祈りの夜のことをシミュレーションしていたときには、わたしゃ、せいぜい10~15分くらい祈れるくらいかなぁ、と思っていました。

オーラソーマの授業を受けに行くときにでも、必ず瞑想はしますが、先生によってその瞑想の長さはまちまちで、誘導もさまざまです。

でも、「ではしばらくの間、この静寂のなかにいてください。」と言われて無音の瞬間が訪れると、たいていは「まだかなぁ。長いなぁ。」なんて目を閉じながらもその邪念ばかりでいっぱいでした。

しかし、不思議とこの日は、あっというまに時間がたったのでした。


私が静かにふっと目を開けると、その気配が伝わったのか、しばらくして、ダーリンもふっと目を開けました。

「どうだった? 何か感じた?」とダーリンに尋ねると、

「う~ん・・・ 悪いけど、いま、仕事が大変で、明日の段取りのこととかそんなことばかりが頭のなかを渦巻いちゃった。」とダーリンは答えました。

よしよし。

その正直さもよいことですよ。

それはそれでよし。でも、またいっしょにたまにはやりましょうね、ダーリン。

夜は更けいきましたが、私は何だかノッてきちゃって、「わたし、これからもうちょっと瞑想していく。ダーリンはどうする?」と言うと、

「悪いけど、俺はもう眠くってこれ以上は無理だ。」と言いました。

「うん、いいよ。じゃあ、先に寝てて。」と言って、私はひとりサロンにもう少し残りました。

もう少しだけこの続きをお話したいことがあるんですが、また長くなってしまいましたので、それは明日にします。





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