ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

もう1人の顔

2012-03-24 09:11:00 | 身辺雑事

最近、私の身の回りではなぜか相続の問題があちこちで湧き起こってきています。

結局、私の年齢がそろそろ親を亡くす年齢となってきているのでしょうね。

そして寂しいことですが、親が亡くなると親が管理していた資産などの問題が子ども達に降りかかってきます。

先日、私の古い友人でもともとの住んでいるところはご近所だった人が、やはり親を亡くしたために、親御さんが管理していたビルをご自身で管理しなくてはいけなくなりました。

・・と言うと、ほぉ、豪勢な話ですねぇ、と思われるかもしれませんが、そこはほれ、シャッター通りとなってしまった柳が瀬。

本音を言えば、受け継ぐのもかえって迷惑、ということが多々あるんですわ~


彼女が受け継いだビルも、昔は何軒もテナントさんが入っていたけれど、最近ではいったん借りていたテナントさんが出てしまうと、もうなかなか新しいテナントは入ってくれないそうです。

そりゃあ、そうですよね。

新しく自分の店を持ちたい、という人は、できるだけ人通りも多く、こぎれいなビルに出店したいでしょう。

廃れる一方の柳が瀬で、古いビルなぞに入居したくはないでしょうよ。

今も続けて入居してくれているテナントさんなぞは、「私も、お客も一緒に年をとっていくだけ。うちが顧客をなくすときは、たいていそのお客さんが亡くなったって話からだよ。」というほど、柳が瀬に出入りする人はお年寄りばかりになってしまっているのです。

若い人はみんな郊外のショッピングセンターなどに行ってしまう。

そして、そんなビルならいっそ売ってしまおう、と思ったとて、買い手もみつからない、というのが今の柳が瀬の現状です。

だから、管理を続けるしかない。

続ければ続けるほど赤字が増す一方というなかで・・・

聞いていても気が重くなるような話でしたが、彼女は意外にも生き生きとしていました。

彼女の現在の住所は東京ですが、わざわざそのビルの管理のために今では時々岐阜に帰ってきます。

久しぶりで、まだうちに寄ってもらったこともなかったので、サロンに案内しました。

「わぁ、すてきね!」と言ってくれ、オーラソーマのコンサルテーションも受けてくれました。

コンサルテーションをしていくなかで、彼女はこんなことを言いました。

「私がもし、今、私らしくいられるとしたら、それは母親が亡くなったからなの。うちの母親はそれはそれは、子どもを上からねじ伏せて、すべてを管理してた。そして私が何かやろうとすることにことごとく反対した。『そんなことおまえに出来るわけがない。やめておきなさい。』と。そう言われると私も反抗するほうじゃなかったし、そうかなぁ、という気にもなってしまって、結局、母親の言うとおりの人生を私は歩んできた。でもいつも、これは本当の私じゃない、何かが違う、って思ってた。母が亡くなったことは悲しいけれど、母が亡くなったおかげで、あぁ、これからは本当に自分の好きなことができる、ってさっぱりした気持ちもあるの。」

(※この記事については、ブログに書くことを彼女は了承してくれています。)

彼女がそんなことを思っていたのか、と私はびっくりしました。


というのは、彼女はお母さんにコントロールされていただけ、と言いますが、私はそんな彼女がずっと本当の彼女だと思って付き合っていたからです。

だから今回、彼女が「ビルを管理しなくちゃいけなくなって、本当に大変なの。えっちゃん、相談に乗って。」と言われたときも、ちょっと意外な気がしていました。

彼女なら、兄弟姉妹もいることだし、「私にはそんなことはできな~い。ビルはどうしてくれちゃっても何も口出しはしないから、もうあなたたちに任せるから。」と兄弟姉妹に振るだろうな、と思っていましたから。

でも、実際の彼女はビルの管理がこのままではいけない、という現状を親が亡くなってから初めて知り、それを投げ出すのではなく、そもそも柳が瀬自体に人が集まる力がなくなったことがいけないのだ、ならば、市や県はなにをやっている! 市や県はもっと一生懸命になるべきではないのか。こちらがアイデアは持ち込むから、本当に街を再開発する気があるなら、そういったアイデアを受け入れて、ちょっとは柳が瀬の活性化のために助成金でも出せよ、そのためなら私はどれだけでも骨身を惜しまない、と言っているのです。

彼女にそんなパワーがあろうとは思いもよらなかった・・・

彼女とは、かれこれ40年近くになろうという付き合いです。

40年目にして初めて知る友のほんとうの顔・・・

私はいったい今まで彼女の何を知っていたというのだろう、と思いました。

ケースは違えども、私が母とずっと確執を感じてきたように、彼女もまた母親との関係で悩んできていたんだ。

ずっと乳母日傘のなかで何不自由なく生きてきた、と思っていた彼女が長年、そうしたなかで悩んでいたということを初めて知りました。

「ちょっと一緒にいま、空いているテナント見てくれる?」と彼女は言いました。

いいよ、私に何かアイデアが湧くとかはないかもしれないけど、と言いながらすぐ近所の彼女のビルに行きました。


空いているというテナントは以前はちょっと高級なクラブだったところでした。

なかなか贅沢な間取りで、ゆったりとソファがしつらえられており、今日からすぐにでもオーナーが代わるだけで商売ができそうでした。

「へぇ、なかなかいいところだねぇ。落ち着くし。これでこのまま居抜きで借りてくれるところがあればいいのに。」と言うと、

「クラブやって経営難になったから出て行ったんだから、同じ商売をこの内装のままやるっていう人はいないと思う。」としごくまともな答えが返ってきました。

「・・そうだねぇ。 ソファセット全部とっぱらっちゃえば、じゅうたんもなかなかいい感じだし、もう何でもできると思うんだけどねぇ。」

「かといって、場所柄的に、えっちゃんやその知り合いの人たちのヒーリング関係っていうのはちょっと違うでしょ。」

確かに。


あーでもない、こーでもない、と話して結局は、「同窓会とか披露宴とかの二次会に使ってくれないかねぇ。」というぐらいでお開きとなりました。

それとて、どうやってそれを告知するんだ、と考えたら、告知代のほうが高くついてしまって、2時間や3時間の時間貸しのレンタルルームにしたところでどれほどの収入があるんだ?ということになってしまいます。

結局、このまま宝の持ち腐れのようにして寝かせておくしかないんでしょうか。

柳が瀬にはこんなところがいっぱいあると思います。

もったいないなぁ。


でも、無限の可能性がある、ってことはどうしようもない、ってことと商売的には同義語なんだろうか。

逆に「こういうジャンルの商売にしか使えっこない。」となれば、そのジャンルの人にとっては「ここっきゃない。」となって商談成立となるのかもしれません。

誰もがお金がない。

だから、市や県が行政的に動かないか、と思っている。

つまり、他人のふんどしを借りて商売をしよう、ってことです。

でも行政はなかなか動かないしねぇ・・

彼女は、「私はブックカフェがやりたいんだ。それが昔からの夢。そいで、その横にちょっとスペースがあって、色んなイベントをやってるの。」と言いました。

「いいじゃないのぉ! そのイベントやるとき、私のオーラソーマ呼んでよ。」と思わず私は言いました。

私は嬉しくて仕方がありませんでした。

彼女の口から「何かがしたい。」とか「それが夢だった。」とか言う言葉を聞いたのは初めてだったからです。

いつも学生時代は、にこにことして「私はみんながいいならそれでいいよ。」とか「特に希望はないから。」とばかり言っていました。

そんな控えめな彼女もまた好きでしたが、今日、新たな面を見て、まるで新しい友人が1人増えたような心強い気持ちになりました。

こういう気持ちとこころざしが集まれば、柳が瀬の復興もわけない、と思うんだけどなぁ。





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