団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

きのこを食べて一週間

2009年11月12日 | Weblog
 新潟県村上市で11月1日からきのこ採りに山に行ったまま、行方不明になっていた鍋島忠夫さん(71歳)が8日一週間ぶりに自力で下山して救助された。食料は家から持っていたムスビが2個だけだった。鍋島さんは、きのこや山ブドウを食べ、沢の水を飲み、夜はビニール袋をかぶって寒さをしのいだという。きのこだって食べられるきのこと猛毒を持つきのこがある。昼と夜の温度差は、体力を一気に消耗する。危険な動物も生息していていろ。このニュースを読んで、思い浮かべた人が二人いる。山や原野を動物のように歩きまわれる人である。いつも二人はひとりである。私の尊敬するサハリンのリンさんと長野の“山の恵み里の恵み”(gooブログ)さんである。この二人ならこのくらいのことをやってのけるだけの経験と知恵がある。鍋島さんもきっとこの二人に匹敵する山歩きの達人に違いない。二人を師とする私は、実に多くの生きぬく力の教えをいただけた。

 私は、人間が生き抜く力を学ぶのに露営ほど適当な訓練はないと思っている。現代のように何もかも便利になってしまい、人間がまるで世界を征したと勘違いしている輩が大多数を占める世において、一旦電気、水道、ガス、下水、交通が災害などで使えなくなったら、どんな混乱が起こるか心配である。露営では、電気もなければ水道もなく、トイレも昔のままの方法しかない。日本の江戸時代以前だって庶民の生活は、露営しているのに近かったに違いない。スパーマーケットはおろか冷蔵庫さえない。暖房も冷房もない。ないないづくしの生活で頼れるのは、自分だけである。

 私は、カナダで露営を初めて経験した。そのおかげで、ネパールやセネガルでの生活に多いに役立った。停電、水道の断水は、日常的に起こった。災害で住んでいた都市が孤立して、食料や燃料の供給が止まった。商人は、商品在庫を隠し、値段を釣り上げた。特に米、砂糖、ガソリン、石油の値がはねあがった。耐久生活は、数週間続いた。私たちを救ったのは、家の畑と飼っていたニワトリだった。私はカナダの学校でニワトリの世話をした。毎日ニワトリが産む卵の数は、記録されていた。卵を基準数産まなくなると肉にされた。私たち学生が、ニワトリを処分して肉にした。この経験が役に立った。いかなるサバイバルにも水と食料は最低限の必需品である。

 歌手の森公美子さんは、大学在学中、親にクラブで働いていることが知れて、勘当状態にされ、仕送りが止められた。森さんは、持っているお金でまず植物図鑑を買ったという。食べることができる植物を調べるためだった。私は、森さんの自立する気概に感心する。どんなことをしても生き抜こうという力は、人間を強くする。先日、太平洋で漁船が転覆して4日間ひっくり返った船室のわずかにできた空間に3人の漁師さんが救助を待ち、海上保安庁の海猿と呼ばれる潜水救助隊隊員に救い出された。3人は、奇跡だというが、やはり生きようという気力が彼らを救ったのだと思う。九州の山で迷って亡くなった少年がいた。家族と登山をしていて離れてしまった。この少年は、経験がなかったのだろう。可哀想なことをした。

 残念ながら学校では、生徒に生きぬく方法を教えてはくれない。生きぬく力の成績を評価することもない。偏差値だけで優秀かそうでないかを判断されてしまう。人間は、不自由と不便を乗り越えて現代の文明を築いてきた。だからと言って過去を忘れて良いことはない。過去の不自由と不便こそ人間を鍛える。『横井庄一のサバイバル極意書 もっとこまれ!』小学館を久しぶりに読み直した。山の中でその不自由と不便を楽しめるからこそ、私をリンさんと“山の恵み里の恵み”さんを達人と呼ぶ。
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