ペナントレース、面白くなってますねぇ。セもパも。
久々じゃないですか、こんな競ってんの。
とはいっても阪神ファンの私としてはいっとき首位に立っていたのにもかかわらず、それを中日に明け渡し、巨人とだってどうなるかわからない状況で冷や冷やものですけど。
というわけで、おととい、ナゴヤドームにいてもたってもいられず応援に行ってまいりましたぁ!
多分、すべてのチームのなかで一番球場に足をちゃんと運ぶファンって阪神ファンが一番多いんじゃないのぉ?
本拠地甲子園でなくても、阪神が今、ペナントレースでいいとこにいる、となるとどこでも出かけるもんねぇ。優勝が決まりそうな年のナゴヤドームなんて阪神ファンがほとんど、っていうときがあった。神宮でもそんなときがあったし・・・
しかし阪神はナゴヤドームとはめっちゃ相性悪いんですわ・・
今年も私が行ったときに勝ったためしはない・・
出かける前にしっかりと私の守護天使ハバァキアとケイティに「今日は勝たせてね。」とお祈りしてから出かけました。
試合は1回表、阪神の攻撃で先頭打者マートンがいきなり2ベース!
こりゃ幸先いいんじゃないのぉ!と沸き立ったら、次の平野にはなんとバント指示。
いやな予感がしました。
平野って守備はいいし、小技はきくしで好きな選手なんだけど、なぜかバントはヘタ。
そんな平野に無理にバントさせなくても、今、平野はあたっていて打率も3割以上あるんだから普通に打たせていったほうがかえってパカパカ大量得点につながるんじゃないのぉ、なんてちょっと真弓監督の采配に生意気にも不満に思ったのでした。
すると、案の定・・・ 平野は2ストライクまでバントに失敗したあげく、ぎりぎりでヒッティングに切り替え、内野に打ち上げてしまいランナーを進めることができませんでした。
後続も続くことができず、結局この回無得点。
そのあとも誰かがヒットを打って、続くバッターに1打出れば点が入る、という場面でことごとくみな倒れ、どうしても点が入りませんでした。
結果、なんと無得点でした。3-0の完封負け。
やれやれ・・
1回も盛り上がることなく終わってしまった。
私が球場に足を運ぶのは、応援席での一体感が好きだから。
野球の動向だけで言えば、そりゃあテレビのほうが特等席ですよ。球の配球まで見えるんだから。
それでも球場に行くのは、球場全体に流れる“波動”や“空気”というものを感じたいから。
このときの試合を振り返ってみると、結局1回表で平野がバントに失敗してマートンを送れなかったことから阪神サイドには重苦しい空気が流れてしまったのだ、と思いました。
バントを1度、2度と失敗するのを見ているとナイン達にも、「そうだよな。バントって意外に難しいよな。」とか「ここで送れないとアウトカウント1つ無駄になっちゃうわけだな。」とか「なかなか点が入るような気がせんわ。」というムードが漂いだしてしまうのだと思います。
これは選手たちが「恐れ」で行動しはじめるからです。
「恐れ」で行動しはじめて良いことは何もありません。
これは、普段の私たちの生活でも同じことが言えます。
マイナスの部分に焦点を合わせて見ていれば、悲観的になるだけです。
でもすべてのことは必要だから起こっている、ととらえてそこからプラスの面を読み取ろうとしたら事態は変わるはずなのに。
こんな話があります。
心理学者が小さな男の子をふたり、実験しました。1人はネガティブ思考で不満ばかり、もうひとりはいつもハッピーな男の子です。
ネガティブボーイは甘やかされて育てられ、わがままです。おもちゃでいっぱいの部屋に入れられるとしばらく遊んでいましたが、「ここにはいいおもちゃがない」と文句を言い始めました。
一方のハッピーボーイは、馬の糞だらけの部屋にいれられました。臭くて不潔です。でもこの男の子は顔を輝かせて、幸せな表情をしました。
なぜでしょうか?
「馬の糞があるということは、どこかにポニー(子馬)がいるんだね!」と言ったのです。
このハッピーボーイは、馬の糞の背後にある可能性を見たのです。
私たちも目に見える部分だけに振り回されず、その背後にある大きな宇宙の意図を信じたいものです。
そうするとたいていのことは自分の心の中の問題で、状況は変わるのだ、ということがわかります。
先日、すてきな一節に出会いました。
自分の心のなかに「風が吹いても消えない炎」を意識しなさい、というのです。
家のまわりには強い風がふいているけれど、室内には壁と屋根でしっかりと守られているろうろくの炎があると思い浮かべなさい、というのです。
これが心の中にある、としたら・・?
ろうそくの炎は、外部の影響によって傷ついたりしない心のシンボルです。
社会の経済状況、仕事、肉体の疲れ、人間関係・・・それらはすべて時間の経過とともに変わっていきます。でも魂のなかには決して変わることのない光があるのです。
一節には、自分の内側の決して消えない炎を意識することは自己愛につながる、と書いてありました。
外の世界でおかしいことが起こるのは、自己愛の欠如が原因だと。
なぜならそれは内側の空虚さを埋めるために、外の世界に求めすぎているから。家や車、高い洋服など物質的なものをいくら求めても満足できず、もっともっと、と求める人、すばらしい恋人を得た、と思ってもしばらくするとあんなの幻想だったわ、という人、こういう人たちはその人の内面がブラックホール化していて、何を投げ込んでも空虚なままだからだ、というわけです。
これ以降は、ちょっとそのままその一節を写します。
『自分の内側に温かい光を発する炎があるなら、自分が幸せになるために必要なものはすべて手にしていることになります。そのことに気付けば、欲しいものを外の世界に貪欲に求めて、内側にどんどん投げ込む必要はありません。
あなたが望むものは、全てあなたの内側にあります。
そう確信できないのは、それがまだ種の状態で、芽を出していないからです。季節が巡れば、新芽が伸びて、美しい花を咲かせ、豊かな実りがもたらされます。
それなのに、多くの人々は種を荒野に撒いたままにして、十分な水も与えません。多くの偉大な宗教家は同じメッセージを繰り返し伝えています。
「あなたが求める光は、あなた自身だ。」と。
あなたはそのことに気付く準備がすでに整っています。』
どうですか?
ステキな文章だと思いませんか?
そして、ここでもまたオーラソーマと重なるなぁ、と思うのです。
色のメッセージが私たちの潜在意識が考えていることとリンクするのは、私たちの細胞が持っている波長と色の持っている波長が同じだからです。
その色は何から出来ているのか、と言えば、太陽光がプリズムを通して屈折率の違いから生まれます。
つまり、色は太陽光なのです。
ということは、私たちそのものが太陽光なのです。光の存在なのです。
私たちは亡くなると魂がすぅーっと光のあるほうを求めて飛翔すると言いますが、それは自分にないものだから欲しくてそちらへ行くのではなく、自分も光だし、もともとの仲間が待っている光に同化しようとして向かうのですね。
まさに魂のふるさとです。
自分が光だとすれば、否が応にも恐れなどに焦点を合わせることがいかにばかばかしいことか気付くでしょう。
「恐れ」に焦点を合わせず、うまくいっている部分に意識を向けるようにしましょう。
ルーズベルト大統領の演説には、「我々が恐れなければならないのは、恐怖そのものである。」という有名な一節があります。
あ、そうそう。
負けたときに守護天使に「なんで言うこと聞いてくれなかったの?」と語りかけてみました。
すると、「ちゃんとしたわよ。だけど、私たちにできることは、相手のチームを蹴落としてやれ、っていうようなことじゃないの。あなたがお願いしたとおり、彼らがそこで出来る限りの力を発揮できますように、ってことはフォローしてあげたんだけどねぇ。」という答えが帰ってきました。
ですよねぇ。
天使ですもの。相手を「負かしてやる」っていうような感情はないんだよねぇ。勝負の世界も人間界だけのものかぁ。
このことに気付かせてくれたってことで、また明日の朝は、神棚に感謝のお祈りを捧げなくちゃね。
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