団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

タッチパネルが私を拒む!

2021年12月22日 | Weblog

  寒い日が続いている。地球の温暖化が危機的状態だと聞いている。毎年冬が来るたびに寒さが緩和していくのではと危惧している。寒いと何となくまだ地球は大丈夫そうと思ってしまう。寒さは、防寒下着やダウンの上着や手袋で防げる。問題は、このところの腰痛である。坐って居ることが多い。腰痛対策の運動を毎日欠かさずに続けている。それでもこの数か月腰痛に悩まされている。

  昨日は散歩を兼ねて郵便局へ行ってきた。どうしても孫たちへのクリスマスプレゼントの図書カードとお年玉を現金封筒で送りたかった。お年玉は、満年齢の数の500円玉を送る。段ボール紙を土台にしてセロテープで貼り止める。孫たちの年齢が上がってきて、3人の合計金額は、結構な額になる。それでも1歳の1枚からずっと続けているので、孫が継続の力を感じ取ってくれることを期待している。市販の500円玉貯金ブックを孫が生まれた時贈ってある。初孫は来年成人式を迎える。お年玉や誕生日や合格祝いなども500円玉を年齢の数で祝った。

  郵便局の窓口で現金封筒を局員に渡した。ロボットのようなカクンカクンと歩いて入って来た姿を見られたのだろう。局員が現金封筒を手に取り、「中に内が入っているのですか?」とずいぶん大きな声で尋ねた。おかしなことを聞くなと思った。現金封筒なのだから、現金に決まっているじゃないか。それでも私は、気持ちを押し殺して、「現金です。500円玉でお年玉を入れてあります」 若い局員は、何も言わずに封筒を秤の上に置いた。年内にやっておかなければならない仕事を一つ終わらせることができた。帰りはバスに乗った。今まで席を譲られたことがなかったが、私より明らかに年上の女性が「どうぞ」と立ち上がった。

  とぼとぼ歩いて家に戻った。台所の食洗器が洗い終わっていた。電源を切ろうと青いランプのタッチパネルを指で押した。その場所が電源を切るところだと確信していた。ウンともスンともない。

  二日前にも同じことが起こっていた。私は、自分の指や体から特殊な電波か何かが出ていて、タッチパネルが機能しないのかもしれないと思った。妻が帰宅するまで放っておいた。帰宅した妻が操作した。「電源切れたよ」と言った。妻は魔法使いか!どうして妻にできて、私にできないのだろう。妻は、食洗機の購入をあれほど反対していたのに。こんなのおかしいと思った。そしてちゃんと見ているべきだったのに、妻が食洗器のタッチパネルに触れるのを、まったく見ていなかった。

  最初に電源が切れなかった時、妻にメールを送って、どうすればよいか尋ねた。前日に妻は、いとも簡単にタッチパネルを操作して電源を切った。返事が来た。「ハンドクリームを手に付け、5分後くらいに手が乾いたら、もう一度試してみて」 おそらく妻は、私の皮膚がカサカサで静電気か何かがタッチパネルの反応を阻害していると思ったのだろう。 その通りにしてみたが、食洗機の電源は切れなかった。

  二日続いた珍現象。昨夜、帰宅した妻が食洗機の前に立った。私は目を大きく見開いて、事の成り行きを見守った。妻は、私が押し続けていた場所と違う場所を押した。電源が切れた。何ということか。私はずっと違う場所を押していたのだ。私は、3日前まで普通に操作できていた。いよいよ私の脳も認知症かと落ち込む。妻は「認知症じゃないよ」と言ってくれる。でも私は、自分の中で変化が進行しているのを察知している。

 今朝、食洗機の前に立って、その一連の動きを観察してみた。食洗機が全作業を終えると、私が押し続けていた場所のライトが、緑色から青色に変わった。メインスイッチのライトは消えていた。きっと私は、このライトの色に反応していたと思う。私は、思い込みが若い時から強い。青が「ここ押して」と私を誘うように光輝いていて、蛾が光に誘われるように、そこを押していた。本当は、メインスイッチを押さなければいけなかったのだ。その記憶がキレイに消えていたのだ。ところがメインスイッチの灯は、この時点では消えている。

 いずれにせよ、私の中に、老化という私とは別の生き物が、ジワジワと侵蝕してきている感じがする。でも負けないぞ。せめて現状維持に留めて、悪化を止めなければ。

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