団塊的“It's me”

コキロク(古稀+6歳)からコキシチ(古稀+7歳)への道草随筆 2週間ごとの月・水・金・火・木に更新。土日祭日休み

行ってみなけりゃ、何が買えるかわからない。

2020年09月18日 | Weblog

  3カ月検診で東京へ行ってきた。コロナ騒ぎで、普段家から買い物以外出ていない。恐る恐る電車に乗った。目に見えない新型コロナウイルスに、JRも真剣に取り組んでいるのだろうけれど、不特定多数の乗客が、入れ替わり立ち替わり乗ってきたり降りてゆく。やはり妄想してしまう。なにせ数日前、私自身がコロナに感染した夢を見たばかり。

 コロナ以前は、この3カ月検診が楽しみだった。もしや癌が発見されるのでは、血液検査の結果が悪化しているのでは、脚の血管狭窄検査で、更に狭窄が進んで、脚を切断されるような事態になっているのではと、勝手に妄想する。それを払しょくするために、築地市場やデパ地下へ行く。同時に普段自分が住む近くでは食べられない食事をする。食いしん坊の私は、もろもろの思い煩いを食い気で克服してきた。今はコロナで、それができない。今回も病院からとんぼ返りした。

 今年の2月、ダイアモンドプリンセス号で、新型コロナウイルスの感染が始まってから、私の楽しみは大きな制約を受けるようになった。ほとんど毎週末、祭日に友人を招いての設宴が、なくなった。食の狩人を自負する、私の出番がなくなった。私は調理に関して、たいした腕は持ち合わせていない。しかし食材探しには自信がある。私の献立や誰を招くかを決めるのは、どんな食材を手に入れたかによる。客の好みを知っているからだ。客を誠意を持ってもてなし、喜んでもらえれば、いろいろな話を聞かせてもらえた。

 海外で招いたのは、妻の職場関係者、日本からの駐在員、外国人、現地の人々、など多岐にわたった。私のような立場でも、与えられた職分を一所懸命に勤めれば、認めてくれる人もたくさんいることが私をやる気にさせた。買い出し、調理、設宴に私は、全力投球した。それを妻が後押ししてくれた。

 暮らした海外の国々での経験が生きている。妻の海外勤務に、私は自分の仕事を辞めて同行した。主夫になろうと努力した。私の陰口をきいていた人たちも、家に招いて食事して話しているうちに、仲良くなった例も多々ある。現地では、日本人がなかなか口にできない食材を探した。市場への複数掛け持ちは、日課になった。半日は買い出しで終わった。市場は、魅力ある活気に満ちた場所である。行って、自分の目で見なければ、何が入荷されているかわからない。そこが市場巡りの醍醐味である。私は市場を意気揚々と歩き回った。顔見知りがたくさんできた。良い情報もたくさん手に入った。それはどこの国へ転勤になっても続いた。また当番で担当した海外への買い出しでは、思い切り日本の食材とその国でしか入手できない食材を買い込んで任地に戻った。自分たちの休暇で訪れた国でもそうした。日本に帰国した時は、築地で魚を仕入れて、氷詰にして運んだ。

  私はどこの国へ行っても、まず市場と動物園があれば、必ず行く。現地の人々の生活を知るには、市場と動物園が一番だと思っている。市場では人々の食生活を、動物園では、その国の経済状態を、直接、垣間見られる気がした。実際に住んだ国々では、まず市場を周る。どこの市場で何を探すか目星をつけた。偏見や差別があっても、客と売り手の関係は、金のやり取りで一件落着、即解決できた。それは痛快だった。

  コロナ禍、買い物もままならない。それでも、今住む近くに規模は小さいが、私の好きな市場がある。村の駅という即売場もある。既存の流通機構では、扱わない物が突然出て来るのである。その発見の味をしめたら、食の狩人をもうやめられなくなる。スーパーやデパ地下では、まず経験できない。先日、市場で活きたドウマンガニを買えた。大きな爪が特徴。このハサミなら人の指を難なく切り落とすという。味も良い。でも悲しいかなコロナで友人を招けない。夫婦二人だけではモッタイナイ。あとどのくらい、外出や設宴を我慢すればいいのか。近くに住むイタリア人の友人からメール。「We miss your dinners…」 私の返事「We miss you so much.」

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