団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

暑さ寒さも玄関まで

2023年01月27日 | Weblog

 「暑さ寒さも玄関まで」 東海道線の大船駅と戸塚駅の途中に、大きな看板があった。これは「暑さ寒さも彼岸まで」をもじったリフォームの会社の看板だったと思う。現在、この看板はなくなってしまった。

 このところの寒波で、私が住む町でも、26日に最低温度が氷点下2度になった。故郷の上田市は、氷点下10度になったそうだ。26日散歩の途中、日陰で霜柱を見つけた。土を押しのけ、スクっと伸び上がっていた。柱状の細い水晶の結晶のよう。綺麗。子どもの頃は、霜柱は、踏みつけて破壊する対象でしかなかった。何であんなことをしたのだろうと今は思う。

 信州上田は、冬寒い。寒いながらに「子供は風の子元気な子」と遊びを楽しんだ。上田城の掘は、スケート場になった。矢出澤川の土手は、川の水を汲んで撒き、ソリのスロープを造った。ちゃんと足ブレーキを使って止まらないと、ソリもろとも川に落ちた。「♪おしくらまんじゅう押されて泣くな♪」と歌いながら、尻、背中で本気でぶつかり合った。しまいには湯気を上げるほど温まったものだ。あちこちにできた霜柱、皆で競って踏みつぶした。今のように防寒服もなく、綿入り半纏ぐらいの服装だった。当時、霜焼けやヒビ、アカギレのない子などいなかった。ほっぺが真っ赤な子も多かった。今のようにティッシュペーパーがなかったので、寒さででた鼻水は、みな服の袖で拭いた。だから袖は、テカテカ。

 高校からカナダに留学した。厳寒地で冬、気温は氷点下40度を超えることもあった。日本の高校では、教室に石炭ストーブがあった。一日に割り当てられる石炭の量は、昼まで持つことはなった。カナダに行って何が驚いたと言って、体育館まで暖房されているのにびっくり仰天。外が氷点下30度40度でも、室内は、ハワイのようだった。もうひとつ驚いたのが、鼻をかむのに皆ハンカチを使っていた事。考えようによっては、SDGS運動が盛り上がってきた今、ティッシュペーパーの替わりにハンカチを使うのも良いかも。

 寒い日、散歩を終え、外から家の中に戻る。玄関のドアを開けた瞬間、中からほんわり温かな空気が頬に当たる。そんな時いつも、東海道線の沿線で見たあの看板の「暑さ寒さも玄関まで」が浮かぶ。ありがたいことだ。離婚した後、引き取った子供二人を全寮制の高校とアメリカに行かせた。仕事を終えて帰宅する。真っ暗な玄関を開ける。外より冷たい空気が当たった。「お帰り」の言葉もなく無音の空間。冷え切った部屋、冷たいベッド。

 今は違う。オール電化の終の棲家。寝室は、デロンギのオイルヒーターを一日中弱で入れっぱなし。風呂場と脱衣所は、ヒートショックを防ぐためにTOTOの暖房機を使える。エアコンは、夏冷房で冬暖房。タイマーを駆使して、こまめに温度調節できる。

 今月の電気料の請求書に4万5835円!先月は3万3212円。電力会社は4月から30%の値上げを申請したとか。携帯電話を格安のものに変更。車も小さくした。節約できることはして、健康な生活に重点を置こうとしている。いつまで「暑さ寒さも玄関まで」と言っていられる生活を続けられることか。

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