団塊的“It's me”

喜寿老(きじゅろう77歳)の道草随筆 月・水・金の週と火・木の週交互に投稿。土日祭日休み

まま祖母

2011年07月25日 | Weblog

 継母(ままはは)というが、はたして継祖母(ままそぼ)という言い方があるのかわからない。電子辞書に継祖母はなかった。私は、実母を4歳で亡くした。6歳から継母に育てられた。継母は実母の妹である。まったくの他人ではなかった。私は離婚後二人の子どもを育てた。そして44歳で再婚した結局、自分の二人の子どもに実母と生き別れにさせ、血の繋がらない女性を継母(ままはは)とさせた。今年で再婚して20年になる。すでに子ども二人が成人、結婚自立してそれぞれに孫ができた。孫にとって私は祖父である。妻は私と結婚した後、あえて私の子どもたちと養子縁組をしていない。妻は「シンプル イズ ベスト」を信奉、実践する。妻なりの熟慮の末の結論だった。だからと言って、全く問題がないわけではない。妻にも葛藤、迷い、割り切れなさはあるに違いない。時々、こんなに鈍い私にも、妻の言動、行動から妻の苦悩が漏れ伝わることがある。

 長女が男児を東京の病院で出産して、里帰りで今、我が家に滞在している。3連休の中日、産後の肥立ちがよくない長女が妻の勧めで病院へ行くことになった。妻は機転がきく。電話でまず消防署に近隣の産婦人科の当番医を尋ねた。ところが産婦人科が管内に一軒もないという。あちこち電話してやっと見つけた受診可能な一番近い病院は、車で40分かかる。妻が赤子を見ていることにして、私が車を運転して長女を病院へ連れて行くことにした。

 妻は「自分の遺伝子を遺さない」ときっぱり言って子どもを産まなかった。育った家庭での体験、医師という職業経験と学識、現在の育児環境、将来の人間の行く末、結婚した相手が二人の子持ちのバツイチ、それらを考慮した妻なりの結論であった。その中でも私の子どもたちに気を使って「そうでなくても複雑でこじれた関係なのだから、これ以上彼らを混乱させることはない。シンプル イズ ベスト」を健気に前面に押し出していた。妻独自の倫理である。揺るぎない信念のはずだが、私には妻の苦悩が伝わる。産んだ女と産まなかった女、夫の妻の関係に割り入る娘という女の嫉妬の構図、夫の前妻と子どもとの血縁の壁。割り切れない気持を妻は内包していて当たり前である。普段は私と妻だけの暮らしである。今回のように長女の1ヶ月にもわたる滞在となると、いろいろな問題が起こる。私は夫、父という立場の間を、さえない振り子のように行ったり来たり。妻の葛藤、苦悩と長女の産後の欝と母としての双方の夫への、父親へのしごく当然な主張を前に、何を言われても沈黙するだけである。夫としても父親としても、不甲斐ないかぎりだ。

 妻は、私が長女を病院へ連れて行っている間、長女の赤子を見ることになった。私は心配でたまらない。妻は仕事で以前長く出産にかかわったが、産婦人科医師は出産までが担当で、出産後、出生児は小児科医師の担当となる。まして現在妻は、出産とは関係ない婦人科の医師である。妻は赤子とだけ1対1になったことがない。自分で遺伝子を遺さないと決意するまでの人である。できるだけ個人生活の中に赤子、子どもとの関係を持たないようにしてきた。自分を厳しく律して生きる人は、それなりに頑固である。そうでなければ、自分の意志を守りぬけない。育児の経験も知識もない。その妻が、数時間だけであっても赤子と二人だけとなる。ましてや心の中に確執もある。これは大事件だと私は気になった。しかし妻が言う通り、この事態で選択肢は、これしかなかった。

 私は車に長女を乗せて病院に向かった。日頃私は車についているナビを使わない。最初面白がって使ったが、何度も騙されたからである。今回は最初から病院名を入れた。ただ内心また騙されるだろうという危惧はあった。途中、3連休の中日であるため道路は渋滞していた。普段なら20分のところ、50分かかった。最初のナビの設定で有料道路優先か否か問われ、有料道路優先を選んだ。長女の苦しみを少しでも失くすため、また早く到着できることを願ってであった。すべて裏目に出て、またナビに騙された。普通道で15分で行かれるところを遠回りさせられて40分かかった。それは病院からの帰り道で証明された。病院は緊急外来だけが開いていて、患者と付き添ってきた家族でごった返していた。「喫茶店かどこか涼しいところで待っていて。終ったら電話する」と長女に言われた。近所を探したが喫茶店らしきものはなかった。ベンチで汗をかきながらカバンに入れておいたクライブ・カッスラーの新刊『運命の地軸反転を阻止せよ(上)』の続きを読んだ。私はできれば、運命の地軸という言葉が重く感じた。時間が長く感じられた。いつものようにクラブカッスラーの本に吸い込まれるようにして夢中になって読めない。家で妻が赤子とどういう状態かの妄想を1時間半、身の入らない読書と混ぜ込んで過した。本は3ページしか進まなかった。長女から電話があり、玄関に車を向けた。病院に来る前より気持明るい顔で長女が車に乗り込んできた。家に急いだ。道中、会話はなかった。ただお互い、妻と赤子の状況をそれぞれの立場で邪推していた。帰り道、今度は事故で渋滞になっていた。レンタカーの若者が直線道路のガードレールの端に車をくぎざしにさせていた。消防車2台パトカー1台救急車1台で現場は、大混乱であった。20分で行けるところを40分かかった。結局4時間妻は、赤子と過した。

 私は家のドアを開けるのが怖かった。しかし全ては杞憂だった。妻は、ニコニコして赤子を抱いて迎えに出てくれた。赤子もご機嫌だった。妻は、この4時間という長い時間、何を考え、何を思い、何を感じていたのだろう。妻しか知らないことだ。血のつながりは、万能の思想宗教哲学である。あえて自ら自分以後の血のつながりを断った妻である。私が歩んだ無鉄砲、無思想、無計画な行き当たりばったりの人生とは根幹から異なる。ある程度の覚悟を持って、あとは勢いで私と結婚して、私の人生の後始末に手を差し伸べてくれた。それが子に孫へと拡がる。生後2週間の複雑な人間関係に振り回されることのない純真無垢なそれこそシンプル イズ ベストを生きる赤子が、意志強固で少し気難しい“まま祖母”との時間を無事に過せたようだ。「夫婦は他人」という。その血の繋がらない他人が持つ関係の凄さに圧倒された。私は後光がさすような妻の姿に思わず手を合わせたい気持で「ただいま」と言って家の中に入った。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 女性外国人語学教師 | トップ | トイレ改革 »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事