「表現アートセラピー」の最終回では、「自分のトーテムアニマル」と出会う瞑想をしました。
ずっと前に私は「パワーアニマル」のことをUPしたときがありましたが、トーテムアニマルとはパワーアニマルと同じことで、動物のかたちをとった霊的な守護存在のことです。
“トーテム”とは、よく知られている「トーテムポール」のように、ある血縁集団と特別な関係をもつ動植物や自然現象のことを指します。
以前行ったとき、私のパワーアニマルは、象でした。
当時は、「動物占い」が流行ったときでもあり、その動物占いで「象」の項を読んだら、「へぇ~、当たってる、当たってる。」と思ったのですが、考えてみれば、動物占いは自分自身がその動物の特徴を兼ね備えている、ということであり、パワーアニマルやトーテムアニマルは自分を守ってくれる守護存在なので、自分がその特徴を備えているというわけではありません。
そういう場合もあるかもしれないけれど、逆にそういう要素がないからこそ、そういう要素を補ってくれている存在という見方もできます。
あるいは、この世にその要素を学びに来ている存在が自分だから、これからそういう要素を身に着けていきなさい、という意味もあるかもしれません。
ま、これも、昨日の「信頼」の話でいけば、自分の信じるものを信じればいいのでしょう。
私は、以前自分のパワーアニマルが象だったことはなるべく白紙に戻し、今回は今回の瞑想に集中しようとしました。
今回の瞑想では森へ行きました。
・・・となると、森に生息している動物しか出てこないじゃないか、と思うのですが、ちゃあ~んとこれが不思議なことに、皆さん、それぞれのトーテムアニマルと出会うべくして出会うのです。
ときどき、瞑想の誘導ナレーションとは関係なく、自分のビジュアルは違うものを見てしまうことがあるようですが、「森へ行きました。」とナレーションで言われても、なぜか海へ行ってしまう人もいるようですし、実際には存在しないようなドラゴンと出会う人もいるようです。
私の場合もたいていはこのようなビジュアルを見る瞑想をすると、誘導ナレーションより早く自分のビジュアルのほうが先へ進んでしまうことが多く、そうすると「えっ、ナレーションとは違うことになっちゃってるんですけど・・」ということがままあります。
「その扉をあけると~」と言われるが早いか、もう扉をあけて中へ入ってしまっており、「その扉は手前に開くようになっていて~」と後からナレーションが続くと、「えっ、私は押して入りましたけど。」みたいなことはありました。
でも、こういう場合は、とにかく誘導ナレーションより自分のヴィジュアルのほうを優先して信じていればいいそうです。
さて、森へ入ると、私の眼の前には、すぐかわいらしい丸太棒でできた小さな太鼓橋があらわれ、その下に流れる小川にがちょうがいました。
「がちょうか?」と思いましたが、これはお話の風景の一部として出てきただけだ、という気がしました。
エリさんはおっしゃっていました。
「いろんな動物がたくさん出てくる場合もあるけれど、その場合は、どれか、ということは不思議とその人にはわかる。」と。
私はがちょうじゃない、と思いました。
しばらくすると、リスが遊びにやってきました。
でも、これも違う、と思いました。
遊び好きのリスが、ちょっと物語に“色”をつけに、あるいは茶々を入れにやってきた、という感じでした。
そうして、次に細い一本道をまっすぐに歩いて行くと、象がいました。
でたぁ~!
やっぱり、これだ、と思いました。
象は道をふさぐように(というか、身体がでかいので、ふつうに立っているだけですけど、1頭で横幅いっぱい、って感じでした。)、正面からまっすぐに私を見つめてきました。
それは威嚇する感じではありませんでした。
ただただ優しく私を見守るようにじっとしていました。
このとき私は現実に立ち返って、「ええっと。象の目って正面見てて前が見えるんだっけ? 馬のように正面見てると横に目がついている、って感じじゃなかったっけ?」ってなことを考えていました。
ま、そんなことはどうでもいい、とばかりに鼻をぶらんぶらんさせて、「おいで、おいで。」をするように象が私を誘いました。
それでもどうしようかな~と私が躊躇していると、象は突然、その道の真ん中でごろんと仰向けの腹ばいになってしまいました。
それでようやく安心して私が近づくと、「おなかの上に乗ったりしてもいいよ。」というような動作をしました。
そのようにして、私たちは親密に戯れて、そして私は現実の世界に戻ってきました。
それらのことから「象」は私に何を教えてくれようとしたんだろう?
何が伝えたかったんだろう?ということを考えました。
最初に正面から私をただただ優しくじっと見つめていたように、「いつでもおまえのことは、何をしようと、見守っているからね。」というメッセージとしてだけ受け取っていればいいのでしょうか?
象の耳がディズニーのダンボのようにやたらひらひらと大きかったのが気になりました。
耳、そして象といえば鼻・・・
私は自分が五感のなかでも圧倒的に“視覚”に頼りがちな人間だ、ということをわかっています。
聴覚や嗅覚をフォローしてあげるよ、という意味だろうか。
それともそれを強化していきなさいよ、という意味だろうか。
あるいは・・・
私はもう何年も前にアフリカで小さな女の子がパンツ一丁でいろんな野生の動物と触れ合っているドキュメンタリーを見たことを思い出しました。
彼女の前では不思議と猛獣でも襲わないし、友達だと認めて近づいて遊んでくれたりするのです。
なかでもそのちっちゃな女の子が「これは私のお兄さんだ。」と言って人間の名前で呼んでいたのが、大きくて獰猛なアフリカゾウだったのです。
たった1回だけ見たあのドキュメンタリーをどうしてこうも覚えているのだろう? 結構細部にわたるまで。
しかも、どうしてこのタイミングで思いだしたのだろう?
これは象が私に、「素っ裸のような気持ちで、相手には常に向き合いなさい。そうしたら、向こうも心を開いてくれる。」というメッセージを送っているのだろうか、とも思いました。
「ただただ、ひたすらに見守る。」
「嗅覚と聴覚をフォローしてあげる。あるいは鍛えろ。」
「素っ裸になって相手と向き合いなさい。」
これらのメッセージはどれも私に必要なものに思えます。
だから、これらのどれかをチョイスする、ということではなく、これらのすべてを私は信じて、受け入れようと思います。
トーテムアニマルに出会うための誘導瞑想は、こういうナレーションでなくてはいけない、という決まりがあるものとは思いませんでした。
以前のパワーアニマルのときには、少し歩いて行くと、いきなり眼の前に10段ほどの階段があらわれ、そこを登って行くと扉があり、その扉をあけるとあなたのパワアニちゃんがいますよ~というものでした。
私にとって扉の向こうは、コンクリート打ちっぱなしのビルでした。
なので、なんにもない殺風景なところにぽつねんと象があらわれたわけです。
今回のトーテムアニマルの誘導ナレーションでは、森に行きました。
川があったり、森のしげみがあったり、道があったり、ヴィジュアルが描けやすいような風景描写をしていけばいいのだと思います。
皆さんもご自分のトーテムアニマルに出会ってみたかったら、自分で誘導ナレーションをこしらえ、自分がお気に入りのリラックスできるCDをバックに、そのナレーションを自分で吹き込み、聴いてみればいいと思います。
きっと出会えますよ。
そして必ず彼らはひたすらに優しい存在としてメッセージを送ってくれます。
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