ちょいスピでセラピー的なKizukiの日々

色んな世の中の出来事、セラピーなどから気付きを得て、ありのままの自分に還ることを目指して生きてます。

「自分は存在していていいんだ」

2010-02-12 07:55:00 | うんちく・小ネタ

以前に、新聞広告で「子育てハッピーアドバイス」という本が紹介されているのを読んで、私のアンテナがむくむくと頭をもたげました。

これはなかなか良さそうな本だぞ・・

もちろん、私に今更コウノトリが赤ちゃんを運んできてくれることはありません。

けれど、この本は子育て真っ最中のお母さんのものだけではなく、生きていくうえでの誰にとっても必要なヒントが載っているような気がしたのです。

早速本屋に行ってみると、私のアンテナが反応したとか偉そうなこと言ってる隙間もないほど、世の方に支持されている本のようで、2巻、3巻も発売され、なんとシリーズで250万部も売れている本でした。


漫画と読みやすい文章でつづられているので、このとき実はあっというまに立ち読みしてしまったのですが、今回この本を子供を授かった友人にプレゼントしようと購入しました。


そしてちょいとプレゼントする前にっと・・改めて読み返してみても、う~ん、ほんとにいいことが書いてあるぅ。(おいおい、人にあげるものに手つけるなよ。)


例えばこどもの話を聞くときには、ノーリアクションではなく、大きくうなづいて「そうかそうか」と言って聞く、なんてことは私が接客研修セミナーでいつも言っていることです。

ノーリアクションの人や、やけに冷静すぎる販売員の人に向かって、お客様はいろんな話をしたくはなりませんよね。だから、会話はすぐに途切れてしまいます。

会話が途切れる=お客様の店内滞留時間が短くなる=買上につながらない、という悪循環になるのです。

そのほかに「こどもの言っていることを繰り返す」というのが書いてありますが、これも接客の極意と同じなのです。

こどもが「かくかくしかじか、こういうことがあって悔しかったんだ。」と話したら、「それはおまえが頑張らなかったからじゃないか。」と言い、「こういうことで腹が立ったんだ。」と言えば、「だったら、今度からこうすればいいじゃないか。」などとすぐに答えを言ってしまうのでは、子供の中にたまったもやもやした気持ちは解消できない、というわけです。

「かくかくしかじか、こういうことがあって悔しかったんだ。」とこどもが言ってきたら、「そうかー、悔しかったんだね。」「こういうことで腹がたったんだ。」と言えば、「そりゃあ、腹がたつよね。」と言ってあげるほうがいい、というのです。


これは何も話を進めていません。

こどもが言っていることをそのまま鏡のようにオウム返ししているだけです。

けれどこれでこどもはすっきりするのです、と本にはありました。


そして私がこの本のなかで一番好きなフレーズ、一番感動した話は、

「甘えない人が自立するのではなく、甘えていいときにじゅうぶん甘えた人が自立するのです。」

というところです。

こどもは「自立」と「依存」を繰り返してオトナに成長していくので、これを子供のペースで好きにやらせてあげることが大事だというわけです。

例えば赤ちゃんのときはお母さんにスプーンでご飯を食べさせてもらう。

それに対して赤ちゃんは何も思いません。でも自我が芽生えてくるとあるときから「自分でやる!」と言い出します。

そして自分でやってみる。

けれど、うまくいかずにテーブルのスープをこぼしてしまった。

泣いてお母さんの胸に飛び込む。また甘えたい、というサインですね。

こんなことの繰り返しで赤ちゃんは成長していく、というわけです。

本にはこう書いてありました。

『自立の反対は甘えなので、甘やかさないことが自立、と思われがちですが、自立のもとになるのは意欲です。意欲のもとは安心感です。安心感はどこから来るかというとじゅうぶんな甘えからです。そこから出た安心感が土台となって、意欲が出て、自立に向かうのです。10歳までは徹底的に甘えさせる。そうすることでこどもはいい子に育ちます。

甘えは一言で言うと、相手の愛情を求めることです。

甘えが満たされるとき、自分は愛されていると感じ、また、自分は愛される価値のある存在なんだ、と感じます。

相手に対する信頼と自分に対する信頼(自己評価)が育ちます。それが安心感につながります。

相手を信じることの出来る人は、思いやりをもち、深い人間関係を築くことができます。』


では、「甘えさせる」と「甘やかす」はどう違うのか?

どこまでどういうことなら「甘えさせる」でしてあげていいことなのか?

そこにまだ自信がなかったりしますよね。

それもこの本では、触れてあります。

『甘えさせる・・子供のペースを尊重すること。情緒的な欲求(スキンシップを求めてくる)などは拒否しないこと。

 甘やかす・・過干渉、過保護とも言って、大人の都合で支配すること。』


これ、すごくわかりやすくないですか?

そして、当たり前のようであって、目からうろこって感じしません?

世のお母さんがたがなんだか勇気付けられて、この本がすごく売れているのが判るような気がしました。

そして私は自分の小さい頃のことを思いました。

私の母は、今でもよく「甘やかして育てちゃったから、わがままな子になっちゃって。」と近所の人に愚痴ってるみたいですが、ほんとにそのとおりです。

母が「甘えさせる」と「甘やかす」をちゃんと使い分けて言っているのかどうかはわかりませんが、私は「甘やかされ」ましたが、「甘えさせて」はもらえませんでした。
特にうちの母親は、スキンシップが苦手な人で、抱きしめてもらった記憶もありませんし、私からスキンシップを求めにいっても「眠いから」とか「うっとおしい」と拒否されました。


それでも私がさほど人の道から外れずに大人になれたのは、「方法」は間違っていたかもしれませんが、両親の愛情はちゃんと感じていたからです。

こどもはそこさえちゃんと感じられればいいのだ、と思います。


この本は決して子育てのマニュアル本ではありませんが、「10歳までは徹底的に甘えさせる」なんて書いてあると、「あぁ、うちの子はもう12歳だ。今からやり直しはきかない。だからもううちの子は駄目なんだ。私のやり方は間違っていた。」とか落ち込んでしまうような、厳しく自分のやり方を責めるタイプのお母さんもいらっしゃるかもしれません。

でもそんな方に、「つまるところ、こどもにあなたの愛情が伝わっているかどうかだけなんですよ。大丈夫ですよ。」と言ってあげたい。

私は改めてこの本を読んで、この「人から受けた愛情によって、自分は愛される価値のある人間なんだ、と思え、相手に対する信頼と自分に対する信頼が育つ。」ということがしみじみと胸に染み渡りました。

先だって、また悲しい事件が起きましたね。

海渡くんという男の子が母親と母親の恋人である男から虐待を受け、幼い命を落とした事件です。

海渡くんは海渡くんのお父さんが本当のお父さんではない、と知っていた近所の人に「お父さんからいじめられていないか?」と尋ねられても、「いじめられていません。」とはきはきと答えていたと言います。

本当は身体にあざだらけだったのに・・

これをニュースでは「自分がいじめられていても、親をかばった海渡くん」と載っていましたが、私はそうではない、と思います。

「いじめられていると答えたら親が逮捕されてしまう。」というような先読みをしてかばったのではなく、きっと海渡くんは、そんな虐待をするお父さんであっても、そこに何かしらの自分に対する愛情を必死にみようとしていたのではないでしょうか。

そして自分は生きていていい価値のある人間なのだ、と思いたかったのではないでしょうか。


私はオーラソーマの究極のテーマのひとつが「自己受容」であると思っていて、その自己受容を突き詰めると本当に難しいことで、それを細胞としてわかる、と言えるようになるためには結局、自分の子供時代に秘められた言動からひもとくしかないかなぁ、とタイムラインのヒーリングをはじめましたが、1本を使い切らないうちからたまたま再びこの本に巡り会い、「自分は存在していていい人間なんだ。」ということをこのようにして感じていくのだなぁ、ということが腹に落ちるとは思ってもいませんでした。

「自己受容」というと、どうしてもそこに他人が介在するものではなくて、自分が自分をいかに受け止めてあげるかに尽きる、という感じがしますが、そこには「人に愛された、という思いが自分を創っている」と思えば、またその思いを誰かに返したくなりますし、今、このときにも私は誰かに愛され、そして愛してくれている人がいる、と思うことで自己受容ができるのだな、と改めて思いました。

ボトルを使うと気付くことはいっぱいありますが、それはボトルを塗ったことによって起こる身体の変化であったり、意識の変化であったりなどのボトルと向き合っているだけの関係性から生まれるものではなく、とにかく使っている間に「その人にとって必要なことがちゃんと起こる」のです。

これはホントに不思議。

そして、ボトルを使い続ける人にしかわからない感覚でしょう。

今回のこの本との出逢いもそんなひとつだった、と思わざるをえません。


ちなみに最初にこの本に出会ったときには本屋で立ち読みした、と言いましたが、そのとき、ダーリンと一緒でした。

それぞれ別のコーナーで好きな本を選んでいたのですが、私のほうへやってきたダーリンが、私が読んでいた本にびっくり!

「お、おい・・ できたのか?」

え? と思いましたが、そりゃあ、一瞬そう思いますわなぁ。


ここでイタズラ心がわいた私は、「そうかもね。」と言ってやりました。

するとダーリンは、「えーっ! 大丈夫なのか。この年で」と驚き、そのあとずっと「俺は、母体をとるぞ。俺は母体をとるぞ。」とぶつぶつ独り言をつぶやいていました・・

ありえんてば。



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