団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

電池交換

2020年12月03日 | Weblog

  ずっと前から電池交換する時、小さなシールに交換した日を記して、貼っておこうと思っていた。まだ数回しか実施してない。忘れるのである。電池交換しなければという“思い”が、脳を100%占領してしまう。予備の電池を入れてある引き出しの中から、単1、単2、単3のどれかを選ぶ。電池のケースに電池の入れる向きが+とーで示されている。これは老人の目にはよく見えない。私は黒いケースには、白いマジックで、白いケースなら赤のマジックで文字が浮き上がるように色付けしている。そんなこんなとやっているうちに、交換日をシールに書いて貼るという“思い”は、遥かかなたに置いてきぼり。電池交換のたびに、イライラが絶えない。

 電池交換の時は、突然やってくる。テレビのリモコンが効かなくなる。どんなに押してもチャンネルが変わらない。まずやるのは、電池の残量検査。特別な道具がある。そこに電池を挟むと、「使えます」の緑色のライトか「残り少し」のオレンジ色のライトのどちらかが点灯。しかしこの便利な道具も結局は電池で作動する。だから電池が少なくなると、正確に作動しなくなる。電池は限られた量の電気しか入れられていない。必ず終わりがくる。電池が終われば、電池から電気の供給を受けていた機械は動かなくなる。

 海外で生活する場合、電池は必需品である。発展途上国では電池も粗悪品が多い。停電が頻繁でほとんど毎日起こる。懐中電灯や非常灯も電池を使う。電池の消費量は半端ではなかった。高温多湿な任地が多かったので、電池交換すると中の電池から、液漏れがあり、本体の部品に故障を起こす原因になった。日本から多くの電池を持ち込んでいた。

 ある帰国休暇で帰国して、日本を出る前、丸子町に住んでいたロケット博士の糸川英夫に挨拶に伺った。糸川博士からアドバイスをもらった。博士も世界中を飛び回った。出発する空港で、電池を使う器具、すべての電池を新品に替える。特に電池で動く時計は絶対に忘れるなと言われた。とても役に立つ貴重な教えだった。

 電池を使うモノは多い。しかし電池は、他の電子器具と違って、発達進化があまり見られない。充電を繰り返して使う式の電池も発展途上国では、停電が多く、また国によって電圧やサイクルが違うせいか、うまく機能しなかった。結局普通の乾電池を使うしかなかった。

 電池といえば、チュニジアでこんな事があった。農場を経営するチュニジア人の友達がいた。いろいろ世話になった。奥さんが日本人で英語を話せ、日本語も少し話せた。車のバッテリーが古くなったので、買い替えることになった。日本からの客人をよく砂漠に案内していたので、車の整備は気を遣っていた。友人の知り合いの店で新品のバッテリーを買った。友人が「古いバッテリーもらってもいいか?」と尋ねた。もちろん使う当てもないので、承諾した。その後しばらくして彼の農場を訪ねた。彼が私を農場の中で、羊の管理をして暮らすベドウインの家族のテントに連れて行った。「ほら、この家族は、あなたのバッテリーのお陰でテレビを観られるようになりました」 小さなテレビがバッテリーにつながれていた。画面はほとんど雪降り状態で微かに画像らしきものがユラユラしながら映っていた。友人がベドウインの家族に、バッテリーはこの日本人からのプレゼントと紹介した。家族全員手のひらを上に差し出し、私に微笑んだ。私は恥ずかしかった。本来なら捨てる物をプレゼントしたなんて。奢る者、久しからずや。謙虚に生きねばと思った。

 私は今、ありあまるほどの物に囲まれ、食べるに不自由することなく、日本で暮らす。電池を交換するたびに、あのベドウインの家のバッテリーにつながれた小さなテレビの画面を思い出す。私は何というバチアタリ。海外での暮らしたことで、多くの国の多くの人々の生活を、垣間見ることができた。コロナ禍で苦悩する私だが、現状の私の生活を贅沢なものだと思う人々が、世界中にいる。だから何のこれしき、と強がって耐えて、当然なのだ。

 

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