団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

夫婦問題 生きる理由

2007年05月31日 | Weblog
 私の妻は3つの良い性格を持っている。①素直に過ちを認めて謝れば、気持ちよく許してくれる寛容さ。②根に持たない鷹揚さ。③何事も身の丈をふまえた質素さ。

 私は若い時から瞬間湯沸かし器と言われた。結婚後は妻から溶鉱炉と改名された。溶鉱炉は内部の温度を上げるのに時間がかかり、一旦温度が上がるといつまでも温度が下がらないという。そんな私と離婚もせずに連れ添ってくれている。

 私は結婚するとき妻に一つお願いをした。“どんな時も追い込まないでくれ”妻はそれをきちんと守ってくれている。甘やかされて育った私は、今で言う“キレヤスイ”タイプの男であった。追い込まれると見境が無くなった。他人には良く思われたい一心で、無私の境地を気取りエエカッコシイを演じた。いわゆる外ヅラが良くて内ヅラが悪い、身勝手な男であった。

 結婚以来、妻とはケンカにならない。取り合ってくれないのだ。すっかり私は三蔵法師の手のひらの上の孫悟空になっている。見事に妻は私の欠点を押さえ込んでくれた。 歳をとるにつれて、人はカドがとれて丸くなるという。今でも時々怒ることはあるが、頻度はずっと減ってきた。

 坐禅も組んだ。写経にも通った。この怒りやすい性格が災いして、持病の糖尿病の合併症として狭心症になった。発作を起こして、心臓バイパス手術を受けることになり、死に直面した。

  小学生の頃から死に対する恐怖におののいていた。30代40代には夜中に突然ベッドから床に飛び降り、床を叩いて、「死にたくない」と狂ったように叫んだ。全てが無に帰す言い知れぬ恐怖が、巨大な渦巻きと化して襲い、私を飲み込もうとした。死への恐怖がつきまとった。

 50代で心臓手術を受け、私の心の中の溶鉱炉の機能が落ちるにつれて、死の恐怖が猛威を振るわなくなった。 

 手術前日、病院の風呂場で、妻が私の胸毛、腹毛、陰毛をカミソリでただ淡々とそり落としてくれた。夫婦の別れとは、こんな厳粛なものかと思った。後悔、懺悔、無念さを感謝がやさしく凌駕した。その晩、手術を受ける患者用の個室で、妻と抱き合って寝た。

 朝、ふとんの下に隠しておいた『辞世帳』を妻に手渡した。仕事を休んで駆けつけた2人の子供、妻の見送りを受けて手術室に入り、8時間の手術を受けた。

 私の心臓と肺は40分間完全に停止し、人工心肺が私を生かしていた。その間私は(写真参照タイトルField Of Happiness幸原=こうげん)画家タピの黄色い花の世界を浮遊していた。

 結局その手術は失敗し、別の病院で再手術を受けた。手術を受けている間、不安も、痛みもなかった。死後の世界は安息の世界かに思えた。 再手術で命を救われ、現在私はオマケの人生を主夫として楽しく送っている。手術前の古い嫌な自分の殻を脱ぎ、謝ること、許すことの達人を目指して生きている。肩の荷を下ろしたように、ずいぶん気持ちが軽い今日この頃である。妻のためだけに生きたい。あとの全ては、序でにしたい。
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