団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ベェネッイアに住みたい

2017年04月25日 | Weblog

住みたいところ

①    イタリア ベネチア

②    アメリカ カルフォルニア州 アプトス

③    英国 ロンドン

①    数か月前、イタリア北東部ベネチアの観光名所「リアルト橋」の爆破を企てたとして、コソボ出身のイスラム過激派グループとみられる男4人が逮捕されたニュースを読んだ。リアルト橋を爆破など絶対に認めない、許さない。リアルト橋のすぐ近くには、私の愛してやまないレストラン『トスカーナ』がある。地球で最後の食事をどこでとりたい、と問われれば、迷うことなくベネチアの『トスカーナ』と答える。私が初めてベネチアを訪れた時の衝撃を忘れることができない。多くの国の都市あちこち訪れたが、あれほどの「ここに住みたい。こういうところで一生を終えたい」と強く思ったところはない。理由などない。輪廻を信じているわけではないが、前世ここにいたのではと感じたほどだった。生まれ故郷に戻って来たようにしっくりベネチアに溶け込めた。住む場所の満足度という統計で1.起伏のある町2.川の流れている町3.緑の多い町4.伝統ある町 というのがある。ベネチアは4にあてはまるぐらいだ。本来ベネチアは人が住めるようなところではなかった。そこを人の力であれだけの都市をつくりあげた。まずその事実に圧倒される。車社会の現代、ベネチアには車がない。交通手段は船。『ヴェネツィアと水』(ピエロ・ベヴィラックワ著 岩波書店 3100円+税)を読んでさらにベネチアへの想いを強くした。

②    私がカナダへ留学する際、保証人になってくれたのは、アメリカ人のネルソン夫妻だった。アメリカのシアトルで退職した後、世界一周の旅に出る。途中、軽井沢のアメリカ人キリスト教宣教師のもとで一年間奉仕活動をした。その時上田で英語と聖書を教えた。アメリカへ帰国すると、シアトルからカルフォルニアのアプトスへ移り住んだ。私がカナダにいた時、2回アプトスへネルソン一家を訪ねた。アプトスはサンフランシスコから1時間ほどの小さな町である。多くの退職者が移り住む。花が年中咲きハミングバードがいる。当時は年寄りが住む町と魅力を感じなかったが、古希を今年迎える私にもアプトスのような町に住みたいと思う。

③    英国のロンドンは、妻が私と結婚する前に1年間留学したところである。ロンドン大学の学生寮が満杯で入寮できなかった妻はハイドパーク近くの家賃20万のアパートを借りなければならなかった。学費が免除されたとはいえ、月20万の家賃は妻には大きな負担となった。私は食費を切り詰めてまで懸命に学ぶ妻を励ますためにロンドンへ行った。外国人、特に有色人種には冷たい町だった。生活費も高い。でもそれさえ気にしなければ、博物館が多く、何より園芸大国である。見るところはいくらでもある。当時、大英博物館は無料だった。妻と博物館、バラ園を巡った。遠距離恋愛は、二人をぐっと近づけた。苦しい寂しい期間だったが、確実に二人の関係を育ててくれた。妻というパートナーさえいてくれれば、英国人に相手にされなくてもロンドンという環境は心地よい。

 住めば都という。仕事でしかたなしに住めるのも若さがあればこそ。老いれば安心して機嫌よく住めるところを求める。旅の醍醐味は、現地に足を踏み入れ、私がここに住んだらどうだろうという空想である。終の棲家を拠点にして、日本47都道府県すべてへの旅も制覇できた。世界中の国をすべて訪れるのは、もうとうにあきらめた。あとは限りなく空想の世界に遊ぶのみ。そうできるのも日本が住みやすい国である証拠かもしれない。

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