「酒は独酌を第一等とすべきである。私は宴会やパーティーでは、せいぜいビール一本ぐらいしか飲まない。これはつきあいである。次に嫌な奴とは絶対に飲まない。心を許した友、心をまかせた先輩と少人数、せいぜい二~三人で飲むのを第二等としている。酒席で、人の噂と専門の話と、己れに関する告白はしない。酒席に侍るオンナの嫌がることは絶対しない(オンナのいちばん嫌がることはオンナのカラダにさわることである)。酒席における限り、私は“さわらずのケンキチさん”で通っている」 楠本憲吉著『美味求心』 (総合労働研究所 昭和56年発行 780円) 93ページ
私の手元にある楠本憲吉の『美味求心』は、ボロボロだ。それに青紫赤白のポストイットがニョキニョキ無造作に飛び出している。神田の古本屋で見つけた。妻の海外赴任で13年間同行した。日本への帰国休暇は2年に一回あった。帰国するたびに神田の古本屋街で本を漁るのが楽しみだった。東急ハンズ、築地市場、デパ地下、温泉とともに帰国休暇の必須なさねば行かねば案件だった。海外赴任で私は主夫に転身した。料理に開眼、というより働く妻を助けるためだった。そうすることで配偶者手当も支給された。料理することが好きになった。現地の知人友人、邦人、外国からの現地駐在者、とその家族、連日家でおもてなし食事会が続いた。食材の調達は困難だったが、工夫して献立を考えた。転勤でつごう6か国で暮らした。『美味求心』は私に料理の心得とコツを伝授してくれた。
『美味求心』は、料理の事だけにとどまらず、冒頭に引用したようなことも書かれている。それを読みながら私は自分の父を思い出した。父は毎晩晩酌で日本酒一合燗をして一人で飲んだ。外へ飲みに行くことはなかった。貧乏だったかもしれないが、子どものためには、金を使った。父と母はよく夫婦喧嘩をした。しかし一回として女性問題での喧嘩はなかった。噂も話も聞いたことがない。一番多かったのは子育てに関する意見の相違だった。父はギャンブルも外へ飲みに行くこともなかった。酔った姿を見たこともない。短気でちゃぶ台返しを幾度か見た。私が一度も父親の女性問題を見聞きせずに育った。それなのに私は最初の結婚に失敗して二人の子どもを引き取った。男女問題の果ての離婚だった。私は自分の二人の子どもにどれだけ酷い経験をさせたかを思うと自分が嫌になる。今回の財務省トップのセクハラ事件にしても、もし彼に子どもがいたら、と子どもたちの心境を察してしまう。性教育のことが議論されるが、学校で教えられることではない。子どもは親の生活を見て育つ。私は父を聖人君子とは思わない。しかし私にセックスに関して一つとして否定的な影響を与えなかったことに感謝する。
楠本憲吉の『美味求心』の中に書かれていたことで役立てていることがある。
① 五味:春の苦み、夏の酸味、秋の滋味、冬の甘味、四季の辛味
② 五法:煮る、焼く、蒸す、揚げる、ナマ
③ 五色:白、黒、黄、青、赤
再婚してのち私は少し父に近づけた。そして父以上にできていることがある。それは妻を大切にしていることである。妻に喜んでもらえるよう毎日五味、五法、五色を考えて食材を求め、調理している。妻は私の料理とハグとチュウが大好きである。