団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

箱根彫刻の森

2010年06月10日 | Weblog
 箱根彫刻の森美術館へ行ってきた。以前知人が「箱根彫刻の森美術館へ行ったら、私のおじいさんの彫像があってびっくりしました」という話を聞いた。ぜひ知人のおじいさんの彫像に対面したいと妻と出かけた。箱根にはたくさんの美術館がある。今まで訪れたところは期待が大きかった分、失望した。箱根の森美術館のある地籍は、山の斜面にある小さな集落である。箱根の山は天下の嶮である。山また山の中である。外の駐車場から見る美術館は、町の規模から想定しても、さほど期待できないと決め付けていた。切符売り場で大人1800円の入場料の設定に驚いた。「高いな!」とつぶやいた。

 トンネルのような長い下り坂を降りると、そこは広大な敷地があった。好天に恵まれた野外にさっそく彫像が並んでいた。案内図をみると、展示館が点在していた。知人のおじいさんは、どこにいるのだろうと、それらしき館を探したが、わからなかった。妻が「一つずつ見ていけば、きっとあるわよ」と言い、スペイン館に向かって歩き出した。

 スペイン館から出て、ピカソ館へ行った。公園のように整備されたなだらかな坂道に並木のように展示されたたくさんの彫像を見ながら歩いた。ちょうどツツジとシャクナゲが満開で樹木と芝の新緑に映えていた。ピカソ館の展示で、ピカソの晩年の生活を撮ったある写真に、私は心奪われた。ピカソが舌平目を食べ、その骨を両手で掲げている写真。まず舌平目のサイズ。身を食べた後でも優に40センチを超えている。立派!そしてその骨のキレイなこと。良く魚好きな人は、魚の食べ方も上手だという。上手どころではない。まるで骨の標本のようである。とてもピカソを身近に感じた。そして観るピカソの作品を今までとは別の視点から観ている自分に気がついた。ピカソは料理するのも好きだったらしい。凡人の私にそのことが嬉しかった。

 ピカソは晩年陶器の作製に没頭していた。ピカソの陶器作製に協力した陶房主のラミエは「ピカソの陶器の稀有ですばらしい要員は、彼の手にある」と言っている。ピカソは鳩の作品の作り方を問われ、「鳩をつくるには、最初に首をひねり出せ」と言ったそうだ。思わず私は、日本国元総理大臣鳩山由紀夫氏がピカソの手で首を掴まれ、首をひねり出され、目を白黒させている絵を思い浮かべてしまった。不謹慎。

 知人のおじいさんには、結局会えなかった。案内係に尋ねると現在はもう展示されていないという。しかし親切にも彼は、事務所へ行って、所蔵品リストの中の説明書をカラーコピーして来てくれた。(写真参照)目的達成!やっと知人のおじいさんに写真コピーで会うことができた。どこか知人に似た雰囲気のある風貌だった。そこには高村光太郎作 倉田雲平翁胸像 1956年とあった。鳩山由紀夫氏の母方の九州、久留米市のアサヒゴム(現ブリジストン)のライバル会社日華ゴムの創設者である。熾烈な地下足袋特許争奪法闘争にあの時、日華ゴムが勝っていれば、ひょっとしたら私の知人が日本の総理大臣になっていたかも知れないと真面目に思った。彼なら・・・。ピカソのように私の想像力は、際限なく拡がった。痛快な空想だった。1800円でまるで宇宙を旅してきたような充足した一日だった。
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