ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「片岡球子展」を観て

2015-07-20 09:04:51 | アート・文化
**************************************************

<ワークショップ開催のお知らせ>
            色に関する シークレットワークショップとXChangeを開催します!
           開催日:8月1日(土)
           時間: 8:30~15:30
                ※10:30~15:30の参加も受け付けます。
           参加費:¥10000(ランチ代、デザート代、お茶&お菓子 込み)
           参加資格:ピンと来た人すべてがウェルカム!
   
   シークレットワークショップ???
   何やるの???
ふふふっ。。。
東京から飯塚香織さんをお招きしてのワークショップです。
香織さんとのコラボなら間違いなく楽しいはず!
子どものようにワクワク過ごして、色が大好きになる時間です。

XChangeって何???

XChangeとは 服としあわせのシェア のコンセプトに基づくものです。


色やデザインが好きだけどなんだか似合わない!プレゼントでもらったけど自分の好みじゃない!など。。。
でも、捨てるのはもったいない!というお洋服を持ち寄り参加者の皆さんで交換します。
色に関するシークレットワークショップだからこそ、その色の不思議に触れて、服としあわせのシェアをしてみませんか?

なお、ワークショップの参加費用の一部及びお洋服交換に伴う売り上げは、寄付いたします。(寄付先は只今検討中)

8月1日(土)は、必ず楽しいワークショップになること間違いなし!

なんだか分からないけど気になる!
この日なら空いてる!
どんな理由でもOK!
とにかくピンと来た方、参加希望の方は、
chakra@aura-soma.nameまでご連絡くださいませ。
一応の予約だけでもOKです!

ご連絡お待ちしております。。。

   *************************************************
***********************************





ひょんなことから、愛知県美術館で「片岡球子展」を開催中であることを知り、しかもあと10日ほどで終わってしまう!と、急きょ車を飛ばして観に行って参りました。
最近、なにやら美術館づいてます。
でもわたし、「二科展」とか「日展」とかそういうものを観に行くことはありません。
あくまで好きな人のものだけ。
「片岡球子」好きなんです。
あのダイナミックな筆致と色合いが。



今回、愛知県美術館のHPを見たら、「片岡球子物語」というページがありました。
片岡球子がどんな生涯を送った人なのかを紹介しているページです。
展覧会の案内のなかにこういうページを作ってくれるっていいですね。
あらかじめこのページで球子の生涯を勉強しておくことで、展示物を観るときに、ただ作品だけを観るのではなく、その人の人生と深く重ね合わせて観ることができる。
で、それを読んで私は自分のこれまでの圧倒的な勘違いにびっくりしてしまいました。
私は片岡球子と言う人は、その作品の奔放さから、つい人生も自由に気儘に奔放だった人かと思い込んでいたのでした。
そう、草間彌生みたいな。
しかし、球子はとんでもなく努力と継続の人でした。



醸造メーカーの比較的裕福な家に生まれた球子は美大を出て、そのまま許嫁と結婚するはずだったのを美大の友人の一言、
「あなたは画家になるべきよ。私があなたならそうするな。」
の一言で画家になる決心をし、許嫁との結婚も断ってしまいます。
当然、両親はたいへん立腹し、「一切の援助はしないから自分で家を出て自立して勝手に描くなら描け。」と球子を放り出します。
球子は1905年生まれですから、このときハタチぐらいだったとして1925年。
日本は大正。
昭和にさえなってないんですよぉ。
もちろん第二次世界大戦よりずっと前。
むしろ第一次世界大戦のポスト・ウォーって言ってもいいような時代かな。
大正の女が実家から放り出され一人で勝手に生きていきなさいと言われて、「ハイ、そうします。」というのは並大抵の覚悟だったとは思えません。
球子は小学校の教職員となって生計を立てます。
授業の準備をして深夜になり、それからようやく描く。
毎日もうふらふらだったとこぼしています。



院展にようやく入選したのは25歳のとき。
「落選の神様」なんてあだ名がついていた頃です。
実に日本画的で写実的な「枇杷」という作品です。
その後の「片岡球子といえばこういう作風」と言われる数々の作品からは思いもよらないお品のよろしい、しかし魂が打たれるというほどのことはない作品です。
日本画は日本画らしくあろうということに努めたような作品にみえます。
でも私は20代半ばの球子がこういう作風で賞を獲ろうとした気持ちをとても愛おしく思います。
若者が目指すこと。
それはまず「その世界の重鎮たちに認めてもらう」ことではないでしょうか。
承認を得るためにはどんな作風だと得やすいのか、それを工夫するのも知恵です。
私はなんだか精密な筆致と一見落ち着いているように見えるこの作品が、暗い葛藤を抱えこんでいるように感じます。



あるとき、球子は同業の先人、師とあおいだ小林古径からこんなことを言われます。
「今のあなたの作品はゲテモノに違いありません。
しかしゲテモノとホンモノは紙一重です。
あなたはそのゲテモノを捨ててはいけない。
自分で自分の絵にゲロが出るほど描き続けなさい。
そのうちにハッとイヤになってくる。
そのときからあなたの絵は変わるでしょう。」
これで球子はよしっ!と自分のスタイルを貫き通すことを決意します。
ここから「片岡球子」は始まりました。



私が一番スゴイと思ったのは、球子はとても長生きな人でしたが(2008年に103歳で亡くなりました。明治、大正、昭和、平成の4時代を生き抜いた人だったのです。)、年をとっても絵を描くことへの情熱がまったく衰えていないことです。
彼女は死ぬが死ぬまで描き続けました。
小学校の教諭も50台まで勤め続けています。
この人の人生は実は非常にじみ~な、ただただ絵が好きで好きでほかのものには目もくれず、かといってきちんとした職業で生計を立てながら働き続けた人だったのです。



私が一番啓発を受けたのは、彼女が年をとっても好奇心旺盛で常に新しいことにチャレンジしていく姿勢を失わなかったことです。
たとえば、これは「山」に打ちこんだ時代の作品。
「富士山」というテーマは特に日本画家にとっては誰にとっても永遠のテーマですが、それは球子にとっても例外ではなく、彼女は富士山を生涯描き続けます。
「富士山は私の絵を観てうまいなぁ、なんて言ってくれないと思うの。だから描き続ける。」
と球子は言っています。



それから「面構えシリーズ」と言って、球子はあるときから歌舞伎に傾倒し、役者を描こうとします。
これは役者さんではありませんが、球子が生涯に何度も描いた写楽と北斎。
時代の圧力に負けずに自らの意志を貫きとおした彼らを球子はリスペクトしていたようです。
さて、役者さんたちの好意で楽屋や舞台裏でスケッチをしてもいいよ、と言われ、球子は黙って彼らの邪魔にならないように一生懸命スケッチします。
しかし、あるとき尾上梅幸にこう言われてしまいます。
「あんたは、ちょっと着物の裾をまくってみてくれ、とかの一言も言わないね。
見えてる部分だけを描いてる画家なんて大したことはない。あんたは一流にはなれないよ。」と。
しかしこのときすでに球子49歳。
画壇では十分に名の通った存在でした。
そんなことも知らない梅幸にこう言われて普通なら逆に立腹してしまってもしかたがないところです。
けれど球子はただ感嘆してこう漏らすのです。
「やっぱり一流の役者さんの指摘って違うなぁ。」と。
この純粋な魂にも私は驚かされました。



それから球子は70代になってから「裸婦シリーズ」を描き始めます。
この理由はデッサンに目覚めたとかではなく(もともと球子は、自分のことを下手でどうしようもない画家だと思っていたので、ひたすら描くしかない、とデッサン、スケッチはものすごい点数が残っている人です。)、
「年を取ってきたら富士山には登れなくなるかもしれない。人にも会いに行けなくなるかもしれない。
だったらアトリエに人を呼んで来てくれる裸婦像とかを描くように今からしておかないとね。」
という理由からでした。
この理由にもまた私は恐れ入ったのでした。
好奇心が募るなかで、最後の最後まで描き続けるための準備も周到に欠かさない。
このとき球子は裸婦のモデルになってくれた人と、「100歳まで描き続ける」と約束をします。
で、実際にそれは果たされました。
そのときの作品を観ても製作年を観なければ躍動感があって、脂ののりきった年代に描かれたもののようにみえます。
あぁ、でも“脂ののっている年代”とは球子の場合、生涯だったかもしれませんね。
なにせ、95歳のときに描いた人物像の着物に金色が多用されていることをして、
「やっぱり色が好きだからギラギラした色をやめられないのよね。」
と言っています。
私もやっぱり「色」は好きなのかなぁ。
オーラソーマの要素のなかで何が一番好き?と言われると「色」がトップに挙がってこないよ、それよりは「自己探究」という事の方に興味がある、というだけのことで、アートの世界などを含めたらやっぱり「色」は好きなのかも。



片岡球子展を観て、ものすごいエネルギーをもらいました。
年をとってからのほうが世間のものさしも気にせず、とらわれから解放されてむしろ奔放な筆致で描かれている。
私もこれから年を重ねていく楽しみ、情熱をもらったなぁ、と思って。
彼女はひたすら絵だけに生きた人でした。
それを貫き通した人でした。
けれど私は彼女に聞いてみたい気がします。
それは許嫁は単に親が決めた相手だったというだけのことだったわけでもなく、彼女もほのかに恋心を寄せていたとも言われているので、結婚を断って絵の道に生きたことを後悔はしていませんか?と。
そして平成まで生きた彼女にだからこそ聞いてみたいですが、「今の世の中だったら結婚も、絵も両方とも得たいものは得たい。」という選択もできる世の中になっていると思いますが、それについてどんな思いですか?
許嫁の結婚を断ってから、好きになった人はいませんでしたか?
それはあまりも彼女の作品が絵の対象として面白からということで選ばれた被写体ばかりのような気がするからです。
彼女に恋愛に対する憧れとか渇望とかの葛藤はなかったのかな?と思って。
まぁ、でもそんなことはきっと球子は鼻でせせら笑うでしょうね。
「そっか~、考えてみたこともなかった。夢中になることがあったから、そういうことを考えるヒマはなかった。」
と言って。





font color="red"><新メニュー登場!>
オーラソーマ&魂の解放ワーク ――――――――――――――――――――――――――――――――――
オーラソーマセッション 70分+ 魂の解放ワーク 30分 =100分  
    ☆ボトルなし   →   ¥ 9800                
    ☆ボトルあり(50ml)→ ¥12800


オーラソーマのセッションと表現アートセラピーでのヒーリングを組み合わせた些々羅オリジナルのセラピーです。

オーラソーマでボトルを選びセッションで明らかになった今の自分のテーマについて、魂の解放ワークでさらにそれを掘り下げます。

★「魂の解放ワーク」とは?
  パステルアート、表現アートセラピーなど五感を刺激するあらゆる手法を使ってその日のテーマをより深く掘り下げます。
 たとえば・・
*自分の記憶につながる香りを作る。
*ゲシュタルト療法における「椅子のワーク」を行う。
*童心にかえって楽器をかきならす
*瞑想する。
*絵を描く。
*自分の感情、気分、これまでの人生を体で表現する。


※クライアント様がワークを指定することはできません。
 こちらで最善と思われるワークを選択、構築させていただきます。

 リピート特典あり (※3か月以内に2回目を受けられる方は¥1000OFF)
   ¥9800 → ¥8800
   ¥12800 → ¥11800
***********************************

*******************************************

  ★オーラソーマセッションご希望の方・営業案内は、
   ブログ左端の「ブックマーク」にあります、「オーラソーマヒーリングサロン些々羅」
   をクリックしてください。
   アドレスからの検索はこちら。
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan1963
     ※ページから直接「予約フォーム」に入れます。
  ★表現アートセラピー、パステルアートのワークショップなどそれ以外の情報・HPは、
   →http://sasara.info
  ★アニマルコミュニケーション関係は、
    ブログ左端の「ブックマーク」にあります、「アニマルパートナーの言霊」を
    クリックしてください。
    アドレスからの検索はこちら。
   →http://blog.goo.ne.jp/chawan9015
  ★全国一律1品から送料無料
    お支払いの方法は振り込みです。
    振込先はゆうちょ銀行と普通銀行があります。
    ゆうちょ銀行に口座をお持ちの方であれば振込手数料は発生しません
    が、それ以外は振込手数料が発生することをご了承ください。
    製品の大きさによって通常郵便か宅配便を利用するかはこちらで
    決めさせていただきます。ご指定はできない場合がありますので、
    ご了承ください。

   すべて、お問い合わせは
     chakra@aura-soma.name
    までお気軽にどうぞ!

*******************************************