団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

ぐじ 甘鯛

2023年01月25日 | Weblog

  京都では甘鯛のことを“ぐじ”という。

 子どもの頃、親が婚礼に呼ばれると、必ずというように焼いた鯛が入った折詰を持ち帰ってきた。長野県は海がない。生魚といえば、サンマかサバだった。鯛は、保育園で聴いた浦島太郎の話の中にでていたので、名前だけはよく知っていた。婚礼の折詰の中の鯛は、存在感が半端ではなかった。母親が網の上で、どでんと真っすぐのまま焼いた、焦げ目のきついサンマやサバと違う。黒い焦げ目などない。どういうわけか、腹のあたりに切れ目が入っていて、体が波のように曲がっていた。鯛の白い身も美味かった。父親は、「鯛は捨てるところがない」と骨までこんがりと焼いて、晩酌のつまみにしていた。普段貧しい我が家の食卓も、婚礼の折詰で竜宮城の食事のようになった。

 長野県にいた頃、海の魚の名前など、ほんの少ししか知らなかった。母親に「お前の魚の食べ方は、上手」と褒められていたせいか、私は魚好きになった。今、終の棲家と決めて、海の近くに住んでいる。新鮮な魚を手に入れることができる。

 私が一番好きな魚は、甘鯛である。妻も甘鯛の塩焼きが好きだ。甘鯛の存在を知ったのは、京都に行った時だった。友人に京都の先斗町にある『余志屋』という小料理屋を紹介された。小さな店だが、美味しい店である。そこで食べた甘鯛は旨かった。京都では甘鯛の事を「ぐじ」という。諸説あるが甘鯛の頭が屈折しているところから、屈頭(ぐず)というのが変化して「ぐじ」になったらしい。とにかく美味い。

 余志屋でぐじを食べてから、ぐじの虜になった。行きつけの魚屋にも時々入荷している。魚は、旬に食べるのがいい。先人たちのお陰で、魚の旬は、定着している。ぐじは冬が旬。最近甘鯛の大きいものは、店頭に並ばない。獲り過ぎなのか、海水の温度の変化なのか。甘鯛の調理は、難しい。他の魚と同じ様に、ウロコ落としでウロコを剥ごうとすると、身までこそげ落ちてしまう。そのせいか、甘鯛の料理に、「ぐじの松かさ焼き」といって、ウロコを取らずにそのまま焼いて、ウロコまで食べるものがある。You tubeは、役に立つ。京都の料亭の板前さんが甘鯛のウロコの取り方を実演している。沸騰しているお湯にさっとくぐらせて、氷水に入れ、手で丁寧にウロコを取る。早速やってみた。うまくいかない。こうして自分で試してみて、余志屋の凄さを知る。

 コロナ禍で余志屋にも行ってない。仕方がないので自分で甘鯛の料理に挑戦している。先日甘鯛の酒蒸しを作った。魚が悪いのか、私の腕なのか、甘鯛の身が粉っぽくなってしまった。色々試しているが、普通に塩焼きして食べるのが一番美味しいのかも。でもあきらめずにこれからも甘鯛の調理に挑戦していくつもり。そしていつか私も甘鯛の事を「ぐじ」と呼べるようになりたいものである。

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