ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

ペールカラーの意味

2011-07-14 09:04:00 | うんちく・小ネタ

オーラソーマでは、色の濃いもの(ビビッドカラー)より、色の薄いもの(ペールカラー)のほうが、強いメッセージとなります。

例えば、同じ「赤」でも「レッド」より「ピンク」のほうが、持っている意味は強力になる、ということです。

レッドもピンクも濃いか薄いかの違いで、もともと持っている色のメッセージとしては同じものがあります。

そのなかで例えば、「生命力」というものを取り上げるとすれば、「赤」には、「生命力がある」ということになりますが、それが「ピンク」だと「かなり強力な生命力を持っている」ということになります。

これは、オーラソーマのレベル1の最初のほうで習うことですが、あまりに初期に習うためか、私はこれまでこのことを「それはそういうもの」としてだけ取り扱い、暗記しておくこと、と思っていただけで「どうしてなんだろう?」とさして不思議にも思わずにきました。

「オーラソーマの色は、光を当てて作る加色法でできているので、より色が薄くなる、ということはイコール、よりその色に光を当てた、ということ。だから、その意味が強くなる。」とは授業でも習います。

そこには何ら疑問の生じる余地はなく、そういうことだ、と思ってきたのです。

そして、クライアントのたいていの方が、「そうなんだ~ 何だかイメージ的には強くはっきりとした色のほうが、意味も強烈なのかと思ってた。」とおっしゃるのを面白いな、と思っていました。

しかし、最近、1冊の本を読んで、「なるほど。こういう見地もあるわけか。」と面白く思ったことがあります。

それを今日は皆さんにもご紹介したいと思います。


「人はなぜ色に左右されるのか」という武蔵野美術大学の教授である千々岩英彰さんが書かれた本の一説に、「色と視覚のメカニズムを解く」という章があります。

ここでは、大学教授らしく色の定義から語られています。

まず、色とは光によってもたらされるから「色は光である」とも言えるし、しかしいくらそこに色があっても私たちの感覚器が機能しないことにはそこに色がある、ということを認めることができないわけですから、「色は感覚である」とも言えます。

まぁ、そういうことを言い出したら、どんな定義でも“人間”という生き物がそれを認めなくてはないと同じ、ということだからわやくちゃになってしまうではないの、と思いますが、例えばハードとしての「モノ」は、たとえ人間の視覚が失われても物体としてそこに「在れ」ば、存在している、という証明になります。

しかし、色とはそのように触ったりできる実体のあるものではないので、こういう表現になるのでしょうね。

さて、それで、上記のように「光源との関係」からいえば、光は物理学の分野に属するものであり、見える、見えないという「網膜との関係」からいえば、光は心理学の分野に属するものとなるわけです。

ちょっと小難しい話になってきましたが、辛抱してもう少しおつきあいください。

これでも一生懸命努力して、めいっぱい学問的に説明してあることを平たくしているつもりなんです・・・

この「精神物理学的相関」を数式に置き換えてみると、精神と物理の積は常に一定ということになります。

哲学的に言うと、色は私たちの知覚の問題ではない部分と知覚の問題だけの部分があり、その両方ともを認めるなら、その両方ともを掛け算した値が常に一定でないといけないだろう、ということです。

物理的側面が勝って精神が弱い場合もあれば、その反対もある。

しかし、その積は常に一定。

例えば、物理的側面が5で精神面が2だとすると5×2=10となる。

積は常に一定なのだから、逆に物理的側面が2であれば、精神は5ということになる。

ここからです!

だから、強い光のもとで色を見るときは、精神的に負担をかけずにそれを見ることができる。

ところが光が弱い条件のもとでは、心理面を大きく増幅させることによってはじめて10を味わうことができるようになっている、ということです。

つまり、強い光を当てた色(=ペールカラー)の方は、色そのものが強いメッセージ性をすでに持っているから、それをそのまま受け取ればいいだけ、ということで精神的に負担がかからない。違う言い方をすれば、自分でそれをこうかな? ああかな? と押し広げて考える余地がない。

反対に、弱い光の色(=ビビッドカラー)は、精神面をおおいに働かせてその意味を自分なりに増幅させなくてはいけないので負担は大きいけれど、そのぶん、自分でこういうことかなぁ? と考える楽しみがある、ということになります。


これを具体的に証明している例として美術館があげられています。

美術館に行って、誰もが感じることは照明が弱い、というか落としてある、ということでしょう。

これは、美術作品を強い光を当てることによって傷めないため、とか、ゆっくりと落ち着いた雰囲気のなかでじっくりと作品を味わってもらうためだとばかり思っていました。


しかし、光を弱くすることで、作品を見る人の心理の増幅の幅を大きくして、作品をひとりひとりの感覚で意味づけることができるように操作してある、というのが正解のようなのです。

光の条件が悪いところでものを見る場合、精神面(心理面)をより強く働かさなくてはいけない。

暗いのでもっとよく見ようとして近づいたり、目をよく見開いてみようとしたり、上からや下からや斜めなどの角度からより見よう、とすることで、見る側を積極的に作品の解釈に参加させている、というのです。

国宝級の仏像なども寺院の暗いところで安置されていることが多い。

それでか・・・!と私は一人合点しました。

日本の寺院や仏像に比べて、タイやネパールなどの中東アジアに行くと、やけに明るくて金キラ金でピッカピカの仏像に出会うことがあります。

そういうのを目の当たりにすると、どうもありがたみが少ないっていうか・・・軽薄に感じるっていうか・・・(タイやネパールの方、ごめんなさい!) 

なんかあんまりメッセージ性を感じなかったので、それは日本人だけの感覚かと思っていましたが、こういう説明をされるとさもありなんと納得できますね。

宗教的な儀式なども暗いところで執り行われることが多いですよね。

これも、見る者、参加している人の心理に働いて積極的にその宗教に入り込む、という気持ちを起こさせるものだったんですね。

それから、乳幼児のように幼いこどもはまだ精神面が発達していないので、精神をほとんど使わなくても体験できる原色のような強い色が好きなんですね。

そう考えると老人になると感受性が衰えてくるので、やはり、強い色のほうが好きになる、というほうがわかりやすい気がします。

お年寄りが「わたしゃもう年だから・・・」と遠慮するようにつぶやいて、どぶねずみ色のようなじみ~な色ばかり着ているのは、本当は精神状態にあっていないのかもしれません。

また、ひとつ今日は発見しましたぁ!

いやぁ、色ってほんとに面白いですね。(by 水野晴男風)




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