ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

当たり前のことに膝を乗り出して聞いてくれるような伝え方ができる人になりたい

2018-11-28 09:01:48 | 身辺雑事
<お知らせ>

 オーラソーマ セッション 値段改訂のお知らせ


 これまで、70分  ¥10000(ボトル1本付 税込)
            ※ボトルは¥5616(税込)です
 で、行わせていただいておりましたが、オーラソーマ社システム変更など諸事情により、
 来年1月度からセッション代金を改訂させていただきます。

 新セッション料は、

      70分  ¥ 8000(ボトルなし 税込)
           ¥13000(ボトル付  税込)

 です。よろしくお願いいたします。
 12月度はこれまで通りのお値段ですので、改訂前に、というかたは
 お早目に
   chakra@aura-soma.name までご連絡ください。

 <12月セッション可能日)
1日(土) 10:00~     13:00~     15:00~
3日(月) 10:00~     13:00~     15:00~
  5日(水) 10:00~     13:00~     15:00~
  6日(木) 10:00~     13:00~     15:00~
10日(月) 10:00~     13:00~     15:00~
11日(火) 10:00~     13:00~     15:00~
12日(水) 10:00~     13:00~     15:00~
13日(木) 10:00~     13:00~     15:00~
17日(月) 10:00~     13:00~     15:00~ 
20日(木) 10:00~     13:00~     15:00~
21日(金) 10:00~     13:00~     15:00~
25日(火) 10:00~     13:00~     15:00~
26日(水) 10:00~     13:00~     15:00~


加えて、2019年度から 毎月最終土曜日  14:00~
  「オーラソーマの可能性探究の会」    
 をはじめます。
 詳細はまた近日中にこちらで発表いたします。
 ご期待ください!


   
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本を出版しました!

  「オーラソーマの奇跡と私の気付きの日々」
    ~潜在意識を”色”として客観視することで劇的に人生が変わる~


オーラソーマというカラーセラピーに出会って10年。
オーラソーマに取り組むことによって自己成長してきた記録です。
スピリチュアルな世界に足を踏み込むと誰もが気になる
「自己受容」とか「ありのまま」ということなどについての
理解について述べた本。

ご購入はamaon.から → こちら




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今日も、オプティマルクッキングアカデミーの基礎講座を再受講しての気付きについて、でございます。
昨日はまたまた食品添加物のことについて少し書きましたが、要はKYOさんのおっしゃりたいことは
“食事は全体性のなかでとらえないと間違いが起こる”
ということなのだ、と書きました。



そして、そのほかにも「要は」ということで言えば、こんな話もしてくださいました。
「高果糖コーンシロップ」というものがあるけれども、あれは身体に負担が大きいからやめたほうがいいよ~と話されたときがありました。
ガムシロなど、少し垂らせば強烈な甘みを補うことができる、あのヤツのことです。
焼酎サワーに少し風味をつけるためのシロップとしても使われていますよね。
普通、ブドウ糖なら小腸で分解されて、血液に運ばれるけれども、この高果糖はいったん肝臓に運ばれて、そこでブドウ糖に変換されて、そこから小腸で分解されて血液に運ばれる、というひと手間余分にかかることになるので、身体に負担が大きいよ、ということなわけです。
人間の身体は「消化→分解→吸収→代謝→排泄」という流れになっているので、この流れにのっとって行われないものは、不自然であり、身体に負担を強いることになっているよ、ということなのです。
そのほかには、精製されたもの全般がそうです。
それらは「分解」する必要がなく、いきなり吸収するので、いきなり血糖値があがり、どっとインスリンを大量に出すように、という指令が送られるようになり、すい臓が疲弊してしまう、ということ。
つまり、ひと手間多いことも負担だけれども、ひと手間足らないことも結局は身体に負担をかけることになるよ、ということですね。
いずれにしても
“食品の加工度が高ければ高いほど、「自然なこと」(無理なく、負担がかからないこと)からは遠くなる”
ということなわけです。



“食事は全体性のなかで捉えないと間違いが起こる”(身体に良い成分、となったらそればかりを摂取したりするのは間違い)
や、
“食品の加工度が高ければ高いほど、自然なことからは遠くなる”
ということは、言い換えれば、あまり化学の手にかかったような食べ物ではなく、昔ながらの調理法や調味料を使いましょう、ということにもつながるので、ごく当たり前の、いまさら声高に言うようなことではない、と言ってしまえばそれまでです。



実際に私はこの基礎講座を受け終ってから、何冊か南清貴さんの本をamazonで購入しました。(それは、中級講座にすぐ進むには費用が高額なのでためらい、そこで考えたのが、せめて私が自分の食生活、暮らしのなかに基礎講座で学んだことを何らかの形で取り入れることが当たり前に出来るようになってから中級講座には進もう、と思ったので、では、もう少しKIYOさんの言っておられることをいろんな角度から自分で学びましょう、と思い本を買うことにした、に至るわけです)
Amazonでそれらの本を買おうとしたとき、どの本だったか忘れましたが、レビューが☆5つのものと☆1つのものとあまりに極端に分かれているものがあったので、ふぅん、どうしてだろう、とそのレビューを読んでみた時の事です。(こんなことでもないと、私はもう買う、と決めた本のレビューをいちいち読んだりすることは普段はありません。それでじゃあやめておこう、とか参考にして判断材料に使うわけではないのなら時間のムダ、と思うからですね)
その本に対して、☆1つをつけていた人は、
「当たり前のことが書いてあるだけ」
と書いていました。
こういうレビューってたまに他の本でも見かけますよね。
「この著者がここに書いているようなことなど、2,3冊ほかの本を読めば、どこにでも書いてあることばかりです」
とかね。
でも、私は思うんです。
「当たり前の何がいけない」ってね。



実際、
「食事は全体のなかで考えよう。何か1つだけを突出して摂る、ということはやめよう。良い成分でも摂りすぎると害になるものがあります」だの、
「精製した白砂糖は身体に悪い」
という情報は、ちまたにあふれています。
溢れてはいるけれども、「どうしてそれがいけないか知っている?」「納得してそれを止めている?」と街ゆく人にインタビューしたとしたら、どれくらいの人が腑に落とした答えをするでしょう?
たぶん、
「なんか知らないけれど、いけない、って聞いたから」
とか、
「理由なんて必要ない。ダメってわかったものは摂らないようにしている、ってだけですよ」
とか、
「そういえば、改めて聞かれるとなんでだっけ・・・?」
というような答えをする人が多いのではないでしょうか。
実際、私がそんな程度でした。
いや、そんな程度でさえないな・・
「これだけスーパーマーケットが世の中にあって、それが繁盛して成り立っているということは、多くの人がそこで買い物をしているということ。ほとんどの人がそこで買い物をしたものを口に入れていて、これまでなんともないのであればそれでいいじゃないの。それが“普通に暮らす”ってことでしょ」
ぐらいの意識の低さでした。



そして逆に
「それはね、こういう理由からだよ」
というのをものすごく専門知識を駆使したかたちで話されても、全然興味をもてなかったであろうし、実際理解出来なかったと思います。(学生時代、化学とかはもっとも苦手な教科でしたからね)
でも、巷にあふれている常識ともなったような“当たり前”のことを、わかりやすく、楽しく、時にはジョークを交えながら、人が興味をもてるようなかたちで、
「なぜ、そう言えるのか?」
ということをきちんと説明できる人はそうはいらっしゃらないと思います。
KIYOさんがこの講座をやるにあたってのバックボーンはすごい宝庫のようなものをお持ちだとわかりました。
それは、皆さんが色んな質問をしても栄養学的視点から、政治的視点から、あらゆる視点から即座にとうとうとお答えになる様子からだけでも一朝一夕の浅学ではとてもできない、とわかるからです。



“当たり前”のこととは、たいてい“普遍”なものであることがほとんどだし、“当たり前”のことを、人が興味をもって、身を乗り出すようにして聞く気になるような伝え方ができる人間に私もなりたいなぁ、と思ったのでした。